箱に秘めたる払暁の刃

箱に秘めたる払暁の刃

9,軋む正義 その4

 教会の中で見ず知らずの男たちに問い詰められ、ケレイブは困惑したように首を傾げる。
「ええっとぉ、誰っすか」
 ノエルの名を知る人が現れたら、喜んで尻尾を振る人懐っこい性格のケレイブだが、この時ばかりは違っていた。
 ノエルから、彼女が組み立てた推理を聞き、警告を受けてきたばかりだ。街でミカエラや箱について聞きまわっていたから、そのことを聞きつけて近づいてくる人間がいるかもしれない、と。
 その情報を不用意に明かせば、ノエルの身の安全が脅かされてミカエラの命も危うくなる。
 兵士の身なりはしていたけれど、ノエルという名前に飛びついてきた二人の男は、ケレイブの目からは十分に怪しく写った。
「怪しいものじゃないんだが」
 スティルチは口ごもった。ヴァネッサとの関わりを抜いて立場を説明するならば、ただの流れの傭兵だ。到底、怪しまないでくれなどと言える身分ではなかった。
 代わりにヴォルフラムが、一歩前に出る。
「こちらの身元について、お前に明かす必要はない。見たところ警備兵として働いているようだな。この街の平和を維持するため、職務を果たしてもらおう。お前が口にしたノエルという子供について詳しく話せ。一体お前たちはこの街で何をしている」
 ケレイブの耳が、無意識に相手を警戒する向きにそばだった。
「名前も知らない人には、話せないっす」
 両者の間に緊張が走った。
「私はこの街の治安維持を預かっている。お前にとっては雇い主に等しい、とだけ言っておこう。なぜ話せないのか、正当な理由を言え。私はこの街の治安を脅かす人間を、拘束する権限を与えられている」
 とても穏当に話ができそうな雰囲気ではない。ともすればこのままどちらかが武器を抜いて、斬り合いに発展しかねない。後ろに下がらせてから、二人の間に割って入った。
「何もそんなに喧嘩ごしになる必要はないんじゃあ、ありませんかね。身分も名前も明かさないなら、警戒されるのは当然だ。まだこの獣人が、街の治安を脅かすと言い切る理由なんてどこにもないでしょう」
 ひりついた空気を、なんとかしたかった。どちらをフォローしようか迷い、圧倒的に味方が少ない状況の獣人の方に付く。一方的に非難されていては警戒心が募るばかりだろう。
「それが容易に明かすことができない情報だと知っているだけで、不審と断ずるに足る理由になる。身の潔白を明かしたいのなら、正直に話せば良いだけだ。信用できないというのなら、牢の中でゆっくりと考えるがいい。我々こそが法の執行者に属する側にいるのだということがよくわかるだろう」
 ヴォルフラムの態度はあくまで高圧的で、威圧的だった。
「そんな横暴をヴァネッサ様が許すとは思えませんがね」
「軽々しく名を明かすな。あまりにも浅はかだぞ」
「あんたこそあまりにも性急だ」
 こうなってくると、彼女を先に返してしまったことが悔やまれる。腕がたつ男であることに違いはないが、真面目すぎる性格が災いして杓子定規な態度が目立つ。彼に命じられるのはヴァネッサくらいで、それを諌める人間がいないのがなお質が悪い。
 身元を明かすかどうかも、ヴァネッサがこの場にいてくれたなら彼女の判断に委ねられた。
「正義に悖ることがないのなら、罰が下ることはない。臆する必要はないはずだ。私を阻む権限が、お前にあるとでも」
 ヴォルフラムが剣を抜いた。
 とうとう抜いてしまったか。スティルチは苦々しい心持ちで、武器を構える。
「あんた、どこかに逃げてもらった方が良さそうだ」
「手伝うっす」
 ケレイブに武器を抜かせたら、彼を捕縛し取り調べをする格好の理由を与えてしまう。ここは身内であるスティルチが場を治めるのが最も穏便に済む方法だ。
「いやぁ、大丈夫だ。一応、同僚だからな。面倒はこちらでなんとかするさ。スティルチ・トゥラーレだ。ノエル・クリスティによろしく頼む」
「ケレイブ・ルゥっす」
「ほとぼりが冷めたら、あんたとはゆっくり話がしたい。今は全力で走って逃げてくれ」
「ありがとうっス。また、どこかで」
 ケレイブは重鎧を着込んだ者なりの全力疾走で、教会から飛び出していった。教会の外を固めていた兵士が制止する声が聞こえた。
 ガシャガシャという派手な音は徐々に遠ざかっていく。なんとか、逃げおおせたようだ。
 問題はヴォルフラムだ。
「一体、どういうつもりだ」
 剣を収めないヴォルフラムをみる。
「こちらのセリフだ。私が常にこの街の法と正義のために。ヴァネッサ様の世を存続させるために動いている」
 正しさが軋む音がした。

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