陽を追う犬は、夜陰を駆ける

第2話 灰色髪の盗賊

 日が暮れるまで街をぶらつく。日陰者の集まる路地、富裕層の集まる街路、商店の屋台を覗く。
 そうして街を歩き回るのが日課になっている。目標の下見に、三日ほど時間を掛ける。昼と夜をわたり歩き、街の空気を感じ人の流れの見、喧騒を聞いて肌で覚える。
(そろそろ頃合いか)
 心中で独り言ちて、とある屋敷の塀を見上げた。使用人を抱えたそれなりの豪邸だ。
 晩餐会でもあるのだろう。食材や酒など運び入れる馬車が、裏門から出入りしている。
 ショロトルはフードをかぶって灰色の髪を隠した。夕暮れの街の暗さならば、その程度で人相も赤褐色の肌もわからなくなる。
 人の意識には、必ず隙間がある。見ているようで見ていないもの、あるいは見ているのに気にも止めていないから気づけないもの。
 下働きのような顔をして適当な荷車から荷をとって担ぎ、門をくぐる。門場をやり過ごしたら荷物を返し、庭師のふりをして建物の外観をぶらりと見て回ってから、物陰に滑り込む。このまま屋敷の中に入ってしまいたいが、フードをかぶったままでは怪しまれる。
 業者の出入りは招待客が来る前に概ね終わり、門は閉ざされる。晩餐が始まればバックヤードは招待客のもてなしで大わらわだ。裏庭や人のいない部屋まで覗きにくる人間は、姦淫する場所を探す男女くらいだ。
 石のように動かないまま、機会を待つ。そうしてじっとしていれば、物陰に立てかけられた麻袋にしか見えなかっただろう。  やがて全ての喧騒が大広間の中に遠ざかり、振動がぼんやりと感じられる程度になった。
 ショロトルは、ゆっくりと立ち上がる。夜気が染みてこわばった体をほぐす。その動きは、寝起きの獣の伸びに似ていた。
 手足の動作を確かめると、壁を蹴って一番近い木の枝に捕まった。上に登ってから更に上にある枝を伝い、三階の窓枠に飛びつく。
 そっと体を持ち上げて、中を伺う。無人だが、客人を即座に迎え入れるため、暖炉には火が入れてあった。整っているが生活感が薄い。ゲストルームだろう。
 わずかな隙間に足を乗せて体を支えると、格子状の木枠にはまったガラスの、鍵に近い一枚を慎重に割った。
 鍵を開けてすぐさま中に滑り込み、床に耳をつけて近づいてくる足音がないか確かめる。誰もガラスの割れる音を聞きつけなかったようだ。聞きつけても、パーティー客の誰かがグラスを落としたくらいにしか思わなかったのかもしれない。ショロトルは立ち上がり、枠と床に残ったガラス片を残らず取り除いて、暖炉の火の中に投げ込んだ。
 誰かが薪を足しに部屋に入っても、手のひら四方のガラスが一枚なくなっているくらい気づかない。
 客の入っていないゲストルームに貴重品があるとも思えないが、部屋をざっと見回してから廊下に出た。
 屋敷の間取りというやつに、それほどレパートリーはない。玄関の場所は外からでも一目瞭然。窓の形や高さをみれば、食堂や来客を通す大広間を見分けられるし、天井が低い使用人のための小部屋の場所もわかる。
 使用人が行き来するバックヤードの位置は、さっき荷を運ぶふりをしてのぞいた時に確認済みだ。ゲストルームがこの場所にあるのなら、屋敷の主人の部屋の位置など人に聞かなくてもわかる。
 金の燭台や銀食器も金にはなるが、重くかさばるからショロトルのような単身の盗賊には向かない。男が身に付けるものは、指輪であれ懐中時計であれ、エンブレムが入っていて出どころを突き止められやすい。狙うのは女主人の持っている宝飾品だ。首尾よく目当ての部屋を突き止めると、中に滑り込む。
 晩餐会の準備でよほど急いでいたのだろう。宝石箱が鍵もかけずにドレッサーに出しっぱなしになっている。一番見目の良いものは女主人の胸を飾っているのだろうが、見た目など関係ない。無造作に掴んでベルトにつけた皮袋に突っ込む。なんの変哲も無い袋だが作りは丈夫だ。麻袋だと縫い目がほつれるし、内容物の形が浮き出る。布目が荒いと金銀の色が透ける。皮袋が一番いい。
 他の場所も物色しようと振り返った時、天蓋付きベッドの中で小さな影が動いた。
 生粋の貴族の目の色と肌の色。少年が天蓋の隙間から顔を出した。
「おかあ、さん?」
 幼い声を聞いた時、ショロトルの記憶の蓋が外れた。

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