箱に秘めたる払暁の刃

3,語り部と狼人 その1

 街と街の間には人の往来が土を踏み固めて成した野趣あふれる道が無数に走っている。
 そうした道をゆく者たちは、獣や盗賊の脅威を遠ざけるために、身を寄せ合い自然発生的なキャラバンを作って移動するのが常であった。
 出発前に集まり、それぞれにお金を出し合って護衛を雇う。一人で用心棒を雇うほどのゆとりがない人間の生きる術だ。
 行商人や旅人、護衛の冒険者。てんでばらばらの一団が森の中をゆく。
 長く危険な道だったが、彼らの顔に暗さはない。みな荷馬車に腰をかけた少女の声に、耳を傾けている。
 風が吹くたびに、銀色の髪が風に揺れる。
 その唇から紡がれるのは、遠い地の大魔導士の偉業や獣人族の戦士の英雄譚、少女の語る冒険譚は尽きることがない。
 話を聞こうと子供達は、荷馬車の後ろをついて歩く。その顔に旅の疲れはなく、紡がれる物語への期待で輝いている。幼い笑顔を見れば、大人たちもまた心を癒されるようだった。
 一通り語り終え、少女は御者台の横に座る。荷台にいると、後を駆けてくる子供達が無限に物語をせがんでしまう。
「喋りすぎて疲れたろう」
「これが生業みたいなところ、有りますから」
 御者の男が差し出す水筒を、にっこりと笑って受け取る。一人で旅をするにはあまりに幼く思えたが、語り口には年を経た吟遊詩人のような軽妙さがある。
 ノエル・クリスティという名以外は、全く素性がわからない。だがいつの間にかすっかり馴染み、街が近づいた今は別れを惜しむほどになっていた。
 やがて森を抜けた。
 視界がひらけ、彼らの目的地であるエスメールの街の外壁が見える。北狄の侵攻に晒される国では、街は城郭都市の形をとる。
 城門の前に長蛇の列ができているのが見えた。列はしばらく進んでいないらしく、馬を降り、あるいは馬車を停めてすっかり腰を落ち着けている。
 旅の面々から、ため息が漏れた。既に日は傾きかけている。このままでは、夜が来るまでに街に入るのは難しい。
 ようやく屋根のある暖かい部屋で休めると期待していた分、落胆も大きかった。
「どうしたんでしょうね」
「検問でもあるのかも知れんな。まだきな臭い連中いると聞くからな」
 エスメールの街で起きた内紛についての噂は耳にしていたらしく、ノエルは納得したように頷いた。
 旅は概ね予定通りにも期待通りにも進まない。残念だがよくあることだ。がっかりはしたが、それ以上のものではない。
 諦めて馬車を停めた御者の横に立って、ノエルは前方に目を凝らしていた。旅慣れている様子だったのに、なぜだがこの行列を止めているものが気になっているらしい。
「私、ちょっと見てきます」
 馬車から飛び降りた少女に、男は慌てて声をかけた。
「おいおい、日暮れまで時間がないぞ。今日は諦めた方がいい。テントも持ってないんだろ?」
「街も近いし大丈夫です、ここまでありがとうございました」
「まあ、無理に引き留めはしないが、面倒に巻き込まれないように気をつけてな。困ったら遠慮なく戻ってくるんだぞ」
 あっさりとした別れの言葉に、御者台の男も惜しむような顔をしたが、それ以上引き留めはしなかった。
 みんな旅の一期一会を知っている。
「ありがとうございました」
 名残惜しそうにする子供たちに手を振り、ノエルはぺこりと頭を下げた。

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