子供は、自分がどこにいるのかを知らなかった。外で大きな騒ぎが起こったのは聞こえていたし、揺れも感じた。しかしそれが襲撃だということまではわからなかったし、自分が丸ごと他の船に運び込まれたなどということには、気付きようもなかった。
俄かに静かになったので、子供は箱から忍びでた。
船が勝利の熱に酔いしれ、補修に走り回る慌ただしさに紛れて、今の今まで見過ごされていた。
そして、見慣れぬ船内を彷徨っていた時、穏やかでない気配が近づいてくるのを感じた。
ワードック一味は一般人を無差別に害するほど分別なしではなかったが、血気盛んな男たちの追っ手は、それだけで恐怖に値した。
子供は咄嗟に手近な部屋に隠れた。
扉が半開きになっていたのだ。鍵がかかっていないことが、わかる部屋はそこしかなかった。
扉を閉め、隙間に耳を当てて様子を伺う。
男たちは廊下を駆けていく。部屋を覗き込まれることはなかった。
足音が遠ざかる。
ほっと息を吐くと、つんとしたアルコール臭が鼻についた。逃げ込んだ部屋は一体なんなのか。
振り向いた先に人がいたので、子供は悲鳴を上げかけた。
悲鳴のはじめの一音は実際口をついて出た。横たわったその人物が、全く無反応であることに気づき慌てて口を抑えた。
動かない。眠っているのだろうか。包帯を巻かれた胸が規則正しく上下している。
片付ける場所がなく部屋中に投げ出されているのは、血の染みた布と包帯。
鮮やかな赤色が目に飛び込んだ途端、消毒液に混じる生臭さに気づき、嫌が応でもその存在感を意識してしまった。
ベッドサイドには、血まみれの器具と砕けた何かの破片。金だらいの中に、元々血だったのか水なのかわからないくらい赤く染まった液体が残っている。
血の気を失った体に、どんな顔がついているのか確かめるのが怖くて目をそらした。
悲鳴は出ないが胃がひっくり返りそうだ。この部屋にはいられない。
室内から目をそらし、廊下の方に集中する。
人の気配はない、と思う。あってもいい。ここにいると、息をするのも苦しい。
ドアノブに手を伸ばした時、鼻先を掠めて戸板にメスが突き立った。
突然投げつけられた刃物を見て、子供は今度こそ悲鳴をあげた。
尻餅をついて後ずさる。壁に背が当たってそれ以上下がれ無くなるまで下がった。
「どこから入り込んだ」
唸るような低い声。
そちらを見たくない。でももう無視するわけにはいかなかった。
ベッドの上で、灰色の髪をした若者が睨んでいる。胸に巻かれた包帯から、新しい血がじんわりと滲み出している。
答えられずにいると、ハサミを手にして迫ってきた。
腰が抜けて、立ち上がれない。
冷え切った指先が、首筋をつかんだ。手足をばたつかせたが、ビクともしない。鼻先で刃物をちらつかされれば、もう動けない。
「答えによっては殺す。答えなくても殺す」
返事を絞り出そうと息を吸う。目の前の青年は、血の臭気がひどい。
「わ、私はただの乗客で」
「この船に乗客はない」
ヘイゼルの瞳が、すっと細くなる。
「待て、ショロトル」
太い声が、振り上げられたハサミを止めた。
黒いトリコーンを被った男が、扉を開けて半身を覗かせていた。
その装いを見て、子供はようやく自分がどこにいるのか悟る。
ここは海賊船だ。