陽を追う犬は、夜陰を駆ける

第4話 投獄

 酷い吐き気の中で目が覚めた。
 意識を失う直前の記憶を呼び覚ましながら、薄目で周囲を確認する。石の床と壁、そして鉄格子。
 床に転がされていた。目に入る範囲に人影はなく、床に耳を当てても同じ階に人がいるとは思えなかった。
 自分が何者にも監視されていないことを確かめると、ショロトルは目を開けて体を起こそうとした。鎖が鳴り、手が引っ張られる。
 手枷をされている。鎖にはそれなりのゆとりがあるので、体を起こして頭の傷を確認するくらいのことはできた。髪が膠で固めたようになっている。指でほぐすと、肩口に乾いた血の塊がポロポロ落ちた。
 当然のごとく、所持品は全て取り上げられていた。
 咄嗟に胸元に手をやる。首飾りはそこにあった。質に入れても碌な金にならないアンティークだが、ショロトルという人物がどこの誰であったかを証明する唯一のものだ。
 すでに滅びた地方貴族の家紋を知っている人間などいない。持ち続けたところでなんの意味もない。
 わかっていても心の安寧のため、それが必要だった。
 服の上から握りしめ、形をなぞっているうちに心が落ち着いてくる。
 鉄格子に近づき隙間から外をのぞく。壁にランタンが一つかけられている他、光源はない。今いる房と同じような小部屋がいくつかと、上階に続く階段が見えた。
 地下牢だが、牢屋の中でもかなり衛生的で人道的な部類に入る。ならず者のねぐらではない。
 意識を失う直前に見たのは、盗賊ギルドの人間だった。
 そのあと兵士に突き出されたということか。だがギルドマスターが自ら赴いた上で、手を下すのを人任せにするだろうか。そんなことでは示しがつかない。
 なら、俺を捕まえたのは誰だ。
 縄張りを荒らされた盗賊ギルドが制裁を下す。単純な話だったはずなのに、この状況には作為的なものを感じる。
 壁に手を当てて閉じ込められている房を一巡りする。隣の房以外に壁の向こうに空洞はなく、薄くなっている場所もない。腐っても神の加護を与えられた身だ。いざとなれば容易に逃げ出せるのだが、何に巻き込まれているのか分からないのは気分が悪い。
 作為があるのなら、捕らえてそのままということもあるまい。相手の出方がわかるまで大人しくしておいてやってもいい。
 程なく兵士がやってきた。やはり、相手は兵士だ。
 ショロトルが目覚めていることを確認すると、房から出され、尋問が始まった。
 取り調べを受けて、ようやく何の罪で捕らえられているのかがわかった。
 近頃、火事が増えたという噂は耳にしていた。金持ちの家だけ狙って燃やされることから、ただの火事ではないとういことも、市井ではなんとなく察せられていた。
 実態はただの火事ではなく、虐殺。屋敷の人間を使用人もろとも皆殺しにした後、悠々と金目のものを盗み仕上げに火をつけて去る。
 同様の手口は以前から見られたが殺し方は次第に残虐性を増し、火までつけるようになったのが、数ヶ月前。事件はほとんどが塀に囲まれた貴族の屋敷の中で行われ、目撃者はない。
 罪の意識を植え付けたいのだろうが、大仰で仔細に語られる事件の様子は否が応でも家を焼かれた時の記憶を呼び起こした。
 炎の中、扉を押し開けた時の血まみれの手の跡が再び脳裏にちらついた。
 なるほど、俺は身代わりか。
 この街でどこかの誰かが犯した罪を、肩代わりさせられたというわけだ。
 天涯孤独で流れ者の盗賊ならば、その役に適任だ。身の証もなく、不在証明もできない。
 ショロトルが街にやってきたのは、火事が起こるようになった後だ。盗みを働いたことはあるが、それ以外は全く心当たりがない。もちろんそんな言い分が通るわけがない。盗みで生活しているショロトルは、町に入る時も出る時も人目につかない道を選ぶ。顔を覚えている人間がいるはずもない。
 宿の主人に証言を求めたところで、頻繁に寝ぐらを変えていたのだと言われればそれまで。実際、街に来てからは一つのところに長く止まった試しはない。そも、こちらが罪人と知れて尚、真っ当な証言をしてくれるのか怪しいところだ。
 人は落ちる人間からは容易に手を離す。道連れになって己も落ちたくない。
 兵士たちは自白を引き出したいようだったが、おそらく言葉が引き出せなかったとしても犯人を決めつけて裁判を進めるだろう。
 流れ者の耳に入るほど市井を騒がせる事件であれば、民の不安と不満は極限まで高まっている。一刻も早く犯人を吊るし、人々の不満を晴らさなければ、暴動にもなりかねないということか。
 手荒な取り調べが終わると、地下牢に戻された。

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