箱に秘めたる払暁の刃

箱に秘めたる払暁の刃

10,夜の底 その2

 冗談じゃない、と思った。
「牢屋の中で、全部正直に事情を話せば領主の耳に入れてもらえるつもりでいるんなら、考えが甘いぞ。罪の有無も罰の重さも、連中が俺らに対して持っている印象で決まるんだよ。敵が都合の悪いことをもみ消せる立場にいるなら、尚のこと捕まれば俺たちに生きる目はない」
「わかってるけど」
 分かっていない。
 この子供は、何も知らない。領主の館から追い出され、街で生きた。その程度のことで不幸を味わったつもりになっているだけだ。手足を拘束されて箱に詰められたその苦しみだけは、他の人間には想像できないし味わったことのないものかもしれない。
 罪人の言葉なんて誰も取り合わない。戯言で処理されて、終わりだ。万人に申し開きの機会が与えられ、常に正しい裁きが下されるわけじゃない。
 現実の残酷さも世界の理不尽さも、人一人殺した苦しさをずっと抱えていられる程度の、善良さで生きていける人間に想像がつくようなものではない。
 人の悪意や策謀は、想像をやすやすと超えていく。この子供が、拷問の痛みに耐えられるとは思えない。領主の証の所在と協力者を喋らされ、箱を開くときまで生かされて、それからどうなる。嘘の下手くそなミカエラが何もかもを白状し、協力者であるショロトルやソラルヤーダの船は。
 交渉に使える手駒が、自分から敵の手の中に飛び込んでいくような事態は想定していない。
「お前が自分の家の義務や背負った責任を果たすために、どうしても領主と話したいのなら、別の方法で領主とやりとりする手段を考えろ。会いにいくとして、少なくともそれは今じゃない」
 街ではあちらこちらで、騎馬や兵士の声がしている。しばらく見を隠しやり過ごすには、もっと安全な隠れ場所を探す必要があった。
 その上で、領主に合う方法など、考えている余裕はない。
「ショロトルは、私のことが嫌いでしょ」
 今更だ。好意で助けたわけではないと、既に伝えてあるはずだ。
「そんなこと言ってる場合か」
「言ってる場合だよ。ノエルのことも突き止められた。この先、私と行動を共にするってことは、命をかけてもらうってことなの。これ以上は甘えられない」
 そんなことは、今更だ。
 彼女が思うよりずっと前から、状況は命をかける事態になっている。そもそも船で彼女が詰められた荷を手にいれるに至った件にしたって、ショロトルは命をかけていた。
 それがミカエラの理解が及ばず見ることができない範囲で起こっていたということだけ。兵士が捕らえにきた獣人やノエルという少女のこと。ワーズワースという男の死。
 それが見えるようになった途端に、誰かと一緒にいるのが怖くなったのなら、それこそ彼女は何も分かっていない。
 このままでは思い詰めたミカエラが、勝手に動くような事態が起こりかねない。彼女を説得しなければいけないのが、何より面倒だった。
「なんでそこまでして領主に会いたがる」
 ミカエラはショロトルをみた。なぜ彼女がそんな顔をしてショロトルをみるのか、理解できない。
「お父様を殺めたこと、後悔しないって決めてるの」
 家族が死んだ時の話を、してからだ。酷く癇に障る目をする。
「私が見かけた街の人の笑顔も今日の生活も、お父様が生きていたら決して存在しなかったもののはずだから。でもこの街の人が幸せでないのなら、自分のしたことが無駄になってしまう」
「どんなに小ぎれいな理屈を並べたところで殺しは殺しだ。薄汚れた両手は、今更綺麗にはならないぞ。お前は自分を愛してくれた父親をその手で殺した」
「わかってる。ショロトルは父の話を聞いてから、ずっと私に怒ってる」
「わかってない。お前のことが気に入らないのは、お前の父親の件は関係ない」
「家族のことをずっと引きずってる。私と同じ」
 咄嗟に言葉が出なかった。
 なんで、お前にそんなことをわかる。酷い死に方をしたからか。それは恵まれたもの特有の傲慢だ。
 頭に血が上った。忍ばなければならないのに、声を荒げていた。
「的外れな哀れみを投げかけて、侮辱するのはやめろ! 俺はあんなこと、これっぽっちも気にしちゃいない」
「気にしてないなんて嘘。自分が失ってしまったものを、切り捨ててた私が許せないんだわ」
 胸ぐらを掴む。ミカエラの踵が宙に浮く。つま先が床をこすった。

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