箱に秘めたる払暁の刃

箱に秘めたる払暁の刃

11,悪徳に咽ぶ その3

 夜半に街に鳴り響いた鐘。集められた民衆。処刑場たる広場の警備には平生の倍以上の人員を割いていた。
 常態と異なるのは疑いようがないが、それを演出したのがどんな作為であるのかは明かされていない。
 スティルチは警備の一人として命をうけていたが、恙無く処刑を進行する手助けをするつもりなど毛頭なかった。
 ヴァネッサはこの場にはいないだろう。そしてスティルチがこの場にいることを、快く思わないだろう。彼女は命を絶たれる人間を、意図してスティルチや彼女自身の視界から遠ざけていた。
 ずっと、罪の意識がそうさせるのだと思っていた。世間で言われるよりも情に厚く、そして弱いところがあるのだと。その考えは揺らぎつつある。少なくとも、悪意によって真実を遠ざけていたのではないと信じたい。
 恣意的であれ意図的であれ、この街の法と正義は歪み始めている。
 歪みの正体を明らかにして道を正さなければ、待ち受けるのは前領主と同じ破滅だ。
 彼らに本当に罪はあったのか、そしてそれは本当に死に値する罪であったのか。全てを明らかにして問わねばならない。
 そのために処刑を許すわけにはいかなかった。これが仕組まれた歪みなら、犯人は必ず証人の口を塞ごうとする。
 だが海賊が姿を現したせいで、事態は引き返せない隘路に至った。
 これでもう、処刑台に上げられた人間が何の作為とも関わりがない無辜の民だと主張することはできない。
 一連の出来事は政治の文脈で如何様にも解釈されうる。ヴァネッサたちとその失脚を目論む者、どちらを利するためだったのかには議論の余地がある。
 しかし彼らの興味の矛先は、処刑の邪魔をした者がどちらの手先であったことにするか、という一点にある。罪人との間に真に関わりがあったかどうかではない。
 状況を利用したい者にとっても、当事者たちがまとめて死んでくれた方が、都合がいい。あとで自由に筋書きを書いてその中で動かすことができる。むしろ下手に生き残って、意図と異なる証言をされた方が厄介だ。
 彼らを救うために、海賊は生きて捕縛しなければならない。
 そして何のために荷を奪ったのか、誰の命でこの街に来て、誰のために働いたのか、街の誰とつながりを持っていたのか。それをはっきり明らかにする。
 本当の悪の正体が明らかになれば、無実の者が助かる。
 広場で警備にあたる人間には、処刑を邪魔する者も逃げ出そうとする者も、生死を問わず排せよと命じられている。
 死んだ後で、領主の証を奪取した海賊だったと判明すれば致命的だ。海賊が助けようとした罪人たちもまた、彼の仲間だったのだということになってしまう。
 だからこそスティルチ自身が彼を止め、生きたまま捕らえなければならなかった。
 あの夜、船の上で与えた一撃は、数日で癒えるような怪我ではなかった筈だ。聖痕の力は、それほど生易しい者ではない。
 しかし海賊は、ナイフを構えて目の前に立っている。
 優れた癒し手がいれば、死に至る傷も塞ぐことができるという。あるいは既に人の道を外れ、悍ましき力を手にしているが由のことなのかもしれない。
 人の身で手にすることができる聖痕の数には限りがある。どれほど奇跡の力に愛されたとして、三つが限度だろう。それ以上、神の力に手を出したものは、例外なく人としての尊厳を失う。
 そうして魂を闇に染め、力に溺れた者たちは殺戮者と呼ばれていた。
 彼らの成す悪徳は、周囲を巻き込み悲劇と絶望を招く。聖痕はいつか天に還るべき光の欠片だ。殺戮者はそれを不当に奪い、地上に縛り付けている。
 彼らと戦い闇の鎖を打ち砕くのは、聖痕の加護を手にしたものが背負う逃れがたい宿命だ。しかし殺戮者の身に宿るのは、刻まれし者を幾人も束ねたような力だ。
 海賊がそうであるなら、一人で立ち向かうのはあまりに愚かだった。
(ただの人だと、思いたいねぇ)
 聖痕の力を感じた以上、それはあり得ないことだ。
 ナイフの間合いは短いが、海賊は小柄な体と素早い動きで、懐に潜り込んでくる。
 戦いを相手のペースに持っていかれる前に、切り込んだ。切っ先の正面にあった海賊の体が、霞のように消える。
 二つの刃がぶつかって火花を散らす。
 海賊がナイフで攻撃をいなしながら、間合いに踏み込んでくる。追撃が来る。
 ツインブレードを二振りの大剣に戻し、受ける。
 拍子抜けするほど、軽い衝撃。
 左手のナイフが手からぬけ、弾かれた。無理な動きで体を捻り、大剣をかいくぐる。体勢を崩して地面に転がる。追撃を警戒し、素早く距離をとった。
 油断なくスティルチの動きを警戒する顔は、痛みに歪んでいる。汗を拭う動きにも、強張りがある。
 やはり、怪我は癒えていないのだ。左手に構えたナイフは、牽制のためのハッタリ。実際は、握っているだけで精一杯というところか。
 船の上では互角だった。取りおさえるような余裕はなく、奇跡の力を借りねば、命が危ぶまれた。
 だが今ならば、彼我には大きな戦力差がある。殺さずに捕縛できるかもしれない。
 海賊には悪いが、戦いの場に立った以上、痛いところはつかせてもらう。
 力勝負になればスティルチに利があり、ナイフを取り落とした海賊には、攻撃を凌いだ先の反撃も、死角から飛んでくる不意の一撃もない。
 大剣をツインブレードに戻し、仕掛ける。
 予想通り、正面から斬り結ぶのを避けた。海賊の動きは鈍い。腕をかすめるようなギリギリの体捌きで、交わした。
 すかさず、追撃に転じる。峰打ちでも、怪我をした胴を撃たれれば、立ち上がることもできまい。
 剣を返そうとした、腕が軋んだ。動かない。いや、曲がらない。
 惚けたのは一瞬。
 その間隙を抜い、ナイフが走る。耳元で風が唸った。上体を反らして躱す。首筋を切っ先が掠った。
 襟足を濡らした血は、それほど多くない。致命傷ではない。頸動脈は無事だと感覚で判断する。
 機械の関節の僅かな継ぎ目に、ナイフの刃が噛んでいた。首を切りつけた一本は、海賊の手にある。ならばこれは地面に落としたはずのもの。地面に転がった隙に拾い、隠したか。
 見落とした。
 あらかじめ張られていた罠ではない。怪我を隠して戦いに挑み、武器を取り落とす。虚勢が剥がれ、姿勢を崩して地面に転がる。どれも当たり前すぎて、警戒をすることすらしていなかった。
 怪我をしているのは、事実だ。ごまかしきれない痛みが、額を流れる脂汗と強張る動きにでている。スティルチがあの時ツインブレードを大剣二振りに分けたのは恣意的判断で、予測し罠を張ることはできない。
 灰色髪の海賊は、膂力でスティルチに劣る。体格に恵まれていない小柄な体は、いざという時に踏ん張りも効かない。彼を吹き飛ばしたことがあるからよくわかる。
 傷ついた体で相手を翻弄する素早い動きはできず、不意打ちのナイフの存在もすでにバレている。
 彼は追い詰められていた。その中で、暴かれた手の内を再び眩ませ、窮状を突破する一手をつかんだ。それを導き出したのは戦いの勘。青年の持つ殺しの才能。守りよりも攻めを、正すよりも騙すことに特化した力。
 想像以上だ。
 大剣をツインブレードに戻し、構え直す。
「まがい物の腕は鈍いな」
 海賊が吐き捨てる。
「おかげでかすり傷で済んでる」
「ナイフには毒が塗ってある。このあたりで退いた方がお互いのためじゃないか」
 首の出血が止まらない。徐々に量を増やし、二の腕まで濡らしていた。傷の深さに見合わない出血。
 神経毒のように動きを阻害するものではない。この性質は出血毒か。そのままにすれば、いずれ命を奪うものだが、即座に戦えなくなるものではない。
「幸い、体は丈夫でね。あんたこそ逃げ切れると思っているのか」
 増援が海賊を殺す前に決着をつけなければいけないスティルチの焦りを、相手は知らない。
 冷静に考えれば、勝ち目はない。一撃を与えた程度で、海賊のおかれた状況は変わらない。生き残るには投降よりする他ないという判断を下してはくれないか。
「大人しくしないのなら、腕の一本か二本覚悟してもらうことになるんだけどね」
「お前の命より高いかそれは」
 祈りも虚しく、海賊はナイフを構え直す。
「まあ、僕は機械の手足もそう悪くないと思うよ」
 退く気がないなら仕方がない。甘さは弱さだ。スティルチはこの場において、弱者に甘んじるつもりはない。
「きゃあ」
 その時、広場に響いた場違いな声が、再び開いた戦端を閉じた。

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