箱に秘めたる払暁の刃

5,海賊と子供 その3

 制止が冗談でないことを確かめるようにじっと見返したあと、ショロトルは押さえつけている子供に目を戻した。
 なぜそれを排してはならないのか、理解できない様子だった。
 だが、船長が止めたことをあえてする男でもない。
「なんだよ、こいつ」
 声に不満が表れている。それでも武器は下ろした。
「それが今回のお宝だ」
 宝箱の中身というには、あまりに貧相な子供だった。
 レクターが手招くと、迷うそぶりを見せはしたが、ショロトルの腕の下から這い出して背に隠れた。海賊のなりは怖いが、刃物を手に襲いかかって来ない分ましといったところだろう。
 ショロトルは素直に子供を見送り、ベッドに戻ってハサミを手術器具の中に戻す。珍しく殊勝な態度は、体の不調ゆえだろう。
 部屋から逃げ出した子供と入れ替わりで、船医がズカズカと部屋に踏み込んだ。
「ショロトル、テメェ! メスはナイフじゃねぇって何度いったらわかんだ、このボンクラ!」
 叫んで容赦ないゲンコツを落とす。聞いている方が怯むような音に、子供が肩を震わせた。
(とどめの一撃にならないといいが)
 扉に刺さったメスを引っこ抜いて船医に手渡しながら、思う。
 ショロトルは頭を抱えて、ベッドの上でのたうちまわったあと飛び起きた。
「いってぇな、怪我人だぞ!」
 どうやら元気そうだ。
「ピンピンしてるだろうが、血が止まったんならでてけ」
「言われなくても二度と来るか」
 部屋から飛び出すショロトルに道を開けてやる。その背中に服とナイフホルスターが投げつけられた。
「病気になるなよ!」
「死んでもなるか!」
 足で乱暴に扉を閉める。
 肩で何度か息をしていたが、服を羽織りナイフを装備し直すうちに落ち着きを取り戻した。
 片側だけ空いたホルスターを居心地が悪そうにいじりながら、メスを投擲した原因を思い出したように見た。
「で、親父どうするんだよ、このガキ」
「どうするもこうするも、適当なところで降ろすしかあるまい」
 肩を竦める。
 おそらくは巻き込まれただけの、怯えきった子供である。
「殺されないんですか」
 子供は驚いたように顔を上げる。その目に、安堵と希望の光が戻った。
「殺されたかったか」
 ショロトルがホルスターに手をかけた。服を掴む小さな手が、強張るのがわかった。
「やめろ、ショロトル」
 諌める声は、自然と聞き分けのない悪童を諌めるそれになる。
 子供相手に、本気の殺意を出す奴があるか、大人気ない。
 荒事においては頼りになる。しかしこのショロトル・ストレリチアという若者は、いささか以上に手が早い。あれだけ出血しても、まだ血の気が多いのか。
 いや、むしろ血を流したからこそか。
 まだ一人で生き抜いていたときの気質が、抜けないらしい。青ざめて脂汗の滲む横顔は、初めて言葉を交わした日と同じだ。
 のべつまくなし噛み付く、気が立った手負いの獣。
 殺気を向けれらながら子供は、か細い声を絞り出してレクターの袖を引いた。
「あ、あの、どうせ降ろすなら、私をエスメールまで連れて行ってください」
 驚いた。
 人は見かけによらないとはいうが、この場面で自分の要求を通そうとする図太さに、しばし言葉を失った。
「ふざけるな。俺たちの船は遊覧船じゃない。殺されない幸運を噛み締めて、おとなしくしてろよ」
 ショロトルはとうとう、ナイフを抜いた。
 だが、子供は怯まなかった。
 それどころかナイフを向けられた状態で、一歩前に出た。
「やりたいなら、やれば。殺したところでどうせあなたたちは一文の得にもならないし、損もしないんだから。気に入らない相手を暴力で従わせようとするなんて、卑劣」
 その視線は切っ先が眉間にあたっても、わずかも揺るがなかった。

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