箱に秘めたる払暁の刃

箱に秘めたる払暁の刃

8,英雄の噂 その7

 裏稼業の人間らしからぬ夢見がちな話だった。
 困っていたら誰かが助けに来てくれる。悪い奴をやっつけてくれる。現実に、そんな都合のいいおとぎ話はない。誰も助けてくれないし、悪は滅ぼされない。だから悪い奴の側に回ってでも、生き延びることを選びこの道に入ったのではないのか。
 だが、男とそんな議論をするつもりはなかった。
「一体、なんなんだそりゃ」
「前の領主を殺したやつさ」
「今の領主じゃないのか」
「違う。領主が暗殺されて、空いたところに誰が収まるかで喧嘩をした。勝ったのがヴァネッサだ」
 ショロトルは街の内情には明るくない。興味がないし、知る必要がなかったからだ。
 それでも街が荒れていたらしいことと、領主がかわったらしいことは風の噂で聞いたことがあった。港町だからそのくらいの情報は入って来たが、内陸の街ならば全く知らないままだっただろう。
 レクターならば、世情に詳しいから把握していたかもしれない。その上で、子供との話に何か思うところがあったのだろうとそんな予感があった。
「暗殺したやつは今もどこの誰だかわかってない。だがそういう奴がいたってことは、みんな知っている。行方知れずだが、殺されたって話も聞かない。どこからともなく現れて、領主を殺して何処かへ去った。だからみんないうのさ、悪い領主から街を救ってくれた英雄だって。今の領主が道を外したらまたそいつがやっつけてくれる」
「暗殺ならお前らの得意分野だろ。ギルドが主導したものじゃないのか」
「俺らじゃない。計画しちゃいたがな。アルベルトの治世は悪くなかったが流石に度が過ぎていた。人がいないところでは俺らだって暮らせない。だが領主の暗殺となればそう簡単にことは進まなかった」
「計画していたってことは、仲間を潜り込ませるくらいはしていたんだろ。その英雄とやら、あんたらは素性を知ってるんじゃないか」
「どうだろうな」
 男の口が重くなった。思わせぶりな態度の言わんとすることを理解し、テーブルの上に銀貨を置く。
「銀貨一枚か」
 不服そうな顔をした。
「手付けだ。いうほど面白いネタだったら、追加する」
「ふん、いいだろう。どうせ懐に温めていたところで、売り先もないだろうしな。とっておきを教えてやる。お前のいうとおり当時、館の中にはギルドの仲間がいた。そいつが仕入れて来た話だ」
 噂は噂でしかなく、ぼんやりとして人々の希望で美化されている。だが、館にいたのなら当事者だ。輪郭が鮮明になり、物語に肉がつく。人々の頭の上に浮かぶうすぼんやりとした英雄が、人間になって地に足をつける。
「領主をやったやつは、年端もいかない子供だった」
「へえ、子供ね。それがお前のいう価値ある情報っていうんじゃないだろうか」
 それだけでは、英雄の噂と情報の価値としては変わらない。
「そんなところに、ただの子供がいるわけがない。領主の館に入れるのは、領主の子供だけだ」
「なんでわざわざ親を殺す。そんなひどい暮らしぶりだったのか」
「いいや、アルベルトは一人娘を溺愛していて、館からほとんど出さなかったらしい。箱入りだな。だから娘がいたってことすら、街の連中はしらない」
 部屋の外に視線を送りそうになるのを、こらえた。そこに立つ子供の顔を今すぐ確認しに行きたかったが、ショロトルは武器屋の店主にそこまでの情報を開示するつもりはない。
「なるほどな。面白い話だった」
 テーブルの上に金貨を七枚重ね、銀貨を二枚置く。
「こんなにいいのか」
 男の口元がにやけた。
「こっちはナイフの代金だ」
 積み上げた金貨の方を指す。値切りもせずに定価で買おうというのだから、情報の追加料金としてもそれなりの値だ。
「売れないっていっただだろ」
 あいにくとこちらの要件はもう済んでいる。それ以上の交渉を重ねるつもりはなかった。
「盗まれるのとどちらがマシだ」
「ロクでもないな。待ってろ店から出してくる」
「こっちを置いていくから、壊れたことにしろよ」
 折れたケルバーナイフを示す。
「ごまかせるか。一体どんな使い方したらケルバー水晶の刃が粉々になるんだ。店から取ってくる。それを持ったら、早いとこ出てってくれ」
「なあ、一つ確認なんだが」
 店舗の方に向かう店主の背中に声を掛ける。口には出さないまでも、まだ用があるのかとその顔は言いたげだった。
「領主の子供は、“一人娘”で間違い無いんだな」
「そりゃ、娘と息子は間違えないだろうよ」
「そうだな」
 ショロトルは苦い顔をした。

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