陽を追う犬は、夜陰を駆ける

第6話 脱獄

 証言をとった少年が地下牢からさり、牢番は通常業務に戻った。
 すなわち、罪人を房に押し込めて厳重に鍵をかけ、詰所に待機をするという退屈な仕事だ。二人一組で罪人と接触する人間がいないように見張り、監修されている罪人に食事を与えるなどの管理も行う。
 重罪人専用のこの地下牢には、現在一人しか収監されていない。年若く、一見すると大人しいが犯した罪は残虐かつ非道だ。それを知っていると牢の中での態度も、実にふてぶてしく見えて腹立たしい。
 ともあれ暴れることはなく、取り調べの兵以外の訪問もないのだから、仕事は退屈なままだった。程なくすれば処刑が決まり房は元の通り空になる。
 全てを失った少年の後ろ姿を思い出すと、胸が痛んだ。
(斬首になって、それであの少年の恨みが晴れればいいのだが)
 少年と相対した時、涼しい顔をした罪人も流石に堪えた様子を見せた。犯人が死んだところで何が報われる訳でもないが、正義は為されたのだという気晴らしにはなる。
 平常通り交代の時間を迎えようとした時、物音がした。地下牢からだ。
 見に行かないわけにはいかない。脱獄しようとした物音というよりは、うめき声か叫び声のように聞こえた。
 逃れようのない罪の証拠を突きつけられたというのに、まだ無実を訴えるというのか。
「おい、大人しくしろよ」
 呆れながら罪人をどやしにいった牢番は、房を覗き込んで顔色を変えた。
 灰色髪の罪人が、石の床の上で血を吐いて体を痙攣させていた。苦しげに喉をかきむしるその両手も吐いた血で赤く染まっている。
 慌てて同僚を呼び、房の鍵を開ける。駆け寄って肩を叩くが、反応はない。抱き起こそうとするが、体が不自然にこわばっているためうまくいかない。
「何があった!?」
上を向かせるとまだらに汚れた髪から固まった血が剥がれて手を汚す。
「とにかく医者を呼んでこい」
「肺でも破れたか」
「お前が強く殴りすぎたんだ」
「誰のせいでもいいから、早く運び出せ」
 幸い小柄な体は一人で十分に持ち上がった。運び出すのをもう一人に任せ、医者を呼びに行くため先に房を出る。
 後ろでゴトリと頭蓋骨が床に落ちる音がした。
「おい、あまり乱暴にするなよ。死んだら責任問題になる」
 振り向き、声をかけようとした同僚が床に伏しているのをみた。その体の上に屈み込んだ男の両手から、手枷が抜ける。小柄な姿が揺らぐようにかき消えた。
 抜刀しようと腰に伸ばした手が空を切る。そこには鞘しか残っていない。
 戸惑っているところに、鳩尾への強烈な一撃が入った。声も出ない。床についた腕が無造作に足で払われ、牢の床に転がった。追い討ちをかけるように、もう一発蹴りが入る。
 助けを求めて視線を彷徨わせるが、もう一人は床に伏したままピクリとも動かない。罪人に手枷を奪われ、同僚ともども拘束された。
 一連の動きも呼吸にもわずかな乱れすらない。血混じりを泡を吹いていたのも、体を痙攣されていたのも嘘だったのか。
 鮮血を滴らせているのは手首の方だった。枷が外れた今ならばそこにある傷も見ることができた。
 まさか、演技か。
「そろそろ取り調べの兵士が降りて来る時間だな。そちらに話を聞いた方が早いか」
 罪人は、猿轡を噛ませてから牢の鉄格子を閉ざした。
 抵抗すらもままならず捕まった牢番は、仲間への警告を胸のうちで叫びながらその背中をただただ見送った。

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