箱に秘めたる払暁の刃

3,語り部と狼人 その5

 習性というより慣習で、ケレイブはその金属の箱に鼻を寄せる。
 何か臭うと思っていた訳ではないけれど、想像以上に金属臭が薄く嗅覚と他の感覚の不一致に、頭が混乱した。
 鉄や銅ではない。金属のように見えるけれど、どんな金属とも違う臭いだ。
「これ、なんなんスか?」
「さあ、軽いから中空だとは思うんだけど、さりとて開くわけでもなし。文鎮にしては大きいし、インテリアにしては無骨なフォルム。一体なんだろうね?」
 骨董屋や美術商にも、これが何であるのか知っているものはいなかった。
 表面の美しい装飾は、とても高い技術に依るものだ、と誰もが口を揃えた。
 次に軽く叩いたり振ったりひっくり返したりしてから、中に何かが入っているようだともったいぶった調子で述べる。
 そして散々いじり倒した後で、壊さない限り開けることはできない。もしかしたら中には箱以上に価値があるものが入っているもしれないが、確かめようがないと結論づけるのだ。
 つまり、誰一人としてこれは綺麗な箱という以上の推測は、立てられなかったということだ。
 そんなことはノエルだって、みればわかる。
 知りたかったのは、箱の価値ではなくて、由来や用途だ。それがミカエラが姿を消した件や、彼女の行方につながるかどうかに興味があった。
 それが友人の残した数少ない手がかりだなんて、鑑定を頼まれた相手が知るはずはないのだけれど、結果には少なからず落胆した。
 有用な情報が出ないとわかってからは、箱について情報を得ることはきっぱりと諦めた。とにかく素人目にも高価であるのは確かだ。濫りに人目に晒していいことはない。
「何に使うかもわからないけど、何でできているのかもさっぱりっス」
 ケレイブの方の興味は、もっぱら材質と不可思議な臭いだった。
「なるほど、素材。そのあたり疎いから気にしたことなかったのぅ。鍛冶屋か宝石職人あたりに聞いたら、何かわかるかも知れんね」
 箱について何か情報が出るとしたら、それはこのエスメールの街に於いて他にない。再調査する価値は十分に見出せた。
 ケレイブは仕事を探す傍ら、ミカエラという少女について街で聞き込みをする。ノエルは箱の由来について、改めて調べてみるということで、明日からの方針は固まった。
 食事を終え、ノエルはそのまま二階の宿屋に宿泊し、ケレイブは教会に向かった。そこがこの街にいる間、二人の拠点となる。
 ケレイブはさして信心深いわけではなかったが、教会のような場所は大抵、寄る辺のない人間や困窮した旅人に門戸を開いている。お金がなければ無償で、屋根のある寝床や暖かい食事を提供してくれる。
 街に来た直後で備えが底を付き、まだ仕事のあてもない旅人にとっての頼みの綱だ。代わりに傭兵や冒険者などは、教会からの頼みごとや街の揉め事の解決に力を貸す。腕に自信がなければ、雑務を手伝い保護されている孤児の遊び相手になってやったりする。
 時にはそれが街での稼ぎに繋がるので、信仰心は薄くても教会を訪れるものは多い。あるいはそうした懐の深さが、信仰心を育んでいるのかもしれない。
 ともあれ城門でのやり取りのことがある。この教会の主が旧派真教に傾倒していないとも限らない。
 別れ際に絶対に被った方がいいと、ケレイブに雨風よけの外套を頭から被せた。何かあったらすぐに宿まで引き返してくるように伝え、二人は別れた。
 夜の街では、フードをかぶっていれば、狼の顔も目を引かずに済む。
 ケレイブは街の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。潮の香りが混じっている。海の街の風だ。
 街に一つという教会の鐘楼は、遠くからでもよく目立つ。
 出迎えてくれるのはどんな人物なのか、期待とわずかな不安を胸に、ケレイブは石畳の道を急いだ。

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