箱に秘めたる払暁の刃

箱に秘めたる払暁の刃

10,夜の底 その1

 ショロトルとミカエラは夜の街を走り、ようやく身を隠せる場所を見つけた。昔この街にいた悪党が、隠れ家にしていたらしい隠し部屋だ。壁がぶつかりそうなほどに狭い間隔で軒を連ねる家々の隙間に巧妙に扉を隠してある。
 この一区画が丸ごと隠し部屋をつくる目的で設計されているから、元々どこぞのギルドの本拠地だったのかもしれない。今それぞれの家に住まう家主は、隠し部屋の存在も入り方も知らないらしかった。
 それぞれの家の間取りを正確に測って付き合わせれば、不自然な空白に気づくかもしれないが、そんなことをする暇な人間は今のところ現れていないらしい。
「ここに隠れていれば、見つからないよね」
 ミカエラは埃っぽい空気を払いながら、座り込んだ。逃げるときは抱えていたので、ほとんど走っていないはずだが、ショロトルよりも疲れているように見えた。
 普通の人間の体力というのはこんなものなのか、と呆れを通り越して新鮮な心持ちでへたりこむミカエラを見た。
「見つからないなら、ここは空き家になっていない」
 家の中には金目のものも食料も残っていない。セーフハウスとしては、ほとんど機能していない。ドアには鍵をこじ開けた古い傷も残っていた。革命の前か後かは知らないが、少なくとも一度、手入れがあったのだろう。
 それでもこの場所に逃げ込んだと推測が時間稼ぎはできる。数日ここに留まれるだけの備えがないので、本当に一時凌ぎでしかないが今夜一晩体を休める程度の時間、兵士たちがこの場所のことを忘れていてくれればいい。
 窓はないが、明かり取りの天窓から月明かりがさしこんでいる。
「あの人たち、ノエルを知ってた」
 埃にまみれた部屋の中で横になれる場所を確保し、毛布を敷いてあとは寝る以外にすることがなくなったあたりでミカエラが、ポツリと呟いた。
「誰なんだよ、そいつは」
 兵士にもそんなことを言われたか。名前を聞いただけでは、男か女かわからなかった。
「箱を預けた私の友達。この街にはいないはずなのに」
 ミカエラの手は震えていた。
「箱って、領主の証か。宿を囲んでいた連中は兵士だったぜ。なら敵の正体は明らかだ」
 兵士を動かせる人間。街の中枢。アルベルトの匂いがするものを街から一掃したいという、その目的のためにこの街からあらゆる組織的なものを排し、とうとう禿鷲の巣まで街から追い出した。ヴァネッサ・チェルハ。
「現領主代行」
 ミカエラが沈痛な面持ちで呟いた。敵の正体は思ったよりも大きい。
「この街自体が敵ってわけだ。顔を見られた。今までよりも動きにくくなる。しばらくは身を隠すしかない」
 顔をみたやつを殺してしまえば、そのノエルというやつに罪を被せられるかもしれないと思っていた。向こうが先に捕まり面倒を被ってもらい、ほとぼりが冷めるまで隠れていればいいのではないか、と。
 だが、相手がこちらの関係者だったというのなら、顔を見られた兵士を殺さずにおいたのも、それほど悪い選択ではなかったわけだ。こちらをノエルだと思わせて注目を集めておけば、あの宿に本物のノエルがいたとしてもうまく逃れる機会くらいは与えられただろう。
 あとはこちらがうまく現状を切り抜ければいいだけだ。
「私、領主に会わないといけない」
 ミカエラが真剣な面持ちでいった言葉に、耳を疑った。
「お前を捕まえに来た奴だぞ。箱を狙っているのは、現領主とその手下。それが全部だろ」
「そうね。でも必ずしも悪というわけじゃない」
「誘拐されて箱詰めにされたのにか?」
「この街の領主が、証を取り戻したいと思うのはある意味当然だもの。私は敵の娘で、行ってしまえば箱を盗み出したわけだし」
 たとえそうだとしても、子供を箱に閉じ込めて運ぶという行動が良識のある人間の判断とは思えない。自分たちの立場を明かしもしなかった。秘密裏にことを進めたいという仄暗い企みごとの影が、それだけでも感じ取れる。
「おめでたい考え方だな。会ってどうなる」
「確かめたいの。街を治めているのが、どんな人なのか。そのために会って話さないといけない」
「連中が追っ手を放ってるんだ。今晩をなんとかやり過ごして、逃げるしかない」
「ショロトルだけ逃げて」
 聞く耳を持たない。ミカエラの態度は妙に頑なだった。

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