箱に秘めたる払暁の刃

箱に秘めたる払暁の刃

9,軋む正義 その6

 武器屋の男が語った通り、エスメールの街に裏社会の居所は一欠片も残されていなかった。武器屋の男が話した通りで、店を最後にかつてそちら側に所属していた人間すらもみつけられない。
 少なくともヴァネッサ暗殺を目論んだという勢力とそれに武器を供給した連中が、かつて街には存在していたはずなのだが、その痕跡すらも辿れない。
 それでも、地道に街の人に聞き込みをした結果、ミカエラが話した革命の日の出来事は、事実であろうというのは裏付けが取れた。それと彼女が街を離れている間に起こった出来事を、補完する証言が得られた程度だ。
 その大半は大して役に立つようなものではなく、世間話として適当に聞き流しても問題がない内容だった。
 昼食と夕食をとるために短い休息をとった他は、一日歩き通しだった。
 次第にミカエラの足が重くなり、前を歩く背中に追いつくために、何度も小走りにならなければいけなくなったあたりで、その日の調査は終えることにした。
 宿に足を向けていたショロトルが、ふと踵を返しミカエラの腕を掴んで路地に入る。
「どうしたの?」
 見上げたショロトルは首を傾げ、唇の前に指を立てていた。顔を傾ける動作は、音の発生源を注意深く探る獣の動作だった。
 物陰に身を隠すように手の動きで支持されて、ミカエラもそれに習った。
 具体的にこうと答えられるほどの、確たる感覚ではないらしく、ショロトルからはっきりと何がという説明がなかった。
 強いて言い表すなら、人の流れの違和感。買い物に出歩き、仕事から帰る人の生活とは乖離した恣意を持った人間が混じっている。
 というようなことを感じたらしい。
「様子を、見てくる」
「もしかして、追っ手?」
「それを確かめる。お前はここで隠れてろ。誰かに見つかったら、必ず人の多い方に逃げろ」
 言いながらショロトルは、武器屋から買ったばかりのナイフの位置と重さを確かめた。
「宿屋に待ち伏せされていたら、どうするの」
「向こうから迎えにきてくれるってんなら、正体を探る手間が省ける」
 通りに出ようとした服の袖を、ミカエラが掴む。
「なるべく、殺さないで欲しいの」
 何を馬鹿なことを言っているんだ、と振り払いかけたショロトルはミカエラの存外に真剣な顔をみた。
「お前を箱に詰めた連中かもしれないんだぞ」
「わかってるけど、きっとみんな上からの命令で、忠実に仕事をしているだけの人なの。たとえ悪事を働いていても、それぞれ生活しているの。武器屋の人やショロトルとおんなじ」
 末端はどこかの歪みの、しわ寄せだ。
 それを排したところで、別の誰かが犠牲になるだけ。ただ悲劇が広がるだけだ。
「相手が誰であれ俺を捕まえようとしたのなら、斬り合いになる。斬り合いになれば俺は手加減しない。殺される前に殺す」
「でもきっと末端の人たちは、私たちが誰なのかも知らないわ。昼間ショロトルが話してたでしょ、宿の人たちの話。あれと一緒だよ。どこか別のところで起きた歪みのしわ寄せが、私たちの前に立ち塞がっている。彼らを排除しても別の人が、そこにあてがわれるだけ。だから……」
 言い募ろうとするミカエラをショロトルは手のひらで制した。それ以上の話をするつもりはない。彼女の言いたことは理解した。それもおそらく正しいのだろう。
 だが、ショロトルにはその正しさを貫き通して命をかけるつもりはないのだ。
「綺麗事のお説教なら後で聞く。とにかく俺は荷物の回収を優先する。今日は野宿を覚悟しておけよ」
 気配を平々凡々な人々と同じにして、人ごみに紛れる。注視していないと、すぐに視界から消えてしまう。彼はそれを意識の隙間に潜る、と言っていた。手品師がタネを仕込むのと変わらないと言っていたが、理屈を聞いても、ミカエラには真似できそうにない。
 宿屋の様子は、朝と変わっていないように見えた。昨日と比べ、急に増えた客もなく、酒場にいるのに酔っていない不審な客もない。
 留守にしている間に部屋に誰かが立ち入った様子はなかった。
 荷物をまとめて担ぐ。手に取る。通りで感じた違和感は、宿屋の中には感じられなかった。
 気のせいだったか、あるいは他の人間を捕らえるためのものだったのだろう。
 気を張りすぎていたかと思った時、獣人の咆哮がこだました。
 何事かと思い、外をみる。通りを走る全身鎧に、街の兵士が飛びかかっては跳ね除けられているところだった。
 あいつを捕らえるための非常線か。
「ノエルちゃん、逃げるっす!」
 獣人が叫ぶ。
 どうやら関わりがない件であることにひとまず安堵するが、獣人が微睡む鯨亭を目指して進んできていることを見て取る。万が一にもトラブルに巻き込まれるのはごめんだ。
 階下に降りそのまま外に出ようとしたところで、数人の兵士が道を塞いだ。
「お前がノエルか」
「はぁ? 誰と間違えてやがる」
「なぜ顔を隠す。フードを取れ。獣人に確かめさせろ」
 海賊の人相が知られている可能性がある。しかし少なくとも兵士たちが訪ねているノエルという人間ではない。下手に拒否して不審を高めるより素直に従い、見逃してもらえる方にかけた。
 目の前に引きずり出された獣人は、知った顔だった。獣人もショロトルの顔を覚えていたようで、ハッとした顔をした。
 お互いに名前は聞いていないので、どこの誰かは知らない。
「やはり知り合い同士だったようだな」
 表情を読み違えた兵士が勝ち誇ったように笑う。
「人違いだ」
 違う、今のはそういう理由じゃない。
 この犬なんで今、顔に出しやがった。
「銀色の髪で十代の子供、特徴にも合致する間違いない」
「銀色ってあんなに薄汚れた色じゃないだろ」
「とにかく白っぽい髪だ。何人もゴロゴロしてる髪色じゃないだろ」
「この街でヴォルフラム様の不興を買うとは、愚かなやつだ」
 兵士達は、ショロトルの言葉を全く聞いていない。
「あぁ? さっきから何を訳のわからないことを」
「大人しくついてこい。さもなくば痛い目を見てもらうことになる」
 彼らは長剣をあるいは手枷を携えて、ショロトルににじり寄った。
「できるんならやってみろよ」
 ショロトルもナイフの位置にそっと手を這わせた。武器を持っているとバレる前に、二、三人の首を裂いてしまうか。仲間の血しぶきを吹き上げて戸惑っている隙に逃げればいい。
 職務を遂行しているだけの、善良な人。
 ミカエラの言葉が脳裏にかすった。
「くそッ」
 抜き放ったナイフを持ち替え、柄で殴る。金属の兜を殴ったところで効果は薄い。
 それでも鎧をまとった愚鈍な連中に負けるはずがない。幅をとる装備をしているくせに狭い入り口に殺到した間抜けどもの、先頭の男を蹴り飛ばし、宿の外に弾き返す。
 巻き込まれて転んだ鎧の男を踏み台にして、外に出た。
「怯むな!」
 隊長らしき男が叫ぶ。
 ミカエラを待機させている路地裏に走る。路地に入れば騎馬は追ってこれない。鎧を身につけた状態では、走ってショロトルには追いつけない。
 戻ってきたショロトルをみて顔を上げたミカエラの胴体に腕を回し、肩に担ぐ。
「な、なに、何があったの」
 お前が余計なことを頼まなければ、もっとうまく切り抜けられたんだからな。
「説明はあとだ。逃げる」
 二人は夜の街に走った。

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