Deal with the BB


HOTEL NODENS_紫煙に嘯くコヨーテ
 その店を知ったきっかけは、ホテル ノーデンスの喫煙所で交わした会話だった。
 大戦終結から五十年、世界に残された傷跡は癒え科学技術は大幅に前進したが、それは資源が豊かにあった時代に提供されていた物流が復活し、恩恵がスラムの片隅にまで行き届くようになったということを意味するわけではない。
 海の向こうの品物の中でも嗜好品や、政府が売買に制限を設けるような品物を手に入れてくるのは、今でもプロの仕事だ。それはすなわち上等な煙草と銃火器の類だ。
 富裕層エリアならば嗜好品である煙草は専門店があるし、輸入物も正規品で取り扱いがある。だがニコチンを呼吸の補助に使っているような連中が口にするのはもっと安い葉で、そもそも低価格帯のものしか流通していない。そんなスラムに、上等な輸入物の煙草と各種の〝スパイス〟を扱っている店があるのだという。
 松永の吸う安煙草に顔をしかめながら、その男は店の場所を紹介してくれた。
 薄汚れた街の一角で日常に埋没してしまいそうな平々凡々な看板を掲げた商店が松永を出迎えた。しかしこんな立地で堅気の店が安穏と営業を続けられるわけがない。
 裏の商売をするときの通り名は、BBというらしい。
 外から様子を窺ってみるが、ガラスの向こうは外の光が反射してはっきりとは見えない。OPENの札がかけてあるから営業はしているはずだ。
 蝶番が軋み薄く開いた扉の陰から、紫煙の気配がした。タールが混じる空気の重さは、愛煙家である松永の心を少なからず落ち着かせた。
 ちりんとドアベルが鳴る。
 店内もやはり品揃えの良いごくごく普通の商店に見えた。銃火器を店頭に掲げてあるわけもないが、煙草は棚にある。知らない銘柄が多数あり唇が綻ぶ。
 カウンターに禿頭の男が突っ伏していた。背の高い男の後頭部、立っていたらすぐには目に入らなかったであろう位置に羅針盤のような刺青がみえた。その針が示すのは彼らの生きる指針、あるいは武器を求めて迷い込んできたものへの導きだろうか。
 この混沌の街で何を導ける。この店に来た誰かにとって武器は生きる指針足りえるだろうか。いいや、なりはしないだろうな。迷うだけだ。弱いものが手に余る武力を得たところで、自らの足で立つだけの強さは得られない。
「いらっしゃい、何かご入用で」
 顔を上げ来客を視認した店主はにぃと懐っこい笑みを浮かべ、灰皿の上に置きっぱなしになっていた煙草の灰を落として一吸い紫煙を吐き出した。
 社交的な笑みを見て、松永はこちらが弟のバリー・ワイズマンかと判断する。BBの店主であるワイズマン兄弟はコピー&ペーストしたようにそっくりな双子だと聞き及んでいた。見てくれこそ同じだが冷静沈着で感情の動きがまるでなく人形のような兄に対して、活発で人懐こいが直情的ですぐに手が出る弟。
 他人の姿を写しとる異能を持つ松永にとって、造形も着ているものも同じだが全く性質の違う人間が二人、すでに存在しているというのは面白い。初対面の相手をからかうのが松永の趣味だが、武器屋の店主に喧嘩を売るなら慎重さが求められる。
 兄は策謀担当、弟は荒事担当。
 いきなり胸ぐらを掴まれるような展開は面白くない。こちらがすぐに怒る弟だというのなら、遊ぶなら兄とだ。
「初めまして、お会いできて嬉しいです。僕の名前は松永 帰泉です」
 松永はいつも通り型にはまったバカ丁寧な挨拶をした。
「ふぅん、松永ね」
 バリー・ワイズマンは品定めの視線で松永の首の刺青と東洋人の顔立ちを見た。
「煙草を探しているんですけど」
「煙草? 色々あるけどちょっと待ってな。どんなのがいい」
 商品棚を探る。
「それよりお兄さんの方、呼んでよ。小難しい話するからさ」
「ビリーを? あぁ、そっちの話か。ちょっと待ってな」
 なんの話だと思ったのかは知らないが、慣れているのだろう。ひらりと手を振り二階に消える。階段を上がるリズミカルな音のあと、片割れを呼ぶ声が聞こえた。
 数分後、代わりに出てきたのは全く同じ姿形の男。同じように煙草を咥えていたが弟と違い冷めた表情をしていた。
 彼がビリー・ワイズマンか。
 示し合わせたように服装までが同じ。しかし二人が並んでいたとして見間違える人間はいないだろう。鏡に映したように同じ顔で同じ服装をしているのに、到底同じとは思えない表情と立ち居振る舞い。
 松永は彼をバリー・ワイズマンの姿で出迎えた。
 カウンターにもたれてひらりと手を振る。知り合いに比べれば内面の精度は落ちるが、他者の模倣にはそれなりに自信がある。
「はじめまして、お兄さん?」
 挨拶は無し。
 ビリーは手の動きだけで店の奥のソファを勧め、先に腰掛けた。ローテーブルの上の灰皿に煙草の灰を落とし、足を組む。松永は対面に座った。
 感情を二階に落としてきたのか。あるいはもっと昔、生まれる前に母親の腹の中に置いてきてしまったのかもしれない。凪いだ表情で溜息のように煙を吐いた。自分や弟と同じ顔を見て、驚くでもなく慌てるでもなく、ただ気怠げな顔だった。
 松永が〝変装〟で知り合いに化けるのを見たら、少しは動揺するものだ。見間違いではないのか、あるいはどうしてこの人物がここにいるんだという顔をする。感情が薄いとは聞いていたが、ここまで徹底していると物足りない。
 ワイズマン兄弟の吸う煙草は好みの香りがしている。タールばかりが強い劣悪品しか出回らないスラムの街で、それは貴重だ。良い葉を扱っているという噂は嘘ではなかった。それだけでも足を向けた意味は十分にあると思うことにしよう。
「松永 帰泉です。はじめまして。お会いできて光栄です」
 じわりと首に黒い蓮を咲かせ、〝変装〟の異能を解く。十センチ近く身長が違う相手に化け続けるには服がきついからだ。
 体を変える最も劇的な瞬間を見てすら、何も言わない。
 じっと松永の変容を観察していたビリーは、暫くしてふと動く。
 煙草を咥え直すようななんでも無い動きで、ベルトに挟んでいた銃に手を伸ばす。警告も躊躇いもなく引き抜いてそれを松永の頭蓋横を擦るように発砲。
 カチと撃鉄を起こす音とノータイムで響いた銃声。
 咄嗟に銃口を弾いた手のひらが焦げ、銃弾がこめかみを掠めた。
 額を掠った弾の衝撃。鼓膜を殴りつける火薬のはじける音。ソファから転がり落ちローテーブルに強か脛を打ちつけた。まだ痛みではなく痺れしか感じない傷に手をやると指先がぬるりと血で濡れ、後から後から滴り落ちてシャツを濡らしていった。恐る恐る振り返って銃口の先を確認すると、壁に穴が空いている。
 今、発砲したのか。実弾で、初対面で、避けなければ頭蓋骨がえぐれる射線で。
 冗談だろうなんていう言葉は、硝煙と血の臭いと現実の痛みの前には無力だ。
 こいつ正気か。
 冷静沈着。感情のない人形ではないのか。いや、事前評通りの人柄ではあるのだ。引き金を引いておいて、ビリーという男の顔色には少しも変化がない。そして心が一切伴っていない行動だけの苛烈さは、驚きもせずに静かに怒り弾丸を吐き出した。
「……今、忙しいんだ。冗談は死んでからにしてくれ」
 耳元を過ぎた弾丸のせいで、片方の鼓膜がイかれている。音の聞こえ方がおかしい。くぐもったように全ての音が遠ざかる世界で、辛うじて言葉を聞き取る。
「お客様を撃つのはどうかと思うな」
 耳がおかしいので喋るときの音量調整がうまくいかない。
「この店で何を買った?」
「……何も」
 なら客ではないと、言い放つ声は冷ややかだった。
 店内で銃声が聞こえたというのに、二階から弟が降りてくる気配はない。兄を心配する声もない。松永の耳には聞こえないだけかもしれないが。
 ビリーは銃を構えたまま、気がついたように松永の背後の壁に目を向けた。
「あぁ、そうだ。銃弾の料金を払ってくれ。そうしたらお客と呼んでやる」
 ぷあ、と紫煙を吐き出した。
 どの口がいう。
 撃ちこんだ弾丸を相手が買い取ってくれるなら、戦争屋はさぞかし儲かっただろうな。そう目の前の男に言い返す勇気がなく、唇を戦慄かせるしかできなかった。
 まだ銃口は松永を向いている。
 ガチリと再び撃鉄を起こす音。降参だと両手を上げた。財布を取り出し震える手でテーブルに硬貨を並べる。
「壁の修理代」
 折れ曲がった紙幣を硬貨の横に並べた。金額を確認するとビリーはようやく銃口を下げた。そしてトン、とテーブルを指先で叩く。
「迷惑料も」
 倍出せ、と。
 今までピクリとも動かなかった表情筋が、僅かに笑ったようにみえた。
 これはやばい、と思った。
 松永の異能は彼の逆鱗に触れたらしい。彼と話を続けるくらいなら途中で拳が飛んでくるとしても弟の方が億倍マシだ。少なくとも弟に関してはすぐに人を撃つという噂は聞いていない。
 ちら、と横目でドアを確認する。誰か来てくれと願った。走ってもあそこまで辿りつく前に、ビリーが発砲するだろう。出口を確認したことを見咎めるように銃把に手が掛かり、慌てて視線をビリーに戻した。
「ちなみに、話し相手を弟さんの方に代わってくれたりは」
 しないと答えを聞かずとも分かる。松永の言葉は黙殺された。
 というか、なんで降りてきてくれないんだよ、あの愛想のいい弟は。
「そんなに、持ち合わせがない」
 声が震えた。もう財布の中は空だ。宵越しの金は持たない主義。
 ビリーは煙草を灰皿に押しつけ、足を組み直した。頭から血を流し床に座りこんだままの松永を見下ろし、なぜ要求した金額を出さないのかと首を傾げる。
 来客は無く、弟は来ない。助けも無い。
「無い、か」
 暫く考えるように天井を見上げた。
「人の身体は金になるというのは知っているか? 髪でも臓器でも死体でも。丁度受注がある。換金は承るが……」
 無慈悲だった。
「ま、まてまて。僕の内臓なんてろくな金にならない、ヤニまみれだ。それより異能を使った方が稼げるんだ、約束する。これでもノーデンスの客だ。年会費納めてあそこに通ってるんだ。そのくらいの信用はある。そうだろ?」
 慌てて言い募る。ビリーがいう換金できる部位の中に、脳みそは含まれていない。殺すなら頭を一発。そんな気がした
「では、分割ということで。手数料もかかるのでお忘れなく。途中で放棄しても良いが、その場合、つまり、こっちのやり方で回収に伺うので」
「はいこれ契約書。サインどーぞ」
 ビリーがテキパキと話を進め、いつの間にか二階から降りてきていたバリーが絶妙なタイミングで書類を置く。そこはかとなく憐むような顔でペンを差し出す。お疲れさん、と言いたげな顔をしていた。
 弟が全く助けの手を差し伸べる様子がないのは逃げ道がないことを意味していた。
「た、煙草を買いに来ただけなんですけど」
 一応の抵抗でおずおずと口を挟む。
「用意できてるか?」
「もちろん」
 小声で言葉を交わし、兄弟は目配せをした。
「しょーがねぇ、今回おまけにつけてやっから」
 バリーが松永の頭上を飛び越えて、ビリーに煙草を一箱投げ渡した。鼻を寄せて香りを確認し、満足そうに頷いたもののビリーは松永にそれを渡してはくれない。早く契約書にサインしろという無言の圧力を感じだ。
 紙に書かれた金額はどう見ても銃弾一発と煙草一箱にしてはあまりにも高い。壁の修理費よりもまだ高い。迷惑料がべらぼうに高い。
 弟は目があうとにこと笑った。
 兄は少しも顔色を変えない。
 普段ならば、内容を精査しない契約書にサインなどしない。理不尽な暴力を振るうような相手が出してきたようなものならば尚更だ。だが実弾入りの銃と黙って煙草を吸う男の放つ威圧感、そして気遣うようでいて出口を塞ぐ位置に控えているバリーの存在が、中身を熟読してちょっとここの内容がなんて口を挟むことを許さなかった。
 ずいと契約書を差し出し早くサインしろとペンをゆらゆらさせる。逃げ道はない。
 指先が血で滑る。血で濡らしながら契約書にサインをする。怯えが、震える文字によく表れていた。
「東洋人か」
 サインを見てビリーは薄ら笑った。
「どうも」
 しょぼくれた声で契約書と引き換えに渡された煙草を受け取る。松永のために用意したようなパッケージの蓮の花。見たことのない銘柄だった。味に期待はできるが得たものに対して失ったものがあまりに多く、この損失を取り返すのは苦労しそうだ。契約内容や金額はひとまず置いておいて、一刻も早くこの店から出ていきたかった。
 松永の持つ〝変装〟の異能は煙に巻くことに関しては、一級品なのだ。あとでゆっくり考えればいい。
「じゃ、僕はこれで」
『またのご来店をお待ちしております』
 ぴったりと揃った声が送り出す。並ぶ笑顔と湖面の静けさ。片や手を振り片や腕を組んで。それは商店一のお見送りだった。
 背中を小さくして立ち去る松永の姿が見えなくなると、兄弟は顔を見合わせた。
「ちゃんと見たか、バリー」
「そっちは、ちゃんと聴いたか? ビリー」
 双子はお互いに確認する。同じ器を持った二人の対をなす異能。
 ビリー・ワイズマンは視覚強化。
 バリー・ワイズマンは聴覚強化。
 松永が異能で姿を変えてもほんの僅かに存在する声や動きを、強化したあとの鋭敏な感覚は見抜くことができた。
「逃げるかな、あいつ」
「さぁ、どうだろうな」
 渡した煙草の意味すらも、松永は気づいていなかった。ビリーと話している間にブレンドした葉。特殊な香りがたとえ姿を変えたところで、あの男の正体を教えてくれるだろう。
 逃げれば回収に赴くだけだ。一度交わした契約からは、決して逃げられない。

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