Noisy Creature

箱に秘めたる払暁の刃

6,運命の集う街 その1

 ミカエル、というのはあまりにもうまくない偽名だ。でも聞かれた時にはもう、半分口をついて出てしまっていたんだから仕方がない。
 今から自分の名前はミカエルだ、と言い聞かせる。
 海賊船に乗ってしまっていた時は、もう終わりだと思った。
 そういう瞬間は何度もあった。今回の件だけではなく、人生のほとんどの時間はもうおしまいだという出来事と、なんとか危機を脱するための足掻きによってできていた。
 平和な時間は、生まれてから物心ついてからのほんの数年。それすらも誰かに守られて穏やかだと錯覚していただけで、周囲は決して平穏ではなかった。
 故郷を逃げ出して、行き先のわからない船に密航した。見つかって、そのまま海に投げ捨てられそうになった。右も左もわからない場所で、たった一人で生きていかなければいけなかった。やっと生き抜く術を覚えた街で見ず知らずの男たちに捕まった。
 鎖をかけられ箱に押し込められて、行き着いた先は海賊船だった。
 でも船長は思ったよりも優しい人で、話をちゃんと聞いてくれたし宝物の情報にも乗ってくれた。結論はまだ出さないと、いっていたけれど反応は悪くなかったと思う。
 これでエスメールに辿りつける。少なくとも、海の上にいる限りは海賊に守ってもらえる。
「ミカエル」
 医務室で、お茶を飲んでいるところだった。治療の後片付けが終われば血生臭さは消え、そこは居心地のいい清潔な小部屋だった。
 頭を覆う傷跡のせいで、半分に毛が生えていない船医のおじさんには、海賊らしいガサツさと医者らしい繊細さが同居していた。
 その矛盾が生み出したのが、治療に使うべく仕入れた薬草を、絶妙な配合で混ぜ合わせたハーブティーだ。
 本人の言った通り、確かにまずい代物ではなかった。きっと健康にもいいんだろう。
 ドアの前に立ったのは海賊船の船長、確かレクターという名前。名前で呼びかけるような親しみをもつ気分になれず、どうしてもそうしなければいけない時に“船長さん”と遠慮がちに呼びかける程度だ。
 船の中の誰だって、船長を気安く名前で呼びかけるようなことはしない。
 結論が、出たんだ。
 コップを返して居住まいを正した。
「こいつがあんたをエスメールまで連れていく」
 希望を掴んで浮ついた気分でいる時に叩きつけられる絶望は、たちが悪い。
 目の前に立ったのは、灰色の髪で、血まみれで、敵意むき出しでいたあの時の青年だった。

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