ヴァネッサとスティルチに共通する知り合いは、ヴォルフラムを除けば一人しかいない。
教会の神父、サミュエル・ワーズワースだ。
ヴァネッサは以前から、信仰のためというよりは懺悔のために、足繁く教会に通っていた。元は罪を量る裁判人という職務による心労から、今は領主代行という肩書きが与える重圧が大きい。
もっともサミュエルは革命以前の彼女を支えた神父と、同一人物ではない。
前任の神父は、ヴァネッサ暗殺未遂事件が起こった時に、彼女をかばって命を落とした。
ヴォルフラムが顔に傷を負い、兜を一切脱がなくなったのも、この時からだという。
その一件以降、彼女は教会に恩義を感じており、援助を惜しまない。サミュエルも政治にこそ関わっていないが、革命直後からヴァネッサを支える良き協力であり、理解者だった。
スティルチが運んだ船の荷もカモフラージュのために、教会の調度品という名目でやり取りされた。
ヴォルフラムを除けば、領主代行に最も信頼されている人物といえるだろう。
教会で信者に混ざって長椅子に座り、ヴァネッサが来るのを待つ。
サミュエルは一瞥をくれ、何の要件か理解したらしい。お互い慣れたもので、こちらが目立ちたくないことを察すると、声をかけてくることも、変に意識して距離を置くこともしなかった。
やがて日が落ち、信者の帰った教会の中は伽藍堂になった。
扉が軋みながらゆっくりと開く。
サミュエルが入ってきた人物の顔を見ると、こちらに頷きかけ裏手に消えた。
足音が、近づいてくる。
少し、離れた場所に腰掛けた。
「お久しぶりです」
「ご無事でしたか」
「はい。こちらは恙無く。スティルチ様はお元気でしたか?」
「見た目ほどじゃありません。頼まれたことが思ったように進んでいない。調べれば調べるほどこの街の白さが見えてくる」
「ヴォルフラムですら、捕まえられないでいた相手です。容易には存在を気取らせないでしょう。困難な仕事であると理解はしていますが、お願いいたします」
厳格で冷徹という世間の評価と異なり、ヴァネッサ・チェルハという人物の印象は丁寧で柔らかい。雇い主であっても、身分が上であっても人に頭を下げることを厭わない。
「わかっています」
たとえ姿が見えずとも、一人の死者と一人の怪我人を出したのは事実。
「他に、街で変わりはありましたか?」
「街で、処刑を見ました」
口にすべきことではないかもしれない。仕事とは関わりがないし、ワーズワースが慎み深くも距離を起き続ける政治の話に、突っ込んでしまいそうでもあったからだ。
ヴァネッサの顔が曇ったので、別の理由で聞くべきではなかったと思った。
「ええ、罪人の処断も未だ私の職務です」
「知った顔だったので、少し気になりまして」
「そう、そうでしたね。あなたにとっては、旅を同じくした仲間でした」
「一体彼らはなんの罪だったんですかね」
「彼らは海賊とつながっていました」
「それは……」
ない。
船に乗る前に乗員の素性と素行は調べた。それが至らなかったから海賊に嗅ぎつけられたのだと言われれば、否定するすべはないが。
「情報の出所は?」
どれほど調べても出なかったものが、今になって明らかになった理由がわからない。
灰色髪の海賊は、気がつけば船の中にいた。常識的に考えるなら、事前に手引きがあった以外には考えられない。だがスティルチはその手品を可能にする力に、心当たりがある。
聖痕の奇跡。不可能を可能にする力。
もし海賊が船に潜り込んだのが、聖痕の奇跡による力だったのであれば、船員が関与する余地はない。失われた命は、本当に奪われるべきものだったのか疑問が生じる。
「信頼できる情報、としか申し上げられません。それを明らかにすることは、情報提供者を危険に晒し迷惑をかけることになります」
言うことは最もだ。
「確信があるのなら、構いません。ただ、海賊と繋がっていたのなら、何か手がかりが掴めたかもしれない。そのことが気にかかっただけです」
「大した情報は得られなかったでしょう」
そう言い切ってから、ヴァネッサは表情を和らげた。
「おっしゃりたいことはわかります。だから私は感情がない冷徹な人間なのだと言われてしまうのでしょう。しかし、私たちは罪を恐れません。道を外したものに手を下すことを躊躇えば、さらに大きな悲劇を生むことになる。私たちはそのことを学びました。ですが」
ヴァネッサはそこで、言葉を切った。続きを促すように彼女を見ると、うつむき膝の上で組んだ両手をじっと握りしめていた。
「民は私のやりように、不安を覚えていましたか?」
不安そうに尋ねるその顔は決して、感情がない人間のそれではない。
「英雄とやらを拠り所にしているようでした」
拠り所というよりは、信仰に近いものだった。
「英雄などではありません!!」
ヴァネッサは突然声を荒げた。革命に関わった彼女が知らぬはずはないと思っていたが、この態度やはり英雄と呼ばれるものが誰なのか知っている。
「あれは、そんな綺麗事にして良いことではなかった」
頭を振る。その声が震えていた。