スラムにある一見するとなんの変哲も無い商店。ワイズマンの看板を掲げたその店の地下には、表沙汰にできない品物を扱うもう一つの店がある。金さえ払えば手に入らない品はないが、主には銃火器を扱う。ときには店主自らも優秀な戦闘員として機能する。
双子の兄弟が営むのがBBだ。
同じ顔、同じ声。同じ魂を分けて生まれた、二つの体。ただその心のあり方だけが違う。
荒事を担当するバリー・ワイズマンは先に商談場所に向かうために、家を出るところだった。下見のためだが、実際にすることは露払いだ。今回の商談では大きな金が動く。ポートタウンではそうなると、様々な獣が動くのだ。
交渉を担当するビリー・ワイズマンがつつがなく商談の場に赴き、椅子に座るその瞬間まで、バリーをはビリーに対するあらゆる介入を許さない。
「バリー、鍵」
ビリー・ワイズマンは店を出る弟の背中に、バイクの鍵を投げつけた。片割れのことはその所作の一つ一つまで心得ているバリーは振り向きもせず後ろにそれをキャッチした。
ドアベルがチリンと鳴る。
「……気をつけろよ」
弟の背中に、ビリーは声をかけた。
「何の心配だ、兄弟」
兄を振り返って、バリーは笑った。
いってきますとひらり手を振り、背後でドアがバタンと閉まる。
無意識にその先を耳で追ってしまっていた。遠ざかる足音。鍵を開け、ガレージのシャッターを開く。
弟と入れ違いにドアに近づいてくる足音が、バリーの気配を遠ざけた。
ああ、ダメだ。聞きすぎている。
苛立ちを隠すように、ビリーは煙草をもみ消した。
ドアベルが鳴る。
入ってきたのは見知らぬ男だった。早くclosedの札を掛けてしまえばよかった。商店での収入はさほど大切ではない。単なる隠れ蓑だ。大事な日にわざわざ店を開けておく必要などなかったのだ。
バリーと違い、ビリーは来客に微笑み声を掛けるようなことはしない。ただ相手に気づいているという意で一瞥をくれただけだ。
その男は直前まで煙草を吸っていたらしく、濃い紫煙の気配をまとっている。
「何の用だ。松永」
「や、だから何で分かるんです」
平静を装っていた男の顔が崩れ、眉尻が下がった。戸惑った表情は松永 帰泉という東洋人のものに変わる。姿を変える異能を解いた。
肌と髪の色が濃くなって身長が縮み、首に黒い蓮の花の刺青の色が染み出した。目にかかった前髪を後ろに撫でつけ着けた腕には、トライバルの幾何学模様がある。
その異能は精巧だ。ビリーも異能を使わねば本物と見分けるのは難しいし、知らない人間に〝変装〟されれば判じる手段はない。だからすぐに見破れるように、彼にはマーキングをしてある。その仕掛けに本人は未だ気づいていない。
チェーンスモーカーで片時も煙草を手放せない松永は、毎回この店で煙草を買っていく。それは彼好みにブレンドした特別製で、特徴的な匂いから誰に化けていても嗅いだだけで松永だと分かる。
一応、客扱いをしてやっている男をソファに座らせた。
「バレるのに無駄なことをするな。不愉快だ。何の用だ」
松永は体が縮んだ分、緩くなって肩からずり落ちた服を引き上げ、ジャケットの内ポケットから封筒を取り出した。
「煙草を買いに。あとは今月の分、用意したので」
厚い封筒と煙草の代金をローテーブルに置く。
松永 帰泉は借金を負っている。現金直渡し以外受け付けていないので、入院などの退っ引きならない理由のとき以外は、月に一度店に寄る。そのときに必ず煙草を買っていくから、目印は消えないというわけだ。
妙にボロボロの封筒には赤黒く乾いた血がこびりついていた。手に取らず不愉快そうに見下ろしていると、松永が気がついて中身を出した。どんな手段で金を稼いでいるか興味はない。興味はないが、ビリーは汚れたものが嫌いだ。
差し出された紙幣の枚数を確認する。指先が紙幣を弾いていく淀みない音が二人の間の沈黙を埋めた。
「確かに」
全額返済には程遠いが、決められた分は今のところきっちりと支払っている。
「後は煙草だったな」
ビリーはソファを立つ。
松永に渡す煙草は他の客の目に止まって欲しがられないように、カウンターの内側にしまってある。首の刺青を思わせる蓮の花があしらわれ、トライバルを意識した黒い縁取りの模様に囲まれたエキゾチックパッケージが整然と並んでいる。輸入物の煙草だと聞かせているが、実際にはそんな銘柄は存在しない。
「いつも、助かります」
言いながらビリーについてソファを立った松永は、ポケットに手を突っこんだ。取り出したのは、自動注射器。中には即効性の麻酔薬が入っている。
ビリーは聴覚に優れている。不意打ちをするのは不可能に近い。不自然な動作をすればすぐに分かる。だが、日常動作として不自然ではない一撃を混ぜこむことはできる。松永は煙草を受け取りに背後に回り込みながら、注射器を握る手を振り上げた。
「なぁにしてンの、松永」
飄々とした声。
ビリー・ワイズマンと同じ声帯から出る、感情の彩りだけを変えた音。松永の後頭部にすばやく拳を叩きこみ、手から落ちた注射器を蹴り飛ばして届かない場所に遠ざける。
その一連の攻防に気づかないはずはないのが、ビリーは何も起こっていないが如き振る舞いで煙草を手にして振り返った。膝をついた松永には視線もくれずに戻ってきた弟を見た。
「忘れ物か?」
「外に、吸い殻すげぇ落ちてた。俺が出てくまで待ってたな、こいつ」
頭を押さえて立ち上がろうとした後頭部に、踵を落として動きを封じる。
「誤解が、あると思うなぁ」
床に這いつくばりながら松永が呻いた。
「それはこれからゆっくり聞かせてもらう」
両側から腕を掴み、地下に引きずっていく。暴れたが、鳩尾を一度蹴り飛ばすと大人しくなった。
商店と名乗るには物騒な商品が並ぶ地下の更に奥に、特別な部屋がある。防音が施されていて銃器の試し撃ちなどに使うのだが、コンクリート打ちっぱなしで排水溝が備えてあるため掃除がしやすく、尋問にも使うことができる。
裏の家業で関わりがある松永は、そのことを知っているはずだった。
簡素な木製の椅子に座らせ、後ろ手に手錠をかける。
さてと言いながらバリーは後ろから松永の方に肘をついて、上体をもたれかける。緊張に強張る顔を覗きこんで笑いかける。
「はは、バリーさん出かけてなかったんですね」
「松永が遊びに来てくれたからさ」
片割れに危機が迫っているときに、傍を離れているわけがない。
作り笑いでごまかそうという努力は全く上手くいっていない。この嘘を見破るのは異能の力がなくても容易いだろう。
表情筋は強張り、目は泳いでいる。注意の先にあるのは背後で様々な道具が用意される物音。几帳面な性格のビリーは使用予定の道具を一つ一つトレーの上に並べていく。金属同士が擦れる神経に触る音に反応して、肩を震わせていた。
「今日は大事な商談があるんじゃ、ないんですか」
そうでなければ成功していたのに、という顔をしている。
松永が使用した麻酔薬は、以前仕事のためということで予備を含めて販売したものだ。よりによってワイズマンから仕入れた商品でビリーを狙うか。
後頭部を殴り飛ばしただけでは収まらない怒りが腹の底にわいた。尋問の用意をしているのに、先に手が出そうになる。だが感情が拳に出る前にビリーが口を開いた。
「なぜ、商談のことを知っている」
質問に沈黙が返ってきた。
確かに今日は某マフィアとの商談がある。迂闊なことをすればポートタウンの勢力図を変えてしまうような重要な商談で、だからこそバリーが先行した上で二人で臨む予定だった。
場所も日時も極秘とされており、松永がいつものような世間話のついでに聞き出していて許されるような情報ではない。他所に漏らした覚えはないから、マフィアの側から漏れたのだろう。
「何しにきたんだ」
「買い物に、来ただけです」
ぐ、と喉を掴み体を持ち上げる。息が詰まった顔が赤くなり、開いた口から苦しげな息が漏れた。手を離すと椅子に落ち、激しく咳きこむ。
「買い物に麻酔は必要ねぇだろ」
「誰に頼まれてきた」
松永の視界に入る場所に回りこんだビリーは手にペンチを握っていた。先端にべったりとこびりついて乾いた血を拭いもせず、錆の浮いたそれは本来の工具として使われたことは一度もない。
首筋に冷や汗が滲み出し、いつものヘラヘラとした笑いが消えた。
「いや、それを言うと僕の身の安全が、ほら、ね。ここは、お互いにとって利になる妥協点を探りませんか」
平時は感情を全く浮かばせない顔が、こんなときばかり楽しそうになる。これで本人の自認としてはサディストではないというのだから、驚きだ。
怖いのならば目を閉じていろと言いながら、目隠しをする。
「殺さないでくれ。僕は、頼まれただけなんだ」
松永の一つ一つに耳を澄ませる。バリーが相手の表情や筋肉の強張りを読み取って嘘を見抜くように、ビリーはその声色や体の発する音から嘘を見抜く。二人を前にしてごまかしなど無意味だ。
今は恐怖の音が聞こえる。肋骨の奥から聞こえる心音は跳ねるように早く、呼吸音も正しく怯えを伝えていた。視界を塞がれてからは、怯えの色が更に増した。
ゆっくりと焦らすように撫で、手錠をかけられて不自由な手に指を絡める。
「金糸雀のように囀れば、無事に帰してやる」
まずは小指からだなと、一番脆弱な指の骨指の太さを確かめるように摘み、柔く爪を立てた。
「私は荒事担当じゃないんだ」
ビリーは薄ら笑った。
「言う、言う。聞かれたことは喋るから頼む、やめてくれ。僕も荒事は苦手だ」
「お前の主人とその巣、それだけ喋ればそれでいい。あぁ、そうだ。無事に帰してやるが、無罪とはいかないな」
体に何かが触れるたびに、面白いくらいにびくりと体が跳ねる。
じっくりと心音を聞く。なんでも喋ると言ったその言葉に嘘はない。嘘をつけばすぐに指をへし折り爪を剥いでやるつもりでいて、せっかく準備までしたというのに。
「雇い主はオーガスト商会」
ワイズマン兄弟は顔を見合わせた。商売敵の名前くらいは知っている。傘下に入らないかと言われたこともあるが、断った。潔癖な気のあるビリーの意にそぐわない連中だったのだ。
それがお気に召さなかったのか。
「商談を、邪魔しさえすればいいって言」
言葉は銃床の殴打で遮られた。
俯いた膝の上に一雫、二雫と血が滴る。
「バリー、汚れる」
「嫌だろうから俺がしてやったのに」
「私の仕事だ」
肩を竦める。
「嘘をついたら、分かる」
用意していたペンチを爪に当てると、手錠をかけた手がガチガチと震えた。鼻血を拭うこともできず、喋りにくそうに言葉を絞り出す。
「武器流通を押さえるのに、あんたらの存在が邪魔だから、始末すると」
ビリーを見る。嘘ではない、とその顔が頷いてみせた。
「連中、今日の商談を潰して強引に横から奪う気か」
「もともとオーガスタは今回の件に全く関わりがないだろ。首をつっこむのが許されるか」
「私たちが現れなければ、可能になる」
事前の断りもなく欠席すれば間違いなく今回の件は流れる。信用も落ちるだろう。そこにオーガスタ商会が必要とする商品を持って現れる。それがあまりに出来すぎたタイミングで、察するものがあったとしても構いやしないだろう。マフィアたちは武器をそれなりの値で流してくれる相手なら、誰でもいいのだ。
義理立てを期待するのは、無理がある。
「めんどくせぇ、まとめて撃っちまおうぜ」
またこんな風に邪魔をされたら面倒だ。オーガスタ商会が考えたのと同じだ。邪魔だから始末してしまえばいい。
「それもそうだ」
ビリーは銃を抜くと、椅子に座った足の間に撃ちこんだ。
松永は情けない悲鳴をあげて後ろに倒れ、拘束されたままの手首が椅子と床の間に挟まれて、呻きをあげる。
「漏らすなよ。望みの通り囀って、せっかく繋いだ命だろ」
ガチガチと歯の根があわない松永を見下ろす。靴先で引っ掛けて目隠しを外すと、怯えた目がビリーとバリーを交互に見た。
「オーガスタの今の本拠地は?」
「三区の、倉庫街。ラングドンストリートだ」
「よくできました」
よしよしと頭を撫でると、松永はそれも拷問だとでも言いたげに硬く目をつぶって耐えた。
「二人で行くか?」
「俺がやってくる。商談の用意もあるしな。帰ってきたら俺とも遊ぼうぜ、松永」
ニヤリと笑い、尋問室をでる。出かける予定だったからバイクには既に必要な装備が積みこんである。
ナビで松永が告げた住所を確かめると、即座にバイクを向けた。急がなければ商談に相方一人で参加させることになってしまう。
オーガスタ商店の本拠地は倉庫の一部を改装した建物だった。外観は港に並ぶよくある倉庫と変わりなく、エアコンの室外機が余分に付いているあたりに支柱となる鉄骨が余分にあり、中に事務所を増設しているのだろうと想像ができた。
遠くから狙撃で片付ける方が手間がなくて良かったが、窓がない。
時計を確認する。また商談までは時間がある。ここにまだオーガスタの幹部連中がいて、中から出てくる可能性は大いにある。だが出てくるのをのんびり待つつもりはなかった。
倉庫入り口にいる見張りは二人。
バイクから鞄を下ろし、煙草をふかしながら何気なく近づく。
「なんだお前」
警戒して武器に手を伸ばした男の目を狙って煙草を投げつける。咄嗟に顔を庇った隙に、もう一人の顎を殴って意識を落とし、灰を叩き落としながら顔を上げたもう一人も殴り飛ばす。
弾薬にゆとりがあるに越したことはない。銃や装備はせっかくだからそのまま拝借した。武器の流通を声高に叫んでいるだけのことはあり、流石に良質なものを揃えている。余計なカスタムをされていない素直な銃で悪くなかった。
壁に背をつけ、耳を澄ませて中の様子を窺う。ビリーほど正確ではないが、扉の近くに人の気配はないように思えた。今の物音を聞きつけたものはいなかったらしい。武器を奪うときに見張りの二人の所持品も軽く検めたが、仲間に密かに合図を送れそうな物品は所持してはいなかった。
そっと開けて中に滑りこむ。やはり中は倉庫。一番奥に階段があってプレハブのような部屋が倉庫の内側に張り付いているのが見えた。
そのとき照明が消えた。窓に雨戸が落ち、屋内が真っ暗になる。
侵入がバレたか。
(俺には関係ないんだけどね)
バリー・ワイズマンの異能は視覚強化。動体視力の強化と、暗視も含む。非常灯の明かり、戸の継ぎ目から漏れる光があれば十分だ。
前方に人一人隠れるのに都合が良さそうな物陰がある。荒い呼吸をする人の気配がある。伏兵か。
足音を潜めて近づくと、飛び出しざまに銃を突きつけた。引き金に指をかけたが、発砲することなく動きを止めた。そこにいたのは手足を縛られた中年男性。
暗闇の中で向こうにこちらは見えていないらしいが、それでも銃を突きつけられた気配だけ感じたのか、布をかまされた口で悲鳴をあげる。
汚れた衣服に手入れの怠った髭と毛髪。近づいただけで悪臭がした。なんの武装もしていない。
(ホームレス?)
その瞬間、赤外線センサーで照明がついてバリーのいる場所が照らされた。暗闇に慣らした目が眩む。
的にされる。
咄嗟に光の輪から飛び出した足に、ワイヤーを引っ掛けた感触があった。
これは、罠だ。
手榴弾のピンが抜ける音。
ポートタウンの倉庫街に爆音が響き渡った。
横倒しになったままの松永と椅子を起こし、ビリーは時計を確認する。せっかく、道具を用意したし少し遊ぶかとペンチを振って見せると激しく頭を左右に振った。
「今回の弾薬代は、借金に乗せる。オーガスタからの報酬も受け取り損ねて、相変わらず金がたまらないな、松永」
バリーがいなくなったことで多少なりと心に余裕ができたのか、松永が力なく笑った。この男はなぜか弟が苦手らしい。おそらく捻くれて嘘に塗れた人間性が、バリーの真っ直ぐさと噛み合わないのだろう。
「あぁ、そちらはご心配なく。もう貰ってるんで」
先払い。珍しい。
松永 帰泉という男に、そんな信頼を寄せる人間がいるとは思わなかった。
「実は僕の依頼、ね。ここに来る前に、もう完了しているんです。だから報酬は既に支払われている」
唇に垂れた鼻血を舐めとり顔を上げる。その表情に薄ら寒いものを感じて、銃を抜いた。
「あなたたちは、異能で僕が嘘をついているかどうか分かる。でもどんな嘘をついているかはわからないし、どの部分で嘘をついたのかも分からない」
「無駄口を叩くな、寿命が縮む」
銃口を向けたのに、口を閉じない。
オーガスタ商会が、ワイズマン兄弟を殺そうとした。それは事実だ。嘘ではない。
だが、その役を担うのが松永だとは、聞かれていないし答えていない。松永がついた嘘は〝買い物をするためにこの店に来た〟という一点のみ。
その嘘の内容については、問われていないし答えていない。
だから、ビリーにはわからない。
「バリーさんスナイパーとして比類ないのに前線に出たがる悪い癖がありますよね」
額に押しつけられた銃口に身じろぎもせずにニヤニヤと笑う。不愉快だった。
「それでもビリーさんのサポートがあれば、どんな相手でも負けないでしょうね。見える敵は必中。見えない敵もあなたが見つける。でも、あなたは今ここにいる。だから、僕の依頼はもう終わってるんです。ワイズマン兄弟を始末するのに、両方を殺す必要はない」
一切の嘘偽りのない声色で、松永はいう。
怯えの消えた心音。安定した呼吸。飛びかかる前の獣の緊張。
じわりと松永の姿が変わる。鏡を見ているような同じ顔。いや、不敵に笑うその顔は片割れの顔そのものだ。
「俺がいないと生きてけないだろ? ビリィ」
引き金に指を掛けた。
銃声。
それよりも早く、足を振り上げながら松永は後ろに倒れた。つま先で銃床を蹴りあげる。逸れた弾は天井に食いこんだ。
倒れる最中、松永の体が揺らいだように見えた。手錠を掛けられていたはずの両手を床について、後転。すかさず座らされていた椅子を掴んで、二人の間に投げる。
二発、三発。木製の椅子が、鉛玉で砕けながら空中で回転する。
松永の床を撫でるような低い蹴りが、ビリーの足を引っ掛けた。
体勢を崩すが、手応えの薄さに松永は身構えた。
倒されたのではない。倒れたのだ。
横倒しになりながら構え銃を向ける。至近距離にあった銃身を手のひらで払ったタイミングは、ギリギリだった。
発砲音。
松永が身を翻しながら、反対の手でベルトにぶら下げていたキーホルダーのようなもの引きちぎって投げた。
けたたましく音をたてて鳴り始めたそれは、防犯ブザーだ。常人の聴覚ですら不愉快な音量のそれが頭のすぐ横で鳴り響き、耳を塞ぐ。
騒音を排除しようと、防犯ブザーを銃で撃つ。動揺で照準がぶれる。
三発目にようやく当たった。
その間に松永はビリーの体に馬乗りになっていた。動かぬように足を絡めて拘束し喉に押し当てた手にはプッシュナイフを握っている。ビリーはその顎にまだ熱を持つ銃を突きつけ返した。
じわり、と異能を解きながら松永は蓮の花に当てられた銃口を見た。
「冷静じゃないなぁビリーさん。この銃の装弾数は八+一発でしょ。飛び道具の利を活かさずに、僕に近づいたのも悪手だ」
勝ち誇った笑みを、睨み返す。だが、松永はそこでなぜかナイフを引き、ビリーを解放した。
自由になった瞬間に、体の上下を入れ替え松永を床に押し倒す。
「銃は一丁じゃない」
抜いたもう一丁を額にガチリと押し当てる。
「知ってる。聞いてください」
「お前を、殺す」
口ではそう言ったが、絶対的優位を手放したことに何の意図もないわけがない。こちらが話を聞かざるを得なくなるような何かを握ってる。そしてビリーにとってそんな切り札になるようなものは、バリーに関わること以外にあり得ない。
「オーガスタは僕があなたたちに、借金をしていることを知ってた。だから今回の依頼があった。恨みがあるんだろうってね。でもね、お二人には前に命を助けてもらった恩があるし、煙草を買う店がなくなるのは困る。だから一つだけ窮地を脱する方法を、用意してあるんですよ。渡すかどうかは、あなた次第。ね、バリーさんの命にどれだけ払います?」
全てはここに入っている、とこめかみを指で叩く。
ビリーは顔を歪め、発砲した。松永の顔面の横で床が弾けた。何度も何度も、引き金を引く。弾倉が空になるまで全ての弾を撃ちこみ、銃ががちがちと弾切れを告げると、ビリーはそれを投げ捨てた。
目を閉じて頭のすぐ横で連続する発砲に耐えたあと、松永はそっと目を開けた。
「オーガスタ商会には、何一つ渡さない」
一言一言、絞り出すように告げた。
プッシュナイフを奪い取り、松永の肩に突き立てる。顔を歪めた松永の顎を掴み、目を逸らすことを許さない。
「それができるなら、望みのものをくれてやる」
ナイフをねじこむ腕は、怒りで震えていた。
瓦礫の中に倒れたバリー・ワイズマンの体は動かない。近くに上半身の消し飛んだホームレスの遺体が落ちている。
ズポンのポケットの中で、着信を受けた携帯の画面が点滅する。
その音を頼りに、暗視ゴーグルをつけた男が銃を構えながらそっと近づく。
生死を確かめようと、倒れたバリーの体を足で転がす。ごろりと転がり上を向くとその手には拳銃が握られていた。
暗視ゴーグルに穴が空き、男の頭が吹き飛んだ。
バリーは素早く飛び起き、物陰に身を隠す。脱出できないか、入り口を確認する。窓と同じく塞がれている。
望み薄だった。強行突破をしてもいいが、連中はこちらを誘いこんだのだから、それなりの備えはしているだろう。なんの罠が待ち構えているかわからない。
不幸なホームレスを犠牲にして手榴弾の勢いを殺し、かろうじて助かった。幸運は何度もは続かないだろう。全身くまなく痛むし、装備一式入った鞄もどこかに飛ばされてしまって見えない。
人の気配はあるが、ホームレスか伏兵か見分けがつかない。おそらく半分以上は罠だろう。ビリーがいれば心音や呼吸で、敵かどうか聞き分けられた。しかし今、ここに兄はいない。
バリーの目にはゴーグルのような自動調光機能は付いていない。赤外線で点灯するライトは暗視ゴーグルを持つ敵の行動を何も阻害せずに異能を阻害してくる。
嫌らしい作戦を立てるじゃないか。
完全に対バリーのフィールドだ。
再び掛かってきた着信を受け、ハンズフリーに切り替える。ワイヤレスイヤホンと携帯は、幸いにも爆風の衝撃の中で生き残った。
『異能は、使うな』
電話口にビリーの声で端的な指示が飛んだ。兄弟の声を聞いて安堵し、息を吐く。
「中、真っ暗なんだぜ」
『そこはお前に異能を使って消耗させるために作ったフィールドだ。目が見えなくなったら終わりだ。行動はこちらで指示する。
二つ向こうの障害物の陰に伏兵。途中に置いてあるのは、ブラフのホームレス。ホームレスが動ける範囲に罠は張ってないから退避場所に使え。一メートル先、胸の高さにワイヤーとブービートラップ。九時方向から矢が来る仕掛けだ。合図したら避けて走り抜け、三秒後に伏せろ。合流する」
何が起こるか、全部見えてるみたいに言うな。
いや、見えてるじゃなくて、聞こえているのか。
にやりとバリーは笑った。兄弟が揃えばできないことなど何もない。
『行くぞ』
イヤホンの向こうの合図に従って走る。
三、二、一。
カウントし、床に飛びこむ。
銃を構えた男が見えていたが、無視した。ビリーが大丈夫だと言った。であれば、無視をするのが正しい。
銃を撃とうとしたその瞬間に、雨戸をぶち破って飛びこんできた散弾銃の一撃を受けて、敵の体は真横に吹き飛ぶ。そして破られた窓から飛びこんだ影が、バリーの体を抱え押しこむようにして物陰に押しこんだ。
「大丈夫か?」
それは紛れもなく兄弟の姿だ。
「二人いれば余裕だ、ビリー」
手渡された銃を受け取りながら、バリーはニヤリと笑った。
紫煙で白く煙る室内で、男たちが向かい合って座る。
黒服に武装を隠そうともしない男と、趣味の悪い派手なスーツに身を包んだ男。片やマフィアの幹部、片やオーガスタ商会の幹部だ。オーガスタ商会の男は時計をちらりと確認した。スマホを震わせたメールの内容に片頬を歪めて大仰に足を組み直す。
「やはり、ワイズマン氏は来ないらしい」
勝ち誇ったように笑う。
その瞬間に、ドアが開け放たれた。
感情のない目をして立つ羅針盤のような刺青を後頭部に入れた男を見て、オーガスタ商会の幹部はあっけにとられた。
「時間通り、だ。商談は予定通り行われる」
その声色は、兄弟を殺されかけている人間のそれではない。冷たい瞳で、ソファから腰を浮かせた男を見下ろした。
この場所にいるはずがない。他でもない片割れを、この男が見捨てるはずがない。ではここにいる男は誰だ。その可能性に思い至って、気を取り直したように椅子に座り直した。
「バカをいうな。お前、松永だろう。あの兄は弟を助けにいった。ここにいるはずがない。くだらない冗談はやめろ」
ビリー・ワイズマンは弟を見捨てられない。二人揃ってしまえば、あの場は突破できるが、二人揃わなければ無理だ。であれば、ビリー・ワイズマンは絶対に弟の命の方を取る。この場所に来ることができるわけがない。
松永が途中で裏切って、ワイズマンの側についたか。
だが、代理人に商談などできようはずがない。これでこの仕事はオーガスタ商会のものだ。商売敵を殺す機会はまた次もやってくるし、力を削いで行けばいずれ脅威ではなくなる。
「あのいけ好かない若造どもを始末できなかったのは残念だが、仕方がない」
「なんでもいいさ、で、結局どちらがテーブルに着く。松永ってのは誰のことだ?」
黒服が退屈そうに、オーガスタ幹部とビリーの顔を見比べた。
「こいつは本人じゃない。代理人による取引は無効だろう? そもそも」
オーガスタの幹部が言い募るのを、ビリーが遮った。
「予定に変更はない。商談は私と行う。そして、オーガスタ商会は今日で店を畳む」
銃声一発。趣味の悪いスーツが、血と脳漿で赤く染まった。
ビリーの右手をだらりと下げた体の動きはぎこちなかった。
「右手、どうした」
「お兄さんに刺されました」
ビリーが〝らしくない〟表情になった。目の前にいるのが兄弟でないと気づいたバリーの顔が曇る。
「お前松永、か」
「正解」
「異能なしでなんで、敵の位置が分かる」
「僕が考えた配置なので」
バリーは兄の姿をした男の胸ぐらを掴み、シャツに血が滲む場所に指をねじこむ。
「ビリーに、何もしてねぇよな。生きて帰ったらお前を殺す」
「ハハ、いやお手柔らかに。そんな風にされると途中で間違った指示出しちゃいそうだな」
痛みに顔を歪めながら、松永は笑った。
「オーガスタが声をかけたのが、僕じゃなかったら二人とも完全に詰みでしたよ。むしろ感謝してほしい」
商談を取るか、弟の命を取るか。どちらかを選ばねばならず、土壇場の選択で迷えば両方失う。オーガスタ商会から声を掛けられた松永は、そういう状況を作り出すことを提案をした。
二人の異能の詳細は理解している。彼らを分かっているから、完璧に封じるフィールドを作り出せる、と。
オーガスタ商会はその作戦に乗って、この場を松永の指示通りに作った。敵が想定した通りにしか動かない戦場。異能がなくとも、切り抜けるのは容易い。
「俺たちが死んでも借金がチャラになるとから損はないと思って受けたろ?」
「まさか」
どちらの味方をしたつもりもない。松永は己を利するものにしか協力しない。
最も金を払った方が勝者になる。そういう状況を作っただけだ。
「単純に、どっちが負けても面白いと思ったからさ」
度し難い獣は、薄闇の中でニヤリと笑った。