箱に秘めたる払暁の刃

箱に秘めたる払暁の刃

7,嘘と駆け引き その4

「そりゃ、わざとだろ」
 店主のことを話すと、事も無げにショロトルは言った。
「なんで、そんな酷いこと」
「酷い?」
 お湯を浴びたショロトルは、さっぱりした顔をしていた。包帯も取り替え、血生臭さはない。本当は自分で使う予定のお湯だったのに、乾いた血が溶けたお湯は流石に使う気になれない。
 朝食は部屋まで運ばせたので、彼が食事に降りている隙に済ませる作戦も潰えた。
「だって、そんなことされたら困る人がいる」
 不満で思わず唇が尖る。
「困らないやつしか払わない」
「一食だって事欠く人はいるでしょ。騙し取られて困らないわけないよ」
 この人は、奪う側だからそんなことが言えるんだ。飢えて苦しんでいる人の気持ちなんてわからない。
「余分に払った銅貨一枚で飢えるような奴は、金を払ったかどうか覚えてないなんて、間抜けなことにはならない。命に関わるからな。お前にはその切実さがないから騙されるんだ」
「騙される方が悪いってこと?」
「いいや、騙す方が悪い。だからって騙す人間がなくなるわけじゃない。喚いたところで大抵の場合、取られたものは帰ってこない。騙したやつを牢にはブチ込めるだろうがな。だからみんな騙されないように気をつける。それだけのことだ。お前、そんなんでよく生きてこれたな?」
「気をつけるのは、そうだけど。でも騙そうとした人をそのままにするの? 相手が自分を騙そうとしたら腹が立つでしょ。嘘をついた人がいたら見逃せないって思うのは当然だと思う」
 ショロトルは皿に伸ばした手を止めて、パンを指し示した。
「部屋に運ばれてくる飯は、パンが一枚少ない。気づいてたか?」
「どういうこと」
 食べやすい厚さにスライスしたパンが、バターを塗って並べてある。
 昨日と、あるいは下で食べた時とみたところの違いがあるようには思えない。何枚あったかなんて覚えてないし、それは切る人がどのくらいの厚さで切ったかによって変わるからあてにならない。
 見ている前で、ショロトルは切り口をつけて元の形に組み立てる。繋げてみると、確かに一つの丸いパンだったはずなのに真ん中が足りなかった。
「なんで? これも店主?」
「いや、給仕のガキが一枚抜いてる」
「なんで、そんなこと」
「腹が減ってるんだろ」
「わかっててなんで言わないの」
「嫌なら下に降りて食えばいい」
「この宿屋ではそんなことが許されているの」
「許されてない。だからバレたらあのガキはぶん殴られる。度を超したら客も黙っちゃいない。まだそこまでじゃない。
 この宿は飯がうまい。立地もいい、港からは遠いが城門に近い。実際、客入りも悪くない。店構えを綺麗にすりゃ、もっと稼げる店だ。
 だが実際は毛布は薄くて古いし、店主は銅貨一枚ケチるし、下働きのガキは腹をすかせている。金がないんだ、ここの店主もガキと同じくらいな」
 人の生活はそう簡単に立ち直らない。重税に苦しみ、人が遠のき、内紛で乱れた影響がまだこんなところに残っている。
「確かに客を騙すのは悪い。働いているガキを飢えさせているのも、そいつが盗みをするのも悪い。だがそれはこの街全体の、貧しさのしわ寄せだ。糾弾して罰したところで、不幸な人間がさらに不幸になるだけだ。空いたところには別の不幸な人間が収まって、また同じことをするだろう」
「なら事情を話してくれればいいんだよ。そうしたらわざわざ人を騙すような真似しなくたっていい。パン一枚くらいで怒らないし、銅貨一枚くらい払ったよ」
「自分の苦境を打ち明けて、慈悲と施しを乞えと?」
「間違ってる?」
「正しいんだろうな」
 そんなことは、思ってない目をしていた。

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