陽を追う犬は、夜陰を駆ける

第4話 目撃者

 牢に戻された後は、粗末な水と食事がでた。
 粗末といったが、それは中流階級の生活感覚での話で、不満はない代物だった。思えば丸一日以上何も口にしていない。石のようなパンも井戸から汲んできただけの水も、胃袋に染み渡った。
 取り調べの最中から、ずっと事も無げな顔をして過ごすショロトルを見て牢番は忌々しげに顔を歪めた。こちらからすれば捕らえられているという認識はないのだから、当然だろう。
 生贄の羊の役をやる人間が必要だったというのは理解した。わからないのは、この件に盗賊ギルドがどう絡んでいるのかだ。
 牢番は用意された犯人だという認識を持っているか否かで、立ち位置が変わってくる。
 人を醜いものと考えるなら、真犯人を庇うために兵士と盗賊ギルドが結託しているという解釈だって生じうる。権力者の中には時折、裏社会の人間よりも血を好むものがいる。胸糞悪い話だが、そうした人間が圧力をかけて己の罪を隠蔽していることもあるだろう。
 人は善良なものだと信じるのなら、盗賊ギルドが町の平和のために一肌脱いだのだと考えることだってできる。町の治安が乱れれば規制は厳しくなるし、縄張りを荒らすものを放置するのはギルドの沽券に関わる問題だ。ギデオンというギルドマスターの言葉からも、そんな気分は見て取れた。打算的な考えしか持っていなかったとしても、兵士達に協力する理由は十分にある。
 だが、牢番や兵士たちの顔色だけでは、真相は分からない。いま接しているのは末端だ。末端に伝わるのは命令で、隠された意図まで共有されるわけではない。上が犯人だといって連れてきた人間を、本当に罪人なのだと思い込んでいることだってある。
 真相を掴むための、決定打が欲しい。それを掴むために、ショロトルはあえて積極的に弁護も抵抗もせず、おとなしく捕まっていた。
 食事が終わったあたりで、階段の方に人の気配が増えた。
 歩幅が小さく、体重が軽い足音。
 子供か背の低い種族か。地下牢という場所を考えれば後者だろう。食事を下げた牢番が、ショロトルの房の前に立った。
「今から、生存者がお前の顔を改める。これでもう、いい逃れはできないぞ」
 皆殺しにしてから火をつけるのではなかったか。今回に限って目撃者が出てくるなんて、随分都合がいい話だ。
 一体、誰がでてくるのか見ものだな。
 それこそ用意された証言者だろう。誰が来ようと興味はなかったが、牢の前に人が立ったので、慣性でそちらをみた。
「この男です。間違いありません」
 息が止まった。
 少年が、立っていた。
 あの家が、燃えたのか。ショロトルに燃え盛る炎の記憶を呼び覚まさせたあの少年が、俺と同じ地獄を見たのか。
 健康そうだった肌や髪の色がくすんで見えるのは、今の生活環境と過度のストレスに晒された結果だ。おそらく今は教会に身を寄せているところだろう。
 その苦しみは、容易に想像することができた。
 その目は涙で濡れ声は震えていたが、あくまで毅然と立つ姿には、健気さを通り越して痛々しさすら感じた。
「決まったな。他の生存者も皆、白っぽい髪の男が屋敷から逃げ出すのを見たといっているぞ」
 牢番が、勝ち誇った顔でいう。
「違う。俺じゃない」
 他でもない、俺がそんなことをするはずがない。誰がやったのかわかるのなら、俺が代わりに復讐をしてやりたいとすら思っている。
「卑怯者」
 吐き捨てた少年の、表情を知っている。そこにいるのは、胸の内が憎しみの炎で焼け落ちるほどに激しく憎悪しながらも復讐する術を持たない、無力を呪い絶望したかつての自分だ。
 立ち去ろうとする小さな背中を引き止めたかったが、言葉が詰まって出てこない。
 どんな言葉をかけたところで、無意味だとわかっている。弁明も慰めも意味がない。
 身の潔白を証明する術を思いつかない。真に無実ならともかく、屋敷に忍び込み盗みを働いたことは本当なのだ。少年を前にして、口封じに手にかけようという考えが、脳裏をかすめたのだ。
 一連の事件では、盗みを働いた者が殺しをした者であり、屋敷に火をかけた者なのだ。盗み以外の部分だけ否定するのは、他人から見ればあまりに苦しい言い訳に見える。
 なぜ、俺はこちら側にいる。なぜ、俺は彼に恨まれる側なんだ。誰よりも、その苦しみに寄り添えるはずなのに。
 牢の床に、うずくまる。胸元でペンダントの鎖が鳴った。家の紋章が刻まれた首飾り。ショロトルがどこの誰であったのかを示す物。
 このままでいてもしばらくは生かされ、手口や動機など探られる。だが、遠からず首を括られる。あるいは斬首か、磔か。生憎と初めて来る街の死刑の作法など知りはしないが。
 ショロトルには償うべき罪がある。強盗や殺しなどではない。果たすべき役目を果たさず、あの地獄から逃げ延びたという罪だ。
 一人だけ生き残った。閉ざされた道の先に行った。たどり着いた先がこれか。運命に意味を与えなければ、家族の死が無駄になってしまう。
 脳裏に張り付いた血まみれの掌の跡が、追い立てる。こんなところで立ち止まっている暇はない、と。
 呑気に事の真相を探るのはやめた。俺は同じ苦しみを背負わされたあの少年のために、できることをする。
 裏稼業にしかできないことを。
 手枷の嵌められた己の手首に牙を立てた。

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