陽を追う犬は、夜陰を駆ける

第7話 急襲

 街に出ると、盗賊ギルドのアジトに向かった。
 仕事を始める前に探りを入れたことがあったため、場所はわかっている。裏稼業の人間にとっては、兵士から情報を引き出すよりよほど容易なことだ。その時はこんな風に訪れることになるとは、思いもしていなかったが。
 そこは一見すると、裏路地にある普通の酒場だった。この手の酒場は宿屋を兼ねていることが多いが、この店には違う。客室が並ぶ宿屋との違いは窓を見ればわかる。おそらく二階は、ひとつながりの大きな部屋になっている。
 そこがギルドの集会場か。昼間なのにカーテンが閉ざされているが、中には人の気配がある。
 階段は、カウンターの脇にあった。人の出入りを阻むように、用心棒が一人立っている。
 人が多ければ出入りする客に紛れられたかもしれないが、テーブル席が半分も埋まらない時間帯では無理だ。
 店内にいるのは、昼間から酒を飲む酔っ払いばかりに見えるが、ドア脇のテーブルにいるのは見張りだろう。酩酊しているにしては目つきが鋭すぎるし、新しい酒を頼む気配がない。
 盗賊ギルドの人間は、ショロトルの外見を知っている可能性が高い。顔を隠しても見張りに不審がられ、誰何されるのが目に見えている。そうでなくても脱獄犯としてすでに街で手配されている可能性があり、何の変装もせずに通りをうろついているのは危険だった。
 この手のアジトは兵士に踏み込まれた時に逃げ出せるように、隠された出入り口は複数ある。建物の裏手に回り込むと、隠された扉があった。一見すると厨房に通じる裏口だが、表から見た店の奥行きを考えるなら二重壁で上に登る階段が隠されているはずだ。
 ドアに耳を当てる。扉のすぐ裏に人がいるような気配はない。合言葉を言わねば開かない形式でなかったのは幸いだ。不用心にも鍵が開いていることを確かめ、音がしないようにドアを薄く開ける。
 入ってすぐ階段になっており、登った先には扉がある。木箱の上に見張りが二人腰掛けていた。退屈そうに酒を飲み、パイプをふかしている。
 少し遠いが届かない距離でもない、か。
 一度扉を閉めて、周囲を物色する。先日の晩の意趣返しとばかりに酒瓶を選び出すと、扉を開けざまに投擲した。
 二人いた見張りの一人は、それが頭に当たって昏倒した。騒ぐ前にもう一人に近づき、口を塞いでから意識を落とす。武器を確かめ、扉を蹴破った。
 酒瓶が割れる音で異変に気付いていた中の男たちは、腰を浮かせた。
 彼らはまずショロトルを見、ついで視線はその後ろに倒れる見張り番に流れ、再びショロトルに戻ってきた。
「お前、なんでここに!」
 事態を真っ先に把握したらしいギデオンが吠えた。二つある出入り口の両方からもっとも遠い位置にいる。肉薄するには、手下が邪魔だった。
「真実を明らかにするために来た」
「手負いでのこのこ出てくるとはいい度胸だ。兵士を呼ぶまでもない。今ここで首を落としてやる」
 ドア横に隠れていた男が、棍棒を振りかぶった。
 耳元で風が唸る。
 当たる前に上体を真横に倒し、襲いかかってきた男の視界から消える。棍棒が空ぶって体勢が崩れたところに、足払いをかける。
 そのまま勢いをつけて足を跳ね上げ、近づいてきたもう一人の顎を蹴る。折り重なって倒れてくる二人を避け、体を一転させて立ち上がる。
 腰からナイフを抜き、切りかかってきた刃をいなして懐に潜り込む。肘で鳩尾を打ち、緩んだ腕から刃を奪うと、胸ぐらを掴んで背負い投げで床に転がっていた二人の上に飛ばす。
 姿勢を崩した男の背中を踏み台にして、天井に飛ぶ。足の下で潰れたカエルのような声がした。天井を蹴って軌道を変え、意表をつく。背後に着地し、ナイフで足の腱を切る。崩れ落ちた男の体に合わせて身をかがめ、他の敵の視界から隠れながら机の影に飛び込む。
 ショロトルを見失って、敵が視線を彷徨わせている間にギデオンの背後を取った。テーブルに飛び乗り、頭を踏みつけると奪った剣を突きつける。
 流れるように敵を無力化する動きに、男たちは怯んだ。
 手負いというのが、手首の傷と取り調べで殴られた痣を指しているのなら、お笑い種だ。こんなものなんのハンデにもならない。
「罪をなすりつけるためだけに、あの屋敷の人間を皆殺しにしたのか」
 己でも驚くほどの平坦な声が出た。
 ギデオンは抵抗するようなそぶりを見せたが、血の玉が浮き出してくる程度に肌に刃を食い込ませると大人しくなった。
「一体、なんの話をしてやがる。お前が、今みたいに皆殺しにして、火をつけて回ったんだろうが」
「俺が捕まった時、あの屋敷はまだ燃えていなかった。それだけで、俺がやったんじゃないのはすぐにわかる」
 ギデオンが言葉に詰まる。ショロトルの潔白の証明など、それだけで十分だった。
 どいつもこいつも裏社会の連中だから、裁判になったところで証言などはしないだろう。だがそれでかまわない。この場で話を聞く価値があると思わせ、攻撃の手を止めることができればそれでいい。
 あと数手あれば、ギデオンは“落ちる”。
「だが、あの夜の生存者は俺の顔を見ていた。身代わりをさせるために、俺の顔をみた人間をわざわざ選んで残したんだ。そんなことができるのは本当の罪人だけだ。小細工を仕掛ける前に、俺を犯人だと言えた人間が本当の人殺しだ。俺を捕まえたのはお前だろう?」
 おそらくあの夜、ギデオンもあの屋敷にいたのだ。見られていることに気づかなかったのは、迂闊と言わざるを得ない。少年とショロトルが相対するのを見た時、彼は己の身代わりを立てる計画を思いついたのだろう。
 どんな口上を並べてギルドの仲間を動員したのかは知らないが、己が正しいことをしたと思わせるような耳あたりのいい言葉だったに違いない。
 ショロトルの捕縛をした後は、屋敷に戻って証言者になるあの少年を残して始末すればいい。兵士たちが一連の事件は盗賊の仕業なのだと説明すれば、生存者は「あの夜、確かに盗賊をみた。灰色の髪をした男だった」と答えてくれることだろう。
「だったらどうする。流れ者風情が、正義面して俺に制裁でも下すってのか。俺はギルドマスターだ! 殺したら他の連中が黙っちゃいないぞ」
 ギデオンの声は、ショロトルとは対称的に怯えの色がありありとみて取れた。ギデオンを見る視線が、温度を下げたのがわかった。組織を取りまとめる立場にあって、人望を失うのは致命的だ。
 だが、まだ足りない。
 あと、一手。
「仲間を売り飛ばすギルドマスターに対して、そこまでの忠誠心はないだろうよ」
 ギデオンの頬が引きつった。
「で、でたらめをっ、何を根拠に言ってやがる」
「俺を兵士に引き渡した段階では、まだ生存者から証言が取れる状態じゃなかったはずだ。なのに、やけにあっさり俺が犯人だと信じてもらえたな。しかも連中は初めから共犯の可能性を疑ってすらいなかった。いくら腕がたっても、一人で目撃者を残さず屋敷の人間皆殺しってのは、無理があるぜ。それでも兵士たちは、俺がやったと信じた。俺を犯人だといった人間の証言を信じた。そこには無理のある嘘を混ぜ込んでも通すくらいの、情報源として確固たる信頼があったんだ」
「その情報源が俺だと、どうしてわかる。仲間を裏切ったなんて、全部お前の想像だろうが!」
「兵士に聞いた。情報源は、お前だと教えてくれたぞ。随分と稼いでいたそうじゃないか」
 人は落ちる人間からは、手を離す。己が落ちそうになれば、容易に人を身代わりに立てる。己の命と天秤にかけさせたら、彼らは全てを教えてくれた。
 兵士たちはギデオンが盗賊ギルドのマスターだとは知るよしもない。ただ裏社会に精通した情報屋として、彼を信頼し裏社会の情報を買い、その情報を元に罪人を牢に入れていた。
 その中にギルドの構成員がいたことは、想像に難くない。情報屋として信頼されるなら売る情報は真実でなければならない。裏社会の情報を流すということは、仲間を売るということだ。組織を取りまとめるに当たり、自分に不都合な人間も処分できて金も手に入る。さぞ、好都合だったことだろう。
 ギルドの面々に思い当たる節があったのかどうかは、顔色を見ればすぐにわかった。
 もはや彼らは、ギデオンを助けようとはしないだろう。組織としての体面を保つためであっても義理を通すためであっても、仇を打とうなどとは言い出さないだろう。
 それを確かめると、ショロトルはギデオンの服を破き肩口を確かめる。
 見覚えがある。
 ショロトルと同じく、人の死を招くものの持つ印がそこにはあった。
 想像はあった。捕まった晩、殴られる前からひどい頭痛がした。あれは聖痕の共振だったのだ。一人で屋敷の人間を皆殺しにする所業も、その力をもってすれば可能になる。
 その聖痕の加護を受けたものの死を運ぶ才は、奇跡にも匹敵するのだから。ショロトルを捕まえた時、向こうもこちらの聖痕をみたはずだ。だからショロトルが踏み込んだ時、ギデオンは無意識にその場所を押さえた。
「ただの人間に、お前は手に余る。だから、俺が殺す」
 ショロトルは、刃を振り下ろした。

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