箱に秘めたる払暁の刃

箱に秘めたる払暁の刃

8,英雄の噂 その5

 居心地の悪い街だ。
 裏の人間がいない。
 光の下に出れば、足元には影が落ちる。それは防ぎようがない。盗賊ギルドはそうした街の暗がりを管理している必要悪だ。
 統制をとる人間がいないから、昨晩のような素人が街の表まではみ出してくる。
 本業の人さらいならばもっと巧妙に立ち回るから人目につかない。そして、子供に対しては親切そうな顔をしているものだ。
 この街には悪党らしい悪党がいない。路地裏にたむろしているチンピラが精々だ。職にあぶれて他に行きどころがない連中が蟠っているにすぎない。
 組織だった犯罪があれば、街の中には裏稼業にしかわからない印がある。それらの印はギルドは縄張りを示し、よそ者に伺いを立てるべき相手が誰か教える。
 暗号解読の方法がバズルゲームのようで興味を引いたらしく、後をついて歩くミカエラはそれらの印の読み取り方をしきりに知りたがった。堅気の人間に裏社会のルールを教えるわけにはいかないが、退屈しのぎになる程度のことだけ教えてやりながら、痕跡を辿る。
 この街に刻まれた印は、どれもひどく古い。かろうじて読み取れる程度で、誰も更新した形跡がない。建て替えによって印が途切れているか、持ち主が変わって堅気の人間が入っている。
 なんとか途切れずにつながっている印を見つけ、半日ほど時間をかけて終点の扉までたどり着くことができた。
 表に回るとそこはどうやら武器屋の建物であるらしかった。店構えはまだ新しい。
 覗き込み店主が中にいることを確かめると、あえて裏口に戻り扉を開ける。
「な、なんでわざわざ裏から入るの?」
 ミカエルが戸惑い気味に、声を上げた。
「なんだあんたら」
 店主が突然の闖入者に身構える。ミカエラが、申し訳なさそうに頭を下げた。
 返事はしない。無言で押し入ると、店主は怯えて商品の一つを武器を手に取った。
「な、何しに来やがった。兵士を呼ぶぞ」
「ギルドに所属しているな」
 店主の怯える一般人の仮面に亀裂が入る。動揺しているはずの表情の中で、目だけ冷静にショロトルを頭のてっぺんからつま先まで観察したのがわかった。
「ギルド? 商工ギルドか」
「盗賊ギルドだ。わかっているだろ?」
「さっぱりわからん。なんのことだ」
「街にある印をたどった」
「街は変わった。前の持ち主がそうだったんだろ、俺は関係ない」
 大抵はそうだ。持ち主は堅気に変わっている。だがここにつながる印だけ、意図的に削ってあった。印が何を意味するのかわかっている人間でなければそんなことはしない。削られた跡はまだ真新しかった。この街の店構えもまた新しく最近、看板を変えたことが読み取れた。
「もっとマシな嘘をつけ。騙されてやる気にもならない」
 にべもなくはねのける。
 男は押し黙ったあと、追及からは逃れられないと思ったのかギルドの構成員であったことを白状した。
「だが、もう足を洗ったんだ。お前らみたいなのとは金輪際関わらん」
「そうか、ナイフの切れ味が鈍っているみたいなんだが、あんた確かめてくれるか?」
 胸ぐらを掴み、首筋にナイフを圧しあてる。磨き上げたナイフが薄皮を切った。
「わかったわかった。何が望みだクソッタレ!」
「通常業務のついでに話を聞かせてくれればいい。面倒は持ち込まないさ」
「もう十二分に面倒ごとだ。ここじゃまずい奥に行きな」
 店主は扉の表にかけられた札をクローズドに架け替えると、顎で奥を示した。
「あの、ごめんなさい」
 ミカエルが頭を下げる。
 店主は片眉を上げた。
「小僧、本当にあいつの連れか?」
 疑うのもわかる。街の暗がりを生きてきた人間とそうでない人間では、目が違う。人の悪意を見て理不尽にさらされた数だけ、現実に対する諦念が宿る。宿で働いていた子供にもあった。ミカエルにはそれがない。
「厄介ごとに首を突っ込みたいのか」
 釘をさすと、店主は首をすくめて口を閉じる。店の奥で、三人は机を囲んだ。

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