箱に秘めたる払暁の刃

箱に秘めたる払暁の刃

11,悪徳に咽ぶ その2

 広場には篝火が灯され、互いの顔が見えるだけの明るさはあった。周囲をぐるりと兵士が囲み、無表情に集まった人間を観察している。
 あるものは眠たげに目を擦り、あるものは不安そうに腕を抱いて広場に佇んでいた。昼間のように人の生活が、陰鬱な空気が一際目立って感じられた。
 アルベルトの時代から変わらず人の命を奪い続けた絞首台の前に、今晩吊るされる人間が並べられている。
 人混みの隙間からそれらをみたミカエラが、小さく息を飲んだ。
「ケレイブ」
 それ以外も見たことのある顔だ。
 宿屋の主人、銀貨を渡した子供、武器屋の店主、あるいは聞き込みをしただけの住人。この街で関わったありとあらゆる人間が並んでいる。
 それはもはや正義と呼ぶことはできない。街を支配する狂気は、今や疑いようがない形で、眼前に現れていた。
「ミカエラ」
「こんなの、お父様の頃となにも変わっていない」
 ミカエラの声が震えていた。それは彼女に、父を討つことを決意させた日の光景だった。
 皆、これはおかしいとわかっている。読み上げられた罪状は真実なのかと疑っている。わかっていながら見過ごしている。それを口にして自分や家族に累が及ぶくらいなら、ただ口を閉ざす。当事者だけがとりかえしのつかない事態に直面し、慟哭する。
 動かないことを責められない。それを変えるなら、命を捨てる覚悟がいる。
 ミカエラには命を捨てる覚悟は、できていない。それなのに事態に介入しようとしている。見過ごせないと思ったからだし、友達を助けたいからだ。その理由は自分を助けてくれる人の命を危険に晒させるほどのものだろうか。
 ショロトルはそれに手を貸すと言ってくれた。自分の手で目的を為す力がないミカエラはそれに縋るしかない。
 用意をしてくるといって、しばらく姿を消していたショロトルが、ミカエラの傍に戻ってきた。
「大丈夫だったか?」
「うん、ショロトルは?」
「仕込みは終わった」
「仕込み?」
「火をつけたら煙が出るように、連中の用意した薪を生木にすり替えておいた。こんな状況じゃ、小細工する時間もろくにない。乾かす前の薪が見つかったのはありがたいが、それが限界だ」
 時間をかければ処刑が始まってしまう。
 生木が多いから篝火からは煙が多くでる。それ自体は不自然ではない。煙と人ごみに紛れて、今度は篝火に煙幕を投げ込む。こちらは煙だけではなく、多少の光と音もでる。
 それで何か起こったというのが、しれる。聞き慣れぬ火薬が弾ける音と、目鼻を刺激する煙に撒かれれば、民衆は混乱し逃げ出そうとするだろう。兵士達は犯人を見つけるために、その場にいた人間を検めようと躍起になる。
 広場を混乱させておいて、ショロトルが切り込む。ケレイブという男は戦えるようだから、運がよければ逃れようとする民衆と共に兵士の包囲を突破できるだろう。少なくとも広場で事件を起こせば、処刑の日取りを先延ばしになる。
 危険の方が大きいが数時間しか猶予がない状況で、できることはこの程度だ。再びの処刑の日取りまでに、彼らを助ける方策を見つけるしかない。
「私にできることは、ある?」
「煙幕を張るのに協力してくれ」
 その程度なのか、と両の手のひらを見下ろす。
 武器を使いならした、ショロトルの手とは違う。変えたいという思いだけがある。それしか持ち合わせない人間は、こんなにも無力だ。
 いくつかの拳大の黒い塊を渡される。燃やす前から刺激臭がしていた。
 このボールを投げ込んで、火がついて騒ぎになる前に、広場から離脱する。それだけのことなのに、いざ自分が動くのだと考えると心臓が口から飛び出しそうなほどに緊張した。
 兵士に見咎められたら、途中で足がもつれて転んだら、どうなるだろう。一度、事を初めてしまったら、ショロトルと連絡を取り合う手段はない。集合場所で待機する以外にない。もしも、帰ってこなかったらと、想像してしまう。
 白い煙が、広場を覆い始めていた。
 火の番をしている者が不愉快そうに、薪の山を改めて文句をつけているのが見えた。下っ端の若者が、ペコペコとなんども頭を下げている。
「始めるぞ」
 覚悟なんてまだ決まっていなかったけれど、ショロトルのその一言で動き出すより他はなかった。
 やがて、ぽんと小さな破裂音がして、火の粉が周囲に飛び散った。音が立て続けになり、篝火の近くにいた人間を中心に悲鳴が上がる。
 ショロトルは人々の視線が、篝火に向いた瞬間に、処刑台に向かって駆けた。
 勢いで、目立つ灰色の髪を隠したフードが外れた。
 もはや必要がないと、剥ぎ取って捨てる。
 その歩みが、急に止まった。どよめく民衆の只中、揺るがず立つ一人の男に行く手を阻まれた。
「海賊と陸で出くわす、ってことわざにありそうだねぇ。ほら黒い白鳥を探す、みたいな」
 聞き覚えのある、声。
 立ちふさがったのは、船の上で刃を交えた剣士スティルチ・トゥラーレだった。
 巨大なツインブレードを目にした民衆が慌てて道を開ける。闘技場よろしく二人を中心とした輪ができた。
「藪をつついて蛇を出す、の間違いじゃないか」
「いやぁ、こっちもつつきたくはないんだが。出くわしたもんは仕方ないからなぁ」
 緊張感のない声は、彼の強さからくる余裕だ。この男は焦っても、けしてそれを顔には出さないだろう。
 今のショロトルには、持ち合わせがないものだ。
 正々堂々一対一で戦わざるを得ない状況を作られるのは、都合が悪い。
 広場は兵士に囲まれている。姿を見られないようにして、混乱に乗じ、場をかき回して離脱するのでなければ、逃げ切るのは難しい。増援もすぐに駆けつけてくる。
「それで、観光旅行にきたわけじゃあないんだろう」
「領主の女に会いたくてね。あんた連中の犬だろ。取り次いでくれよ」
 スティルチの目が険を帯びる。
「出来ない相談だねぇ。夜の広場に領主はいない。ここで何をしていたのかゆっくり話すつもりはないか」
「デートの誘いはカフェが空いている時間にしろよ、野暮な男だ」
「地下牢はいつでも、あんたを歓迎していると思うがね」
 二刀使いであることはすでにバレているから隠す必要がない。
 ナイフを構えた瞬間に走った痛みを、奥歯で噛み殺す。
 船で負った傷は、骨に達していた。左手は未だ思うように動かない。激しい動きをするたびに、激痛が走り血が流れる。
 剣士と切り結べば、先には死が見えていた。

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