教会の鐘は二つの音を持っている。
一つは、祝福。例えば誰かの婚姻を寿ぐ時。
もう一つは、追悼。誰かの死を悼むために鳴らされる。
広場には、絞首台がある。
前領主の時代は、そこでたくさんの命が断たれたと聞いている。今となっては前領主の遺物であり、過去の悲劇を忍ばせる史跡でしかないと思っていた。
絞首台の前に、鎖をかけられた人間が並べられていた。
概して罪人の処刑とは、大衆にとって勧善懲悪のエンターテイメントだ。正義とは“悪人がやっつけられるのを見ると気分がいい”という単純明快な欲望から成り立っている。
相手は死んで当然のことをしたという免罪符を得て、処刑人が執行する暴力の代行。
だが広場には、そんな処刑にありがちな熱に浮かされた空気はない。顔を伏せ、ボソボソと言葉を囁き交わす民衆の顔は暗い。
足を止めたのは、大衆に混じって残虐な娯楽を眺めようという野次馬根性からではない。
罪人が、みな見知った顔をしていたのだ。
寝泊りを共にした日々は、記憶に新しい。船の乗組員達だ。酒を飲んで騒ぐ陽気な船乗りに、首を括られるような罪はあるのか。
役人の声は広場の端にいるスティルチの元まで、聞こえてこない。
ヴァネッサからの任を受けた時、船に乗る人間の身元と素行は確かめた。帰港して間もない。一体なんの罪を犯せばこれほど速やかに処刑台に送られるというのだ。
(領主の証を奪われた咎で)
背筋がひやりとした。
そうであれば、同じ罪を負っている。いや、罪の疑いある身に密命を負わせはしない。理性が冷静に否定をするが、言葉を交わし旅を共にした顔見知りが首を括られる様は、胸を騒がせた。
思わず近くの男に尋ねたが、彼も罪状は聞いていなかった。
惰性で広場に来ているだけで、目の前で起こっていることに興味がないように見えた。
彼だけではない。表立って反対の意を表明するのが嫌だから、来ている。広場にいる人間全体に、そんな消極的な空気がある。
「あれが、使われることは多いのか」
振られたい話題ではなかったのか、男は顔をしかめた。
「ああ、そうだな。実際のところ処刑される人間の数は、前の領主の時とそんなに変わっちゃいないのさ」
周囲の耳を憚るように、男は小声で教えてくれた。
初めて耳にすることだ。街は平和になったものだと思っていたし、平和になったのであれば処刑される人間は減ると、当たり前のように思っていた。日常の中で、教会の鐘は何度なっていたか、数えたことはない。
「そんなに処刑が多いんじゃ、不安になるだろう」
「じっとしていれば過ぎ去る。それに、おっかないことがあったら、きっと英雄様が助けてくれる」
男の声が始めて熱を帯びた。
「英雄?」
「前の領主を殺して俺たちを助けてくれた。今の領主が道を誤ったら、また英雄様が殺してくれる」
早口にいう男の言葉には、確信に満ちていた。まるで信仰だ。
領主が死んだあと内乱が起こり、ヴァネッサが今の地位を得たのは本人の口から語られた。内乱の切っ掛けとなった領主の死について、詳しく調べたことはない。
それは街を訪れる前に始まり、終わっていた。
男の声に滲んだ熱は、革命の物語に降って湧いた英雄の影を印象付けるに十分なものだった。
悲鳴とも歓声ともつかない声が、さらに詳しく話を聞こうとしたスティルチを遮った。
一人目の首が括られたのだ。
慣性に従うだけになった体が揺れている。
一体、あの男が何をした。
思わず目をそらした。それ以上、場にとどまり続けるのはあまりにも辛い。
いずれヴァネッサに、確かめれば知れることだ。速やかに命をとらねばらならないほどの罪ならば、彼女の耳に入らない道理はない。
スティルチは街で調査をつつがなく進めるために、特権的立場を与えられている。だが、処刑を理由もなく止められるほどの権限ではない。密命で動いているのに、こんな大衆の目のある場所で付属する権限だけを振りかざせる訳も無い。
始まってしまった処刑を前に、できることなど何もなかった。