月光の染みた花弁


 短期労働者向けの宿は、狭い空間を最大限活用するためにハンモックを縦に二つ並べてあった。
「上に登るのに、踏み台がいるな」
 シャイラスは頭の高さにある布をみて、苦笑いした。ハンモックの下に荷物を置く。部屋には他に簡素な木製のテーブルと椅子、コンロがわりの小さなストーブがある。上等な宿とは言えないが野宿でないだけありがたい。
 この時期に、シャイラスたちができる仕事は一つだけ。朔朱灯の収穫作業だ。町全体でかかりきりになるから、それに関わることしか募集がないのだ。貸与された作業着に着替えて畑に向かう。
 直射日光が当たらない北側の石垣は、燃やしたように赤く染まっていた。一面に赤い花が咲いているのだ。朔朱灯と呼ばれるこの地方特有のサボテンの一種だ。乾燥した土地に根を張って、地中のわずかな水を頼りに手をかけずとも育つ。一年の内のほんの短い期間、一夜だけの赤い花を咲かせる。葉は棘があるし灰汁と渋みが強いが、その瑞々しく香りのよい花はわずかな甘みと酸味を含んだ突き通った味をしていて食べられる。
 夏の新月を超えた頃から徐々に花をつけ始め、満月を越えてから次の新月を迎えるまでが収穫期だ。それ以上刈ると株が弱る。街の名産品であり希少な保存食でもある朔朱灯の蜜漬けを今年一年間の分、この十五日間で作ってしまわなければならない。
 そのため町は、子供から警備兵、旅人に至るまで手が空いている人間は残らず朔朱灯の加工でかかりきりになる。
 焼き尽くすような日光を避けるように日が暮れてから咲く花を、しおれて香りを失う前に収穫するのが、シャイラスとアクルの今回の仕事だ。
 蕾の段階で刈り取ってしまうと、渋みが抜けない。しかし刈り損ねると、次の日にはもう萎んでいる。
 収穫した花は萼をとって層になるように薄く広げ、砂糖と交互に樽に漬け込む。一月もすると水分が滲み出て砂糖を溶かし、朔朱灯の蜜漬けができる。その他、萎れる前に生食もされる。シャキシャキとした歯触りの朔朱灯のサラダは、この時期しか味わえない旬の味覚だ。
 作業は背中に籠を背負い、片手サイズの専用鎌で行う。土地の隙間を生かすように石垣に植えられている朔朱灯の収穫は、ロープで吊るされながら上から徐々に降りていく。いっぱいになったら一度下まで降りて籠を交換し、中断した地点までロープを引っ張って持ち上げてもらう。
 引き上げる人間の負担を軽くするために、小柄な女子供が選ばれる。
 恰幅が良くなりすぎた大人は下で朝になる前に砂糖と花を樽詰めにする作業、力自慢は上で滑車を操作する係だ。
 シャイラスは子供扱いをされて収穫の役目を振られたのが不満なようで、ギリギリまで引き上げの方に入れてもらえないか粘っていた。
「仕方ないよ、シャイラス。花を詰める仕事も滑車の操作も技術がいるもん」
 樽詰めは花に砂糖が適切な量まぶされていないと、保存している間に腐ってしまう繊細な仕事だし、滑車は操作を誤ると吊るされている人間が真っ逆さまに落ちて怪我をする。初心者にも安心して任せられる仕事というのが収穫くらいなのだ。
 大剣を振り回し魔物と戦うシャイラスの腕力は大人と比べても引けを取らないということは、一緒に旅をしているアクルが一番よくわかっている。しかし悔しがる彼には申し訳ないが、一人でやるより二人で収穫の作業をする方が楽しいと思っていたから嬉しかった。
 ハーネスを身につけロープを固定すると、朔朱灯の株を踏まないように石垣の岩を蹴って少しずつ下に降りていく。株の生えていない隙間を見つけたら、花を刈るときに肉厚の葉っぱを根本から折って石垣の隙間に差しておくと、三割くらいの確率で根付く。そうやって増やしているのだという。
 朔朱灯の花は繊細に見えるが水分がぎゅっと詰まっている。背中におった籠は徐々に重くなっていき背負い紐が肩に食い込んだ。最初は前は小さすぎると思っていた籠も降ろす頃には結構な重さになっていた。下の方になった花が潰れてしまわないように、そして子供でも扱えるようにその大きさに決められてるらしい。
 砂漠の夜は冷え込むが、汗をかくほどの重労働だ。東の空が白み作業が終わるころには、クタクタになっていた。
 作業が終わると収穫したばかりの朔朱灯のサラダを渡される。酢で和えてあるから、一晩おいても食感は損なわれない。明日仕事の前に食べるといい、といつもは酒場の主人をしている女性が微笑んだ。
 共用の風呂場を借りて部屋に戻る頃には、すっかり夜が明けて朝になっていた。
 椅子を使ってハンモックの上の段に這い上る。
「アクル、窓締めてもらっていいか」
「わかった」
 カーテンではなく木板で閉ざすタイプの窓は閉塞感を感じると思ったが、昼に眠るときに光が差し込まないようにという配慮らしい。
 ふと下をみると、テーブルの上に朔朱灯のサラダと並んで赤い花が活けてあった。
「もらってきたの」
 シャイラスの視線に気がついたアクルがいう。
 水を入れたコップを花瓶の代わりにして、朔朱灯が二輪ある。
 赤い細長い花弁が幾重にも重なってラッパの形を形づくり、中心から線香花火のように黄色い雌蕊が飛び出してる。月のない夜から咲き始め、赤く火が灯ってるように見えるから朔朱灯だ。
「一夜で萎れちゃうんだろ」
 目が覚める頃にはもう萎れているはずだ。
「良いの良いの」
 アクルは上機嫌で朔朱灯の赤い花の側で何かをしていたが、気がすむと窓を閉ざしてハンモックに潜り込んだ。
 夕暮れを知らせる鐘で目を覚ました。天井近くにぶら下がっている紐を手探りで引っ張ると窓の木板が外れる。赤い夕日が部屋の中を照らす。朔朱灯の花はやはり萎れていた。
 下に降りたシャイラスは萎れた花の窄まった先の部分が紐で縛ってあることに気がついた。
「なんだ?」
「中にね、茶葉をいれてあるの」
 起きてきたアクルが眠い目をこすりながらお湯を沸かす。
「茶葉?」
「そう。昨日教えてもらったの。こうしておくとね、匂いが移るんだって。お蒸留酒に漬けたりしても美味しいんだけど、仕事前に飲むならこれがいいって」
 ポットの上で花を縛っていた紐を解くと、中からパラパラとお茶の葉っぱが出てきた。花の方は千切ってカップの方に入れる。
「綺麗だな」
「でしょ?」
 お茶を注ぐと赤い花弁は熱が通って半透明になる。煮るとトロリとした食感になり、砂糖の代わりに入れた蜂蜜とよく合う。
「これ、いいな。今日も作ろう」
 花の香りが染みたお茶は、透き通った香りがした。

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