箱に秘めたる払暁の刃

5,海賊と子供 その4

 むしろ、怯んだのはショロトルの方だった。
 相手が怖がらないことを予期していなかった。武力であれば決して引けを取らないであろう相手に、気迫で完全に飲まれている。自分から仕掛けた手前、引き下がることは自尊心が許さない。
 視線が泳ぎ、行き場を失ったナイフが揺らぐ。
 自分で事態を収拾させた方が、人間的成長に繋がるし、みていて面白い。かなり迷った末に、助け舟をだしてやることにした。
「小さいなりで、大した度胸してやがる。ショロトル、お前の負けだ。退け」
 船長が止めたという大義名分を得て、ようやく矛を収めた横顔はあからさまにホッとしていた。武力以外の面では、まだまだ年相応の未熟さが目立つ。
 さて、問題は子供の方だ。ショロトルが耐えられなかった真っ直ぐな目は、今はレクターに向いている。
 大人の男であっても、ナイフを向けられて平然と振る舞うのは尋常ではない。
 たとえ相手が自分を殺さないという確信があっても、刃物の切っ先が顔に向けられれば、本能的に怖いものだ。
 よほどの胆力があるか場慣れしたものでなければ、さらに一歩踏み出すようなことはできない。
 レクターならば、それくらいの度胸試しはできる。ショロトルも恐らくはやるだろう。だが海賊船に迷い込んだ怯える子供振る舞いでは、決してない。
 激したショロトルが、レクターの指示を無視して衝動的にナイフを振ることもありうる。それは殺意として伝わっっていたはずだし、だからこそ彼が纏う死の臭いに怯えていたはずだ。
「さて殺さないとは言ったが、こいつが言った通り、お前さんを助ける理由がない。なんの義理があって、エスメールに船を向けなくちゃならないんだ。俺たちになんの得がある?」
「宝物の、話ができる」
 少しも臆さず、引き下がらない。ハッタリだとしても大したものだ。子供ゆえの無鉄砲では、説明がつかない。
「一仕事終えたばかりで金には困ってない。あんたのいう宝ってやつは、一体どれくらいの価値があるっていうんだ」
 そもそも興味の矛先は、宝物の価値などにはないが、子供の反応を見たかった。
「街一つ、贖える」
「ほう、大きく出たな。詳しい話を聞かせてもらおうか」
 そこで子供は、口ごもった。しばらく黙ったあと、唇を尖らせる。
「話す、けど、この人には聞かせたくない。だから二人で話す」
 目線が示す“この人”とはいうまでもない。ようやく態度に子供らしさが戻ったが、それを見せて欲しいのは今ではなかった。  水を向けられた方が、黙っているわけがない。せっかく一度、鎮火したというのに。
「二人で話す? 冗談だろ、このガキは信用できない。いきなり斬りかかって来ないとも限らない」
「なるほど、お前がいうと説得力があるな」
 心当たりのあるショロトルが、言葉に詰まる。
 数年前、怪我をして海を漂っていたところを保護したのが、ワードック一味に加わったきっかけだ。目を覚ました直後は、敵意をむき出し、斬りかかろうとさえした。
 それと比べれば、目の前の子供がいかに不審でも脅威というほどではない。
「俺が斬られるほどの相手なら、今のお前は役に立たん」
 なおも言い募ろうとするショロトルを、手で制する。
「船倉に行け。片付けを手伝って、少し頭を冷やせ」
 これは親父の頼みではない。船長命令だ。
 反論も口答えも受け付けていない。
 ショロトルの瞳が、背筋を凍らせる鋭さを持った。それを隠すように目を伏せ、唇を噛み締める。
 これでようやく落ち着いて話ができるようになった。
「ビジネスの話をするなら、名前くらい聞いておこうか。俺はレクター・ワードック。この船とここにいるろくでなしどもの命を預かっている者だ」
「……ミカエル」
 さて、それは男の名だが。
 レクターは目の前の、少年の格好をした子供を見下ろした。

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