箱に秘めたる払暁の刃

3,語り部と狼人 その4

 恐らく、ケレイブはアルベルトが領主になって以来、初めて街に入った獣人なのだろう。
 すれ違った人間はみなケレイブの長身に驚き、よく見ればそれが獣人であることに、もう一度驚いていた。
 治安維持のための人員を増やしているという言葉に嘘偽りはなく、三歩歩けば巡回兵の視線が刺さる。
 彼らは皆、ケレイブを訝しげにみている。門番は何とか言いくるめられたけれど、また因縁をつけられて拘束されるのは、避けたいところだ。
 再会を喜ぶにせよ、近況を報告し合うにせよ、まずは腰を落ち着ける場所を見つけなければいけない。
 ちょうど夕飯時で、お腹も空いている。
 目についた酒場へ誘うと、彼はぴたりと足を止めた。
「ノエルちゃん、オレお金ないっス」
 鼻面にぎゅっと皺がよる。威嚇しているようにも見えるが、それは彼の傷心の表情だ。
「そのくらい、気にせんよ。再会を祝して奢りじゃ」
 ケレイブの瞳が少年のように輝く。このくらいわかりやすいと奢り甲斐がある。
 本当なら酒も嗜むが、子供の見た目では店主が怪訝な顔をする。
 港町らしい勢いのある魚料理を頼み、体を温めるとようやく旅の疲れが解けた。
「お互い旅暮らしだから、いつかどこかで出会うかもと思っておったよ。存外に再会が早かったのぅ」
 丸ごと揚げた小魚を、ぽりぽりと頬張る。ビールが飲みたくなる味だ。
「ノエルちゃん何しにこの街にきたんスか?」
「人を探しておるんじゃ」
「ふむふむ」
「名前はミカエラ。金髪碧眼の少女……、いや少年かもしれん」
「どっちなんスか」
「少年の格好をした少女じゃ。今どっちの姿でいるかはわからん」
「うーん、ややこしい」
 同じくらいややこしい人間が目の前にいることに、彼は未だに気づいていない。
 ノエル・クリスティは生き易さのために可憐な少女を装っているが、中身は男性だ。そして不老の身となった永生者でもある。実際はケレイブや門番よりもずっと年上だ。
「年頃はわしと同じくらい。途中で見かけたりせんかったか?」
「う~ん、いなかったと思うんスけど、情報が曖昧すぎて」
「うん、わかる。無茶を言っておるなぁと自分でも思うよ。目的地はエスメールだといっておったから、向こうが見つけてくれるかもしれん。そっちが本命じゃな」
「ノエルちゃんは、その子を追いかけて来た?」
「大切な預かりものをしておってな。返さねばならんのに、連絡が取れん」
「預けっぱなしでどっか行っちゃうなんて、無責任っス」
「それで済む話ならそれでいい」
 誰にも渡さないで、とミカエラは言った。とても大切な物で旅には持っていけないから、と。
 そして彼女は、逃げるように姿を消した。一週過ぎ二週過ぎ、終には一ヶ月が過ぎていた。
「もしもの時を考えて、託した。そんな気がしたのじゃ」
「心配で、来たんスね」
「うむ。送ってくれる予定だった便りも届かない」
 ノエルはうまく世を渡るため、少女の姿をしている。それも知恵の一つではあるが、この世界は非力なものに優しい場所ではない。まして街の外に待ち受けるハイデルランドの荒野は、人の領分ではない。
 旅人が命を落とすのは、万が一どころか百が一ほどによく起こる。しかし幸いここまでの道中に、それらしい死者の噂はなかった。で、あれば無事に到着しているだろうという、希望的観測を胸にここまで来た。
「そういうことなら、任せてください。ノエルちゃんの友達のこと、放っておくわけにはいかないっス」
「ありがとう、ケレイブ」
 現状、街で聞き込みをする以外に、できることはない。体力に自信がないノエルには、ありがたい申し出だった。
 エスメールの街は、ミカエラの故郷だ。もしかしたら、彼女の縁故が見つかるかもしれない。
「そういえば、預かり物ってなんなんスか?」
「ああ、こちらはこちらで曰くありげなんじゃ」
 鞄の中に隠してあったものを、そっと見せる。
「箱?」
 ケレイブが首を傾げる。
 それは一目で高価な品とわかる、金属製の直方体だった。細かい装飾が彫り込まれているが継ぎ目がなく、開け口が全くわからない。
 表面には、装飾に縁取られて剣と天体の図象が刻まれていた。

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