箱に秘めたる払暁の刃

箱に秘めたる払暁の刃

8,英雄の噂 その12

「ヴァネッサ様」
 ヴォルフラムが中に入ってきて声をかけた。
「教会の世話になっているという獣人が戻ってきました。これ以上、人払いし続けるのは難しいかと」
 元来、教会は万人に開かれている。宿を求めてくる人もいる。密談をするのに向いた場所ではない。
「そうですね。長く話し混みすぎました。戻りましょう」
 ヴァネッサが椅子を立つ。その後ろに立ったヴォルムラムが不意に足を止めた。
「そういえば、お前」
 ヴォルフラムは屋内でも脱がない兜の所為で、視線がどこを向いているのかわかりにくい。敬語で話しかけていたのならヴァネッサに、ぞんざいな言葉遣いをしていたらスティルチに話しかけている。これはスティルチに向けた言葉だろう。
「ミカエラ、という名の少女を探していたらしいな」
「ああ、知人に頼まれまして」
 知人というほどの交友はなかったが、ノエルという少女との関係を他に説明しようがない。港をうろついていたら声をかけられた知らない相手ですなどとバカ正直に答えれば、仕事ぶりを疑われるに決まってる。
 教会を辞しかけていたヴァネッサが、血相を変えて振り向いた。
「待ってください。なぜ、あなたがミカエラ様を」
「ミカエラ“様”?」
 それはスティルチも、話題を振ったヴォルフラムでさえ気圧されるほどの剣幕だった。
「それは、今お話した領主の一人娘の名です。ミカエラ・ゼネフェルダー。なぜスティルチ様が、ミカエラ様の消息を尋ねているのです」
「なぜ、と言われましてもね。件の知人もその少女を探していたのです。街の動向を探る上で、人の消息を尋ねる程度さしたる手間にならないと思って引き受けた。ただそれが領主の娘の名前だったというのであれば、事情は変わってくる」
 領主の証である箱が見つかり、海賊に奪われて紛失した。同じタイミングで街に現れた行方不明の領主の娘の友人を名乗る少女。
「その人物が探すミカエラという人物と、私たちが知るミカエラ様が同じと断定するのは早計ですが、全くの偶然とも思えません。一体何者なのです?」
「単なる旅の子供に見えましたが。ミカエラという少女は、友人といっていました。同じくらいの年頃です」
「ともかく、一度話を聞いてみたいのですが。連絡を取る手段はありますか?」
「逗留先は聞いています。明日、連絡を取りに行きましょう。とにかく一旦落ち着いてください。すでに日も落ちた。明日にいたしましょう」
 止めなければ今すぐ微睡む鯨亭に走って行きそうな剣幕だった。スティルチ自身、気が急いていた。
「あ、あのぅ。まだマズイっすか」
 黒い頭巾をかぶった重戦士が、入れ替わりに扉の影からのぞいていた。サミュエルが、すかさず対応に出る。
 世間話で間を持たせ、教会の中にいた先客に注意が向かないように奥に足を向けさせる。流石の気遣いだった。その隙にヴァネッサはそそくさと、教会から立ち去った。
「ああ、申し訳ないですね。ずっと外で待っていて冷えたでしょう」
「毛皮あるんで、平気っス」
 件の獣人らしい。
「最近、遅いですね。仕事が大変なのですか」
「仕事の後に人探ししてますから。今日は仕事が長引いちゃっただけっすけど」
「そうでしたか。食事はどうされます」
「あ、外で食べてきたから平気っす」
「おや、毎日どちらで」
「微睡む鯨亭っす」
「よほど気に入った店なのですね。たまには私の手料理を振る舞う機会を与えてください」
 微睡む鯨亭。人探し。門番の記憶に残っていた銀色の髪の少女と獣人の話。
「もしかしてノエル・クリスティの連れか」
 思わずスティルチは口を挟んだ。
 耳がピンとたつ。
「ノエルちゃんの友達なんすか」
 突然話しかけられた獣人の語尾が上がる。
「え、えーと?」
 こんな偶然があるのか。それとも運命に導かれているのか。二人は顔を見合わせた。

Page Top