よろずの鬼とたたりの神

2,犬神

 葦原を行くのは、身の丈ほどの笈を背負うた旅人。面紗に「万」の一文字。よろず屋は、国から国へと渡り歩いて商いをする。
 踏み固められた地面でしかなかった隘路が道になり、徐々に人の手が入った景観に変わっていく。やがて結界の内に入ったなと思う瞬間がある。皮膚の裏側を針で突くような感覚にぞわりと全身を撫でられる感覚は、いつまで経っても慣れるものではない。それでも結界を通り過ぎるとようやく妖物の領分は終わり、人の住む場所に来たのだという安堵が胸を満たした。
 悪路の果てに訪うは、戌の国。
 冶金の業に優れ、玉を産する。
 恵まれた豊かな国は金の動きが大きく、商人には欠かせない稼ぎどころだ。やがて国の中心に向かって歩き続けると、人の行き交う往来にでてやがて街に着く。
 商いを始めるよりもまず旅の疲れを癒すべく、宿を探した。
 眠気に負けてうっかりと目を閉じれば、春楡と名乗る旅芸人と情交を結んだ夜が浮かんでくる。瞼の裏にちらつくのは極上の体。耳奥に絡みつく喘ぎ声と、甘やかに肌を撫でる愛撫の舌遣い。
 過ぎ去った一夜で心を潤し、これから商いで懐が潤う。
 上機嫌のよろず屋は、普段はとてもではないが手の届かない上等な宿を取ることにした。折良く店構えの立派な店が眼前に見えてきた。
 しかし番頭は顔をのぞかせたよろず屋をみて、困った顔をした。
「ああ、すみません。今日は」
 店構えが立派で金回りも良さそうなのに、妙に客が少ない。しかし下男下女は相応の数が揃っている。誰も彼も気を張っている。
 どうやら上客が来ている。商売人としての嗅覚がその場の空気を嗅ぎ取った。
「いいや、構わん」
 落ち着いた色合いの上等な着物の男が、二階から降りてきたところだった。店内のものが一斉に頭を下げる。よろず屋も大人しく隅に避けて顔を伏せ、殊勝な大勢の中の一人として振る舞った。
「旦那様、もうお帰りですか?」
 人に仕えられるに慣れた風に、人に下駄を用意させて履かせた。
「宿を貸し切って独り寝は味気ないからな。振られたのだから仕方ない」
 この宿を貸しきりとは気前がいい。さぞやお金持ちなんでしょうと思いながら、ちらりとその顔を覗きみる。
 天井が低く見える。街の人間と比べて頭一つ以上も大きな偉丈夫だった。よろず屋も上背があるが、この御仁ほどではない。見た目以上の威圧感があるのは、身に纏う空気のせいだ。武器を帯びてはいないが武人にも負けぬ覇気を放ち、人に背筋をピンと伸ばさせる。
「では残りの日数分、お返しせねばいけませんね」
「やめてくれ、それこそ惨めだ」
 鷹揚に笑い店を辞そうとした男は、よろず屋の前でピタと足を止めた。下駄から脛へと視線を辿り見上げた先のどん詰まりで、見下ろす男と目があった。
 少しだけ朱色を混ぜた金色の瞳。
「こいつは?」
 先ほど見せた笑顔は何処へいったのか。その瞳は鋭く、獲物を見つけた猟犬を思わせる顔で睨みつけていた。
「はあ、宿泊を希望の方だそうで」
 慌てた番頭が取り繕うように口を挟む。
「そうか。前言撤回だ。しばらく二階には誰も入れるな」
 腕がぐいと掴み上げられた。笈とよろず屋の体躯を意に介さない力の強さに、肝が冷えた。
「あたしはお暇いたしましょう」
「いいや、それはならん。俺はお前に用がある」
 にぃと笑って男は捉えた獲物を宿屋の二階に引きずり込んだ。
「ごゆっくりどうぞ」
 助けを求めるよろず屋を見捨て、番頭は深々と頭を下げた。
◆◇◆
 怯えた男は、国の住人にしては背が高すぎた。褐色の肌も見慣れない。
 誰もいない宿屋の二階、一番広い一室に身体を投げ込むようにして連れ込む。背に負った箱笈を庇いながら、畳の部屋に転がった。ガシャリと大きな音が鳴る。
「あたしゃしがない旅の商人、お国の作法をとんと心得ませんで。ご無礼があったなら、お詫びいたしやす」
 戸惑った声を上げて、顔を隠したまま畳に手をつき首を垂れた。面紗に「万」の一文字がある。どうやら旅の商人であるらしい。
「ふん、殊勝に振る舞ったところで、お前の不逞は知れている」
 襟首をぐいと掴み持ち上げる。大柄な身体をしているからそうして体を持ち上げられた経験はほとんどなく、見下ろされることも稀なのだろう。
 体格に似合わぬ情けのない悲鳴を上げた。
「旦那ぁ、一体あたしの何がお気に障ったんで」
「気にいらねぇ匂いがしやがる。いや、俺の好む匂いだがそれがお前からするのが気に入らない」
 側を通った時に感じたのは、春楡という男の匂い。初めは彼が街に戻ってきたのかと思った。女には振られたが、春楡と閨を共にできるのなら十分にすぎる楽しみだ。
 だが彼の姿はどこにもなくいたのは知った男の体臭を纏わせた、見知らぬ男。これほど不愉快なことはない。
「に、匂いでございますか」
 商人は戸惑いながら、確かめるように己の袖口に鼻を近づけた。なんの匂いもしなかったらしく首を傾げる。
 ぐいと襟首を引っ張り、その首筋に顔を近づける。湯を浴びる前の体から、酔うように甘い匂いがする。春楡がこの男の肌に舌を這わせ体を重ねた跡が、ありありと嗅ぎ取れた。その様を想像し甘く鳴くのを思い出しただけで、劣情と怒りが混じった熱に煽られた。
 手を離すと腰を抜かした商人が、床にどたりと倒れる。
 互いに初対面だ。なぜこんな目にあわされるのか意図が読めないのだろう。遠ざかるように後ろに下がる。そうする毎に出口が遠ざかることはわかっているだろうに、他に逃げ場がないのだ。
「春楡を知っているな」
「春楡の旦那の、ご友人のお方で?」
 よろず屋はようやくどんな因果で声をかけられたのかを理解したらしい。あからさまにホッとした声を出したことに、不快を覚えた感情の動きは彼には読み取れなかったらしい。“ご友人”という言い回しに随分と深い意味を含ませたものだ。
「情夫扱いされたのは、初めてだな。アレはこの国にあっては俺のもの。俺に供された御饌なんだよ」
 あの男は諸国を周り、それぞれの国の神に祈りを捧げるのを生業とする。
 ある国では祈りとはひたすらに心の内で神を思うことでのみで為される。あるいは仰々しい手順で執り行われる神事である。また別の国でそれは流麗な舞だ。
 そしてこの国では祈りを捧げるとは、神を満たすということだ。
 それは神饌と、より比喩的な意味で贄を“食う”ことで為される。
 現人神たる犬神と交わって情欲を満たし、精を注がれる。それが巡り来る春楡が、この国で果たす役割だ。
「御饌ってことは、もしや旦那ぁ」
 首元に見える肌から血の気の引いた。ようやく目の前に立っているのが誰か、理解したらしい。
 よろず屋の懸念した通りだ。市井においては琥珀と名乗っているが、本当の名は犬神。戌の国の神である。この世の神は時に人に宿り、さらには町人の振りをして市井に混じる。
 滲んだ汗に怯えの匂いを嗅ぎ取る。よろず屋は腰を浮かせ、じりじりと一度は降ろした笈の担ぎ紐に手が伸びる。
「お前にかすめ取られた分、腹が減って仕方がない」
「そいつはなんとも」
 秋だというのに、びっしょりと冷や汗をかいている。笈を掴んで逃げ出そうとした腕を捩りあげ顔を畳に押しつけた。
 神の供物を横からつまみ食いをした輩を、そのまま返すわけがない。情事の余韻を鼻先で匂わされて、体が熱を持っている。今ここでよろず屋を抱けば熱は治まり奪われたものを食い返すこともできて帳尻があう。
 着物や髪や体や腕、あらゆる場所にこびりついた春楡の体臭を嗅ぐ。犬の性質を持ち合わせたがゆえに、鼻が利くのだ。一吸いごとに何が起こったか鮮明に目の前に鮮やかに浮かび、幻覚薬でも吸った時のように脳髄を痺れさせる。
 これからそれらを全て読み取り、春楡がされたようなことをこの男にする。二人の間に交わされた行為を嗅ぎとり想像すると、それだけで血が下半身に集まった。
 普段は人に紛れているがそうして怒りや欲で昂ぶると、隠した本性が顔を出す。
 全身の毛が震えて逆立つ。牙が伸びる。耳が尖り、口が裂ける。よろず屋の首筋に寄せて匂いを嗅いでいた鼻面が伸び、濡れた鼻で男の肌をするりと撫でる。
「旦那の、そのお姿は」
 大きな犬の姿となった犬神をみて、よろず屋の声は哀れなほどに震えていた。
『覚えておけ。犬神はな、よくよく祟るぞ』
 犬の顔になってしまえば、人と同じ発声はできない。それは喉とは違うところから出す声だった。
 顎に手をかけ上を向かせる。顔を隠す被布の裏側に舌を滑り込ませて口を貪る。人より大きい体躯の犬に、人はあまりに小さく口が余る。舌を絡め唾液を掬う。
 舐め上げた歯列に違和感を感じた。
『お前、人でないな?』
 焦がしたような肌の色も変わっているが、唾液や犬歯の形が人のそれではない。どちらかといえば人型のときの犬神に似ている。春楡も人に非ざる神気を漂わせているが、あれは曲がりなりにも人である。どうやらよろず屋は人の格好を真似ているだけで、中身は別の何かであるらしい。
 神と食事を分け合えば、その人間は神に近づき加護を与えらえる。しかし人ですらない男は、どれほど神力を注いだとしてこの国の民にはならず加護も得られまい。
「言いがかりですよぅ、旦那」
 神を前にしてなお、正体を秘している。実は恐れ慄いている振りをしているだけなのではないか。不透明であるがゆえに生じた疑心が、神経を逆撫でる。まだ何か隠しているのか。この国の神を欺けるつもりでいるのか。
 随分と侮ってくれたものだ。
『シラを切るなら確かめるまで』
 身につけていた細石を連ねた飾りを噛みちぎる。小石がよろず屋の周りに散らばった。どれもこれも小粒だが透明度が高く上等な玉だ。
 商人は存外に力が強い。組み敷くのは骨が折れそうだったので、どちらにしろ呪で縛りあげるつもりでいた。人でないならついでに暴いてやればいい。
 体を囲むように小石を配置し、口の中で印を結ぶ。神力を込めれば簡易の結界が完成する。
 石に力が行き渡り結界が発動した瞬間に、よろず屋の体が跳ね上がった。背を反らせ、呼吸を浅くして足掻く。手足をばたつかせても、結界を形作る石には触れることができずに弾かれた。赤く腫れた手を懐に抱き、罠にかかった野うさぎのように怯えた目で見上げた。
 足首を捕らえて羞恥を煽るように大きく開かせる。尻端折りの裾からは褌が見えていた。結界の効力と恐れからか、嫌がるものの抵抗する動きは鈍い。
 助けを求めて弱々しく声をあげ、這って逃げようと手が畳を滑る。必死に荷物に手を伸ばす。なんぞ逃れるに役に立つ道具でも入っていたのだろうか。
 やっと担ぎ紐に指先が届いたのに、結界の力で阻まれて腕が震え掴んでいることができなかった。笈が引き倒され、引き出しの中身が派手な音を立てて畳に散らばる。
『流石は商人。随分といろんなものを持っているな』
 よろず屋を窮地から救ってくれるそうなものはない。中身はほとんど見慣れぬ交易の品だったが、その内の荷のいくつかによく見知った道具があった。
「どれもこれも大事な品で。拾わせていただいても?」
 慌てるが動きがままならない緩慢な動作で拾い集め、隠そうとしたそれらを腕の中から奪い取る。
『へぇ。して、これはどう使う』
「はぁ、あの、ご婦人やら男色家やらが魔羅の代わりに」
 一刻も早く終わらせたいのだろう。しどろもどろになりながら、問われるままに答えるが、足を押し広げられた格好と犬神が手に持った張り型を交互に見て、途中で言葉を切った。
『どうした。何に使うか言ってみろ。自分の商い物もしらんのか』
「堪忍してくだせぇ」
 怯える体から着物を剥ぎ、褌を脱がせて裸にしていく。小さな悲鳴が上がった。
『わかっていれば痛みがないよう工夫もできただろうに、哀れだな。俺が使い方を教えてやろう』
 そのまま張り型を穴に押し込もうとすると、よろず屋が慌てたように荷の中から一つの壺を手に取り差し出した。
「こちらを、せめてこちらを。あたしの菊座から血が出ちまう」
 中身は潤滑剤の類とみえた。
『俺にお前の身を労ってやる義理はない。必要ならお前が塗り込み慣らすといい』
「そ、そんな」
 怯えたよろず屋はとうとう泣き出してしまった。面紗に大粒の涙が次々と染みてくる。だが犬神の態度が些かも揺らがないのでしゃくり上げながら、壺を開け中の軟膏を手に取った。裸の体の脚の間に指を伸ばし、慣れない手つきで滑りが良くなるように擦り込んでいく。
 しばらくの間はすすり泣く声と、淫らに濡れていく音だけが聞こえていた。
『そろそろ頃合いだろう』
 張り型をよろず屋の手に握らせる。早く使えと顎で示すが、それでも抵抗があるようで逡巡していた。追い打ちに唸り声で脅しつけると、ようやく追い立てられるように焦って体の中に挿入し動かしはじめた。
 荷の中にあった性具の一つ一つ、順番に彼自身に使わせる。春楡の匂いをさせているものを全てを目の前に並べ、体に差し込ませていく。
 隠した泣き顔を見てやろうと、噛みつくようにして牙で面紗を引き剥がす。食い殺されるとでも思ったのだろう。口の中でひぃと怯えた声がして体が強張った。
 よろず屋の顔が、ようやく露わになる。
 闇夜に浮かぶ月をみた。
 黒い目に金の瞳孔。丸く美しい金色は瞳に溜まった涙の水面で揺らぎ、朧月夜のように儚く揺らめく。恐怖に見開いた眦から、涙の大粒が次々こぼれおちた。
 頭に噛み付かれたのがよほど恐ろしかったのだろう。よろず屋は今度こそ子供のように嗚咽をはじめた。褐色の肌にできた涙の川が美しく、思わず涙を舌先ですくい取っていた。
 びくりと体を震わせて目を閉じたので雫は後から後から溢れ、舐めとるだけでは間にあわない。
 瞼に唇を寄せて涙を飲み干す犬神を、よろず屋はきょとんとした顔で見上げた。あんまり驚いたので、涙も止まったようだった。
『どうした。続けろ』
 誤魔化すように苛立った声をだす。
 よろず屋は慌てて顔を伏せ、体を嬲る手を再び動かしはじめた。
 どうかしたのは俺の方だ。なぜ、あんなことをした。
 しかし金色の瞳をしておいて、よもや人ということはないだろう。
 よろず屋に一人遊びをさせている間に、結界を作ったあと残った石を口に含む。神力を込めて舌にのせ、涙で顔を濡らし、恥辱で全身の肌を赤くしているよろず屋の体を引き寄せた。
 犬神の本性が露わになっている顔で、噛みつくような口付けをする。口吻が伸びた分だけ伸び、やろうと思えばそれ以上の長さまで伸びる舌を押し込む。喉奥を舐められて、嘔吐反射で体がびくびくと震えた。息もできなくなった体のさらに奥まで舌を差し込む。玉を腹に流し込む。
 失神する前に、舌を抜き去り解放してやった。
 口が離れた瞬間によろず屋は激しくむせて背を丸める。喉とそこから滑り降りていったものを辿るように順番に腹に手を当てる。無駄なことだ。たとえ胃の中の物を全て吐き出したとて、仕込んだ石は出てこない。
 人力を込めた玉と結界。内と外から嬲られてついによろず屋の被っていた人の皮が剥がれた。
 皮膚を押し上げ額から角が生えてくる。咳き込みながら、慌てたように額に手をあてる。角を隠そうというのだろうか。残念ながら立派な二本はそれでは隠せぬ。人に戻ろうとオロオロとするが、一度起こってしまった変化は止められない。
 黒く滑らかでまろやかに光を反射する。玉と比べても遜色ない美しい角だった。
 その本性を確かめるため、角を舐める。その角を作っているのはどうやら人の欲であるらしかった。
「人の間に交わされる心と欲を食らっている欲鬼の類か。商人とは考えたな。懐は潤い腹も満ちるというわけだ。いや、そんなつまらん謀をせねば餌を食えぬ、か弱き者の証か」
 角に触れるとよろず屋の体がびくびくと痙攣し、喉奥から甘い声が出た。どうやら感覚が通っているらしい。しかも普段は秘されている器官であるためか、かなり敏感に触覚に反応した。
 欲を食うという浅ましい生態と裏腹に、情交も知らぬ生娘のような反応だった。
『人ぶっている時よりも、よほど可愛げがある。俺がお前の身を喰らい、お前の腹を満たしてやろう』
 びくびくと涙を流して震えているよろず屋の腰を持ち上げる。健気に己で軟膏を塗り込んで、張り型で慣らし、受け入れる用意は万全のようだ。いい加減に犬神の半身も我慢の限界を迎えている。
 とうとう犯されることを察して、暴れた体を組み敷き食らう。筋肉質な肉体は張りがあり、手足を押さえた指先に肉の硬さと柔らかさを心地良く返してくる。熱を持つのは人と変わらず、首筋の血管からは心臓の鼓動を感じ取れる。
 快楽かあるいは体に牙をあてがわれる恐怖からか、その身は何度か激しく跳ねた。
 根元まで突き入れ腹の中をかき乱すと、呻くような声を殺した喘ぎを出す。
 長く長く伸ばした舌を体に這わせる。蛇のようにぬるりと皮膚を這い回る感触に、よろず屋は肌を泡立たせた。戯れにその舌を額に生えた角に絡める。表面を舐め上げると甘美な喘ぎが喉から漏れ、中が締まってきゅうと締め付けられた。
「だんな、後生です。しまいにしてください」
 顔を伏せて震え、よろず屋は懇願した。
『それはお前次第、だな』
 額に口を寄せ角に牙を立てると、絶頂する女のような嬌声をあげた。手足を押さえつけ、嫌だ嫌だと首を振るのを口で押さえつける。
 締め付ける力が強くなった。これならばよろず屋の望む通り、時間をかけずに達することができそうだ。犬の交合は射精が始まってから先が長いのだが。
 じゃれるように牙と角を絡ませながら、腰を振る。耳を擽るよろず屋の声が心地いい。裸の皮膚を打ち付ける音が規則的に鳴る。両の腕がいつの間にか体に縋りつき毛並みを掴んでいた。
 春楡の匂いはとっくに二人の体液が混じりあった体臭でかき消されている。今、言犬神の本性を隠せぬほどに猛らせているのは、春楡に向けた情欲の残滓などではない。腕の中にいる男の喘ぎであり、腹のうねりだ。
 加減を間違え肌を食い破ってしまわぬように、達する直前に牙を離し口を閉じる。下半身に集中し、腹の中に注ぎ込む。
 射精と同時に亀頭球が膨らむ。腹をさらに押し広げられる痛みによろず屋が呻く。四半刻ほどはこのまま抜くことができない。
 射精が終わるまでの体をつなげたままでいなければならない退屈しのぎに、周囲に転がった張り型を、腕の中で弛緩するよろず屋の目の前に並べた。
『どれが良かった? 買い取ってやる』
「悪趣味にもほどがある」
 よろず屋は泣きそうな目をして顔をしかめた。

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