箱に秘めたる払暁の刃

箱に秘めたる払暁の刃

8,英雄の噂 その10

 ケレイブとは食事をとるときに待ち合わせて、定期的に連絡を取っていた。
 人の視線がやけに気になってしまい、顔を隠して待つ。すぐにでも宿を変えたかったけれど、そうすると仕事に出ているケレイブと連絡を取る手段がなかった。
 こんな日に限って、やってくるのが遅い。
 やきもきしながら待っていると、窓の外にようやくその姿をみつけた。今日ばかりは見つけやすい大柄な体に感謝した。二人とも顔を隠していると不審なことこの上ない。
 その顔にトラブルの気配がなかったことにひとまず安堵した。
「今日は遅かったね」
 ケレイブの鼻筋にシワがよった。これは我慢ではなくて、嫌なことを思い出している時の顔。
「ほーこくしょが」
 綴りがわかっていない拙い発音だった。
「報告書?」
「強敵っす」
 神妙な顔をして頷く。手の周りの毛皮についたインクの染みが、彼の格闘を物語っている。
 白い紙を前に途方にくれるケレイブの姿が容易に想像でき、ノエルは思わず微笑んだ。
「いつもはそんなの書いてなかったでしょ?」
「オレ、大活躍っすから」
 ケレイブは喜んで武勇伝を話してくれた。
 路地裏に少女を引き込んだ悪漢を懲らしめ、襲われていた青年を助けたのだという。怪我人がいたのでその場は見逃してしまった悪漢を手配するために、諸々の書類の作成が必要だったらしい。
 武勇を語るケレイブが、若者を病院に連れて行ったくだりを話し始めたあたりで固まった。
「あー!!」
 しばらく硬直した後に、大声をあげて立ち上がる。店中の視線が、彼に集まった。
「ど、どうしたんじゃ」
 思わず素の口調に戻る。
 今日はこれから周囲にはばかる話をしようと思っていたのに、注目の的だ。とにかく慌てるケレイブを椅子に座らせた。
「見つけた、見つけたっス」
 興奮を抑えきれない様子で、ノエルの肩を掴む。
「一体何を」
「ミカエラちゃん! 金髪で青い目で、男の子みたいなカッコして」
「本当か?!」
 流石に冷静ではいられなかった。
「ひとり旅じゃなかったから気がつかなかった。ミカエルって名乗ってたっス」
「嘘が下手くそじゃな」
 男のふりをしているのを忘れて名乗りかけ、慌てて方向転換をしたんだろう。人を騙すのもごまかすのも不慣れな彼女の様子が懐かしく思い出されて、ノエルは微笑んだ。
「俺のバカバカ。どこに泊まってるのかも一緒にいた人の名前も聞けなかった」
 ケレイブは自分を叱咤するように、拳で自分の頭をボコボコと殴る。
 誰かと一緒だったなら、心強い。ミカエラが頼りにした人なのだから、必ず彼女の窮状を救ってくれる。
 方針は間違っていたけれど、探す場所は間違えていなかった。ミカエラはこの街にいる。生きて誰かと一緒にいる。それが分かっただけでいい。
「無事がわかっただけでも、良かった。それに彼女が何に巻き込まれているのかもわかってきたところだし」
「そうなんすか?」
「ああ。彼女の本名は多分ミカエラ・ゼネフェルダー。前領主の血族じゃ」
 街に広がっている英雄の噂と合わせるのなら、そこには残酷な答えがあった。

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