地平の明かり


 夏よりも足早に迫り来る夜の気配が空を覆い、いつのまにか足元が暗くなってきていた。
 ランプに火を入れるため、シャイラスは一度足を止め、休息を挟むことにした。
 一つ前の街とそこでもらった地図によれば、この辺りに宿を貸して暮れそうな村ががある筈だ。
 その言葉を頼りに歩いてきたのだが、もう日が暮れようというのに民家の明かりひとつ見えてこない。
 街道沿いと言われたから見間違うことはない筈だ。確かに街道は踏みしめられて地面に深く馬車の轍が残っており、人の生活の気配がある。
 地図の読み取りに自信がないシャイラスは、少なくとも道に迷ってはいない筈だと言い聞かせる。
 油の残りを確かめて、ランプの芯に火を移すと光量を調整する。
 街の人が嘘を言っているようには見えなかったが、悪意なく伝達ミスをしている可能性は大いにある。例えば馬で有れば、という前提を抜かしてしまったとか本人が外に出たことがないから人伝の知識だとか。
 こんなことなら、途中の農家で声をかければよかった。あまり遅くに訪う客は夜盗ではないかと警戒されてしまう。
 戻るべきか、進むべきか、それとも野宿になると覚悟して今から野営の準備を整えるべきか、迷っていた。
 周囲は見晴らしのいい荒野で、見張りをするのは容易だが、風を遮るものがない。夜明け前になれば強く冷え込むことがわかっている。
 一日くらいなら水はまだ持つが、薪の用意が問題だった。
 日が暮れただけで、既に冷え込んできている。シャイラスは野営の可能性を捨てた。
「アクル、何か見えるか?」
「私もまだ何も……」
 精霊と心を通わす彼女ならば、何か別のものが見えるかと思ったが
「でも竃の火の気配があるって、カッシュが言ってるから、そんなに遠くはないと思う」
 竃の火。人の家の気配。
 その言葉を信じることにした。
「よし、もう少し進もう。体力は大丈夫か」
「平気」
 心強い笑顔に背中を押されて、荷物をまとめ直し出発をする。
 寒さは強まっていたが、足取りはさっきよりもしっかりとしていた。
 ランプに火を入れたからだろうか。いや、進むためには目標が必要なのだ。あそこまでたどり着いたら報われるという確信があれば、そこが寒空であっても、たとえ険しい山の中であっても進むことができる。
 平に見える地面は緩やかにうねっていて、地平の輪郭を曲げている丘を越えるたところで、後ろを歩いていたアクルが小走りになって前に出た。
「あ、シャイラス見て、あそこ!」
 指差す先にあるものが、シャイラスにも見えた。
 明かりがある。建物はないのに、地面がうすぼんやりと光っている。
 人里のようには見えなかった。だが他に目指すべき明かりもなく、戻るにも遅い。
「とにかく行ってみよう」
 近づいてあかりの正体がはっきりした。
 地面が光っているのではなく、掘り込んだ地面に、家を作っているのだ。外の寒さから逃れるための工夫だろうか。遠くから見えなかったのは、そのせいだった。
「わぁ、可愛い」
 アクルが声を上げた。
 ドワーフの住居のようだ。
 入り口に向かってなだらかに地面が掘り込まれている。玄関は柔らかくアーチを作って上には植物が埋められ、石灰石で作られた家の無骨さを素朴さに変えている。
「泊めてくれるかな」
「宿があるらしいから、探してみるか」
 聞いた話によれば、宿をとることができるのだから、閉鎖的な里ではないだろう。人や馬車がうっかり落ちないようにだろうか、穴の入り口には表札代わりの看板が立っている。
 人名はおそらく民家。宿の看板を探して、二人は里を歩き回る。
 地面にぽこぽことあなぼこと看板が並んでいる様は、大きな動物の巣穴を見ているようで落ち着かない気持ちにさせられる。
 だが、もう荒野を進むときのような心細さは感じていなかった。

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