ノエルは街に来て以降、ミカエラの手がかりを探していた。
港で出会ったスティルチと名乗る男に、期待をかけているわけではない。ただ向こうが群衆の中からノエルを見出したように、ノエルも彼を無視できなかった。本当にただの職なしというわけでもないだろう。
(幸い悪い人ではなかったけれど)
その心の内を覗き込んだ上で彼は信用できる、と判断した。ミカエラの捜索はケレイブにも頼んではいるけれど、街は広い。人手は少しでも多い方がいい。
ノエル自身はここ数日、素材の点から箱を作った人間を探していた。ケレイブの言う通り、変わった材質でできている。訪ねた鍛冶屋や細工職人は、みな顔をそらして知らないと答えた。
人の心を見透かす能力がなかったとして、彼らが何かを隠していることはすぐにわかった。よそ者を警戒して頑なな彼らから、一朝一夕で隠し事の正体まで聞き出すことはできない。
ただ箱を見せて質問をすることで、こちらの手の内を見せてしまっていることは確かで、ひょっとすると致命的に手を間違えているのではないかという焦燥感が募っていた。
答えは、その日の最後に訪れた鍛冶屋で見つかった。
「お嬢ちゃん、こりゃまずいなんてもんじゃないぞ」
それは、店構えを見ても立地を見ても、街で最も古くからある鍛冶屋で間違いなかった。
ノエルから見ればまだ若造といって差し支えないが、老年の店主は箱を見るなり布を被せてそれを視界から隠した。嘘は言っていない。そして親切な人だ。
「おじさん、これがなんだか知っているんですか?」
「何かはわからん。だがこの表面に刻まれてるこいつがまずい。これは、ゼネフェルダーの家紋だ」
ゼネフェルダー。街の人間ではないノエルもその名前はくらいは知っている。悪名高き前領主の名がアルベルト・ゼネフェルダーだ。
「ゼネフェルダーはそこまで憎まれていますか」
縁の品を持っていただけで、脅かされねばならないほどに。
「憎まれてるさ。だがそれ以上に今の領主だ。エスメールの街で、アルベルトの匂いを少しでもさせたやつはタダじゃ済まない。首を括られるかもしれん」
「その程度のことで」
「厳しい人なのさ」
朝、広場で処刑をみた。
海賊と通じていた罪人だというけれど、間際まで身の潔白を訴える顔が目に焼き付いている。彼らが嘘をついていないかどうか確かめるには距離が遠かったし、時間がなさすぎた。
街を満たす過剰なほどの監視の目。一見すれば、安全で清潔な街。
「この箱、開けられますか?」
「手順を知らなきゃ、開かないだろうな。この技巧は、この街の人間には誰も手に負えない。材質は、イオシス鋼だ。多分、ドワーフに造らせたんだろうなぁ」
イオシス鋼を用いて、街にはいないドワーフが作った代物。それだけとっても、領主の持ち物だったという証拠としては十分に過ぎる。
それを持っていたミカエラという少女。
革命によって街を追われた彼女が持ち出すことができた、唯一の品物だと聞いている。とても大切で、誰にも渡してはいけない。
ゼネフェルダーの名が加われば、その中身は嫌でも察しがつく。
「どうやって手に入れたもんか知らんが、この街でこんなもんを持ってちゃいかん。あんたが領主の腹心でもない限りはな。俺は見なかったことにする。お嬢ちゃんも早いところそんなものは手放した方がいい」
「ご忠告、ありがとうございます」
革新派からはヴァネッサから統治権を奪わんとする保守派の一派と思われるかもしれないし、保守派からはアルベルトを暗殺した人間の一派だと思われるかもしれない。
人は信じたいことを信じる。彼らに対して確たる信用を得られるだけの身の証がなければ、無関係を主張するのは難しい。この鍛冶屋の人が言っているのはそういうことだ。
彼には他の人と同じように、黙っているという選択肢だってあった。優しくて誠実な人だ。
この街の人は、皆なにかに怯えている。周りの目を警戒し、人の行動を疑っている。ことさらに厄介ごとを避けようとする性質が強い。
アルベルトの治世で抑圧されていたせいなのかもしれないけれど、彼らを締め付けているのはきっと、過去の名残ではなく今の不安だ。
革命で暗君を倒し、平和を手にした街。
ノエルが生きてきた時間は、人よりも長い。沢山の街を旅し、人の暮らしを見てきた。その経験と勘が、この街に横たわる歪みの気配を嗅ぎ取っていた。
ミカエラはこの箱に何が入っているのかも、その開き方を知っている。
それでノエルに託したのだ。
賢い子だ。箱と鍵が別々にある限り、中身は誰にも取られない。誰かに捕まったとしても箱がノエルの手元にある限り、鍵であるミカエラが殺されることもない。
でも、中身がノエルの想像した通りのものであるならば、街でミカエラを探していた人間のことはきっとすぐに嗅ぎつけられる。
知らない間に、窮状に立たされているのではないか。
鳥肌がたった。ケレイブと連絡を取り、宿を変えよう。