箱に秘めたる払暁の刃

箱に秘めたる払暁の刃

7,嘘と駆け引き その2

 逃げる時に置き去りにした荷物が返される。ショロトルはその中から頭巾を取り出した。ケレイブが身につけていたものとよく似ているが、サイズが子供用だ。
「追われている自覚があるなら、顔くらい隠せ」
 言われた通りに顔を隠し、歩き出す。ショロトルも顔を隠した。
 来たばかりの時は夜明け前だった太陽は頂点を過ぎ、やや西に傾いていた。
 通りに並ぶ屋台からいい匂いが漂ってきて、お腹がなる。そんな場合じゃないとわかっているのに、お腹が空くのは止められない。
 ショロトルが横目でちらりとこちらを見たのがわかって、顔が赤くなる。お金は渡された荷物には入っていないから、自分では食事も買えない。
「ね、どこに向かっているの」
 お腹がなっているのが聞こえたのなら、ちょっとくらい寄り道してくれればいいのに。
 ショロトルの歩みには迷いがない。
「宿を取る。港からは離れるがこの街は船乗りが多い。顔を見られるなよ」
 狭い箱に押し込められていた時の記憶が蘇って、身震いする。あんな目に会うのは二度とごめんだ。手枷の痕はまだ消えていない。
 足を向けたのは、港から遠く離れた城門に一番近い宿。
 ちょうど昼と夜の時間帯で、一階の酒場は空いていた。
 店主にだけ顔を明かしていくつかのやりとりをした後、部屋に案内された。荷ほどきしてしばらく経つと、下働きの子供が食事を運んできた。
 部屋を取る時に、頼んでいたらしい。
 ちょうど夜に供する食事の仕込みが始まったばかりの時間帯らしく、全てのものが作りたてで、湯気を立てていた。
 スープはまだ具に味がしみ切っていなかったけれど、その分、食材の歯ごたえがそのまま残っている。日持ちに特化した味気ない船上食が長かった分、新鮮な食材の味は胃に染み渡った。眠っていた味覚が、生き返る。
 主食のパンは色が黒くて生地が締まった北方らしい作りで、懐かしい故郷の味だった。
 ショロトルは、きちんと味わった様子もなくそれらをかきこむと、器を階下に返しにいった。
 戻ってくると、上着を脱いだ。下には血がついたシャツをそのまま着ている。食事中に血なまぐささを感じたくはないから、目をそらす。
 そんな気持ちなど知りもせずに、汚れた服を脱ぎ捨てると包帯が巻かれた上体を露わにしたくつろいだ格好になる。
「もう、休むの」
 まだ床に着くには早い時間だ。
「いや、その前に話しておくことがある」
 改まった様子だった。
 まだスープが半分残っているのに。
 仕方がないから、テーブルに置いて向き直る。
「俺は、お前がいう宝とやらを信じてない。情報を持っているとも、渡せるとも思ってない」
 心臓が止まりそうになった。動揺が声に出ないように押し殺してやっと言葉を絞り出す。
「なんで」
 一度はナイフを向けてきた海賊と行動を共にする上で、彼が船長から受けている宝の確保という命令が、生命線だった。少なくともその目的が果たされるまでは、情報を握っている相手を殺すことはできないはずなんだから。
「レクターさんは、信じてくれた」
 彼はミカエルと名乗った私が、本当は誰であるかも気づいていた。だから少なくとも彼は、宝の話の根拠がわかっている。
「親父はお前に手を貸すと決めた。そうすることで船に利があると言うのは、筋を通すのに必要だった」
「レクターさんも信じてなかったって言うの。なら、どうして?」
 どうして怪我を悪化させてまで、守るような真似をしたのか。
「俺が着いてきたのは、船を守るためだ。お前、自分を捕まえた連中の目的が何なのかわかっているか?」
 船の上でレクターにも同じことを聞かれた。こちらの素性がわかっている分、もう少し具体的な問いかけだった。
 その時も今も、答えることはできなかった。
 あの人たちが何を欲しがっているのかは、想像がついている。けれど何を目的としているのか、どこの誰なのか、それがわからない。本当は自分を捕まえた人たちが悪なのかさえ確信がない。
 だから、答えられない。信じる人を決められない。
 すぐにケレイブに助けを求められないし、海賊を頼っておきながら何も明かせない。
「わからないならそれでいい。俺が信用できないなら言う必要はない」
 ショロトルは思考を読んだように、前置きをした。
「ただの人さらいの連中は、ガキを丁重に扱ったりしない。だが、お前を箱に詰めた連中は違った。あの細工だけでお前を売るのと同じくらいの金になる。ワードック一味が荷を奪取したことは隠しようがない。そのことで権力者に目をつけられるのは、厄介だ」
 自分が詰め込まれていた箱の外面なんて、知るわけがない。けれど彼の、相手がただの人さらいでないという予想は当たっている。
「連中が諦めていなければ、次に狙うのはソラルヤーダだ。だから連中の正体と目的がわかって、船に累が及ばないとわかるまではお前を守ってやる」
「全部、自分のためだっていいたいんだね。ちょっとはわた……僕を味方につけようとか信用させようとか、思わないの」
「お前のことを気に入ったから、助けてやる。見返りは何もいらない。頼りにしてくれ」
 一息に言うと、ショロトルは唇の端を歪めて笑った。
「信用できるか?」
 首を振る。
 善意とか正義なんて言葉は全然、似合わない。
「俺は、俺の立場で行動する。善意で助けるわけじゃないし、宝を渡したから逃がしてやるわけでもない。お前もお前の立場で動いて、目的のために必要なら俺を使え」
「目的なんて。ただ危ない人から逃げてるだけ」
「ただ逃げるなら、元いた場所に帰ればいい。なんでわざわざお前を攫った連中と同じ街を目指す」
 答えられなかった。
 そう、逃げるだけなら、どこでもいい。
 海賊の心証を損ねてまで、船を降ろされる場所を指定する必要なんてない。
「あるだろう。わざわざこの街を目指した理由が」
 これ以上は、誤魔化せない。
「ショロトルと同じことを、知るために。なんで、襲われたのか。それがエスメールで起こっていて、街に関わることだっていうのには確信があったから。……わかっていた理由は、言えないけど」
「なら目的は一致している。明日からは、お前を襲った連中について調べる。あとはこの街のこともな」
「今日は?」
「好きにしろ。俺は休む」
 言いながらもうベッドに横になっている。
「好きにしろって、その間どこにいればいいの」
「殺される前に助けが呼べる場所なら、どこでにでも」
「お金だけ持って逃げるかも」
「試してみろ」
 もう逃げないけれど。
 さっきのは単なるゴロツキだったけれど、彼の言う通りここは私を捕まえた人たちがいる街なんだ。迂闊にうろつくのは軽率すぎる。
 すっかり冷めてしまったスープの残りをすすり、残ったパンをかじる。器を返しに階下に降りる時、顔を隠すのを忘れない。蒸れると言ったケレイブの気持ちがよくわかる。
 すでに酒場には客が入り始めていた。ショロトルが言った通り、誰に見られているか分かったものではない。あの船に乗っていた誰かが、この中にいるのかもしれない。怖くなって、そそくさと部屋に逃げ帰る。
 ランプをつけていないから、カーテンを閉ざしたままの部屋は薄暗い。
 することがないので、空いたベッドに横になる。久しぶりの揺れない寝床だった。
 隣のベッドからは、もう規則的な寝息が聞こえていた。
 微かに血と消毒液の臭いがする。初めて遭遇した時から変わらない。いつも、この臭いを纏っている。
 旅の疲れは知らない間に、体に溜まっていたらしい。すこし横になるだけのつもりだったのに、考え事をしている間に眠りに落ちていた。

Page Top