箱に秘めたる払暁の刃

1,剣士と海賊 その8

「そこまでにしてもらおうか」
 鋭い踏み込みの振動が、床を通じて頬に伝わった。回避の足さばきで、ツインブレードが離れてゆく。代わりに、見知った姿がスティルチから庇う位置にたった。
 顔を上げることもままならないが、目の前に立ったブーツの踵を、端の擦り切れた外套の色を、磨かれたマンゴーシュの剣先を、よく知っていた。
「退け。船は制圧した。これ以上は無駄な殺しになる」
 レクターの声に、仲間の足音が続く。
 守られている。庇われている。ワードック一味の頭と仲間たちを、こんなところまで出向かせてしまった。力の入らない指先に、再び血が巡るのを感じた。
「自分の命と引き換えに、あんたらの蛮行を見過ごせと? 出来ない相談だ」
「お前さんが海賊を滅ぼさないと気が済まんなら、やってみるといい。俺とお前で打ち合って、火花でも散ればどうなるか、あんたにもわかるだろう」
 ショロトルが叩きつけられた衝撃で、火薬は床にこぼれている。
 レクターは言葉を続けた。
「その意地に、命をかけるかい? タバコ一服でもすりゃ、甲板に縛り上げてある連中もまとめて、善悪の詮議なしにアーの御許までひとっ飛びできるぜ」
 沈黙。
 船を満たしていた争いの音は、いつのまにか止んでいる。この船にもう戦う人間は、ここにしかいないのだ。
 そして最後の一人も今、武器を置いた。
「賢明だ」
「乗客が生きているのは、確かなんだな」
「奪えるものは全ていただくが、命は取らん。そんなもの、取り上げたところで手元に残るものでもないからな。手を頭の後ろの回して、壁の方を向きな」
 スティルチは諦めたように壁を向いた。その両手に手枷がかけられる。
 その後ろで、レクターはまだナイフを持ち上げようとあがきをやめないショロトルをそっと押さえた。
「なんて顔してやがる。お前はよくやったさ」
 大きな掌が、頭を撫でる。緊張の糸が切れた。
 戦意を手放せないでいたショロトルも、それでようやく目を閉じる。気力のみで持っていた体は、限界だった。
 レクターは気を失って力の抜けた体を、肩に担ぐ。
「命を取らなかったとしても、海賊の振る舞いは度し難い」
 後ろ手に拘束された状態で、スティルチが言う。己の信念にいささかの揺るぎもない言葉は、負けを認めた人間のそれではない。
「今回は僕も、無駄な殺しをせずに済んだと思うことにしておきますよ。決着をつける時がくるまで、その命は預けた」
 それは、ショロトルに向けられていた。意識のない彼に代わって、不遜な言葉を受けたのはレクターだ。全員が身を固くし、その感情の波を注視した。
 凍りついた時を打ち破ったのは、哄笑だった。
 それはナンセンスギャグを聞かされた時の笑いであり、無鉄砲な若者を見守る年長者の余裕であり、身の程知らずを見た時の嘲りだった。
「なるほど、伝えておこう。俺の剣を折れるつもりでいるのならやってみろ。ワードック一味の旗を覚えておけ」
 そして現れた時と同じくらいの迅速さで、海賊たちは夜霧に消えていった。

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