食事を終えると、出かける準備を整えた。外を歩き回るのに必要のない荷物を分け、顔を隠す。
そして部屋を出る前に銀貨が数枚、手渡された。何日かの食事になるし、宿にも泊まれる。これだけあれば、いざとなった時に逃げ出しても十分にやっていける。
この金額の分くらいは、お互いに信頼が生まれたんだろうか。
「歩いている最中に、腹が鳴ったら使え」
小さな革袋の重みをかみしめていたら、余計な一言を添えられた。海賊は声を立てずに、片頬を持ち上げて笑っていた。
廊下にでると、例の給仕の少年の後ろ姿が見えた。どこかの部屋に食事を運んだ帰りらしい。彼がパンを盗み食いをしていたのだと聞いた上でよくよく観察すれば、唇がバターでテカテカしているし、シャツにパンくずがくっついているのがわかる。
「おい、お前ちょっとこっち来い」
廊下を走る痩せた背中に、ショロトルが声を掛ける。
少年はびくりと体を震わせてから、恐る恐る振り向いた。
客に声をかけられる時なんて、仕事を言いつけられる時か怒られる時くらいしかないせいだろう。その上、振り向いた先にある顔はお世辞にも友好的とも社交的ともいえない顔立ちなのだから、怖かったに違いない。
「僕、仕事が」
やはり尻込みをして、傍に来るのを躊躇っていた。
「いいから来いよ、すぐに済む」
手振りでショロトルは、自分の正面を指す。
有無を言わさぬ調子だったので、少年は渋々ショロトルの前に立った。
さっき意見をぶつけた件で、少年が何か言われてしまうんだろうか。パンを盗んだことで問い詰められたら、可哀想だ。
「この宿を埋めつくすくらい、たくさんの金があったとする」
心配するまでもなく、切り出したのは何てことはない世間話だった。そんな風に人と積極的に交友を深めるタイプには見えなかった。
少年も同じ印象を持っていたようで、言われたことを理解するまでに間が空いて、ぽかんとした表情をショロトルに向けた。
「そんなの、あるわけないよ」
どうやら怒られるわけではないと緊張を和らげた少年は、幾分か気楽な調子で返した。
「いいからあると考えろよ。お前、それを人に話す時になんて説明する」
「宿屋がいっぱいになるくらいのお金?」
「それは俺が言ったままだろ。別の言い方だ」
目の前の青年の機嫌が悪くなりそうだったので、少年は慌てた。想像を頭の中でいっぱいに膨らませて、目を閉じる。
「ん〜。腹一杯、肉が食えるくらいのお金」
自信のある答えだったらしいけれど、ショロトルの反応はイマイチだった。
「それじゃバケツ一杯分も減らない。銅貨じゃないぜ、金貨だ金貨。銀貨よりも上のやつ」
「そんなに? そんなのわかんないよ。金貨なんて見たことないもん」
少年は拗ねたように唇を尖らせた。
「答えたらこいつをやる」
ショロトルの指の上で、銀貨が跳ねる。触ったこともない硬貨をみて、少年の顔が輝いた。
「ほんとう?!」
「ああ」
わけの変わらないなぞなぞに付き合わされるのがうんざりだけど、代わりに銀貨がもらえるのなら悪くない。
首をひねって考えて、しばらく唸ったあと閃いたように顔を上げた。
「じゃあ、王様が一生遊んで暮らせるくらい!」
「よし。いっていいぞ」
ショロトルは銀貨を投げた。子供はそれを受け取ると、嬉しそうな顔をして走りさる。
「子供、好きなの?」
そうは見えないけど、というニュアンスを言外に込めた。
「情報収拾だ」
「ふーん」
あんなことで何かわかるとも思えない。何もわからないということを明らかにするためという、彼なりの理由があるのかもしれない。
子供の背中を見送っていると、不意に手首を掴まれた。
振り向くと、驚くほど近くにショロトルの顔がある。
身動きが取れない。肉食の獣に似た虹彩が、鮮明に見えた。薄く緑色が散った両眼が恐ろしく、手足が強張って動かない。
「お前、平民のガキじゃないな」
心臓が跳ねた。
「な、なに、いきなり。どこからそんな話が出てくるの」
「宝の話だ」
「信じてないんでしょ」
「信じてない。だがどんな嘘をついたかは、真実よりも如実にそいつが誰かを映す。たとえ嘘でも全く知らないことは語れない。“街一つ贖える”なんて言い回しは、さっきのガキからは絶対に出てこない」
手首を掴む指先が、脈を測っていると気づいた。ヘイゼルの瞳が、表情の揺らぎや瞳孔の動きや息遣いの乱れを注視している。
嘘は無駄だ。全て見られている。
「目的は一致してるはず」
どうして、こんなだまし討ちのようなことをするの。
「俺はお前じゃなくて、俺の目的のために動くといった」
ショロトルの目的はあくまで、船が襲われないようにすること。それは敵と取引をした方が容易に成し遂げられるかもしれないし、箱詰めになっていた子供を元の通りに箱に詰めなおして送り返せば済んでしまうことかもしれない。
今は敵ではないけれど、味方でもない。
取引をするべき相手が見えないから、手札の一つとして守ってくれている。相手の正体が明らかになったとき、海賊はきっと敵になる。
信用したら、きっと足元を掬われる。