箱に秘めたる払暁の刃

箱に秘めたる払暁の刃

8,英雄の噂 その3

 領主の館をおとなったからといって、すぐに彼女に会えるわけではない。暗殺未遂事件が起こってからは、特に厳重に彼女の在所は隠されている。
 どこで何をしているのかは、当日の警護を担当するもののみに知らせ、人員は定期的に入れ替える。執務にあたる場所も頻繁に変わる。中心となるのは領主の館だが、都市整備の進捗を確かめ計画を練る為に、外に出ていることも多い。
 スティルチが離れた今、彼女の周辺の人員配置はヴォルフラムが一人でこなしているのだろう。迫りくる脅威をただ武力で払うより、そちらの方が神経を遣い、厄介だった覚えがある。
 領主の館に赴き、ヴァネッサに会って話をしたい旨があることを言付ける。
 ついでに門まで足を向け、人の出入りを確かめて警備の兵に話を聞く。ミカエラという名前とひとり旅の子供について確かめた。
 幼い少女が一人旅をしていれば目立つようで、記録になくとも記憶には残っていた。関を警備に当たっていた兵士の一人が、妙に目立つ子供を見たと証言した。
 名前がミカエラかどうかは知らないが、その特徴は銀色の髪と青い瞳。一人でここまできたようだが、門のところで知り合いらしい獣人と出会い、連れ立って街に入ったという。
 獣人の方は知らないが、少女の方はスティルチの知ってる人物だろう。なるほど確かに、彼女もひとり旅の少女には違いなかった。
 他にめぼしい情報はなく、海賊のような明らかに不審な人間が通った気配もない。
 街の警備に相当の人員を割いていることもあり、エスメールの街は治安がいい。ならず者が入り込んでこようとすれば、ひとり旅の子供と同じくらいに目立つ。
 もちろん路地裏に入れば素行の悪い連中が屯しているし、盗みや暴力で捕まる人間だっている。だが世界にはもっと治安が悪く、女子どもが一人で出歩けないような場所もある。ごく最近まで荒れていた内情を考えると、驚異的な速度で規律を取り戻しているといえた。
 その影響か、この街には裏組織がない。
 それなりの人口を備えた都市には、必ずといっていいほど犯罪者を牛耳る盗賊ギルドや、社会からあぶれたならず者をまとめている存在がある。その手の裏社会の人間は、相手の利益を害さない形でうまく交渉すれば、いい情報源になる。
 ヴァネッサの身辺警護を受けていた頃から、接触を図ろうとしていたのだが、徒労に終わっている。
 尻尾をつかませないくらい巧妙に隠れている可能性も考えたが、彼らは街の裏である以上、表社会との関わりを断つことも離れることもできない。影も形もみせないままに、動き続けることなどできるはずもない。
 それなりの時間をエスメールで過ごしたスティルチには、裏組織はないのだと断言できた。
 街におり人々の中に混じってより詳しく調べても、その印象は変わらない。
 だからこそ、ヴァネッサの暗殺を目論んだという連中がどこから来て、一体どこに消えていったのか疑問だった。
 彼らが未だ街に潜伏しているというのなら、一切情報を外に漏らさない統率力を持った、途方もなく用心深く、巧妙な連中だということになる。
 内部で尻尾を掴めないのなら、外部との関わりの中に見つけるしかない。
 日が傾くまで調べ、領主の館に戻るとヴァネッサからの返答が届いていた。蝋封の施されたそれは本人からのものに間違いない。
 中身は非常に短い文面の手紙だった。
 “日没後、共通の知人のもとで”
 白い紙の中央に、几帳面な字が詰まっていた。

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