傭兵のイデア


 荒野を貫く鉄道路線。線路の修理資材や補給を行ういくつかの中継駅で停車する他は乗り込む者も降りる者もいない。終点から始末まで突っ走る貨物列車だ。
 運ぶのは『エントの雫』と呼ばれる特殊な薬。 
 都市部では無菌室がごとき環境で過ごすのが当たり前になり、人への守りが強固になるのと反比例して脆弱になっていった人類の各種免疫疾患の救世主。
 今やそれはインフラと同じく人々の生活を守り命を繋ぐのに欠かせなくなっている。
(あくまで金持ちの命、だが)
 その価値と重さの違いを思い、ネイト・カーペンターは唇の端を釣り上げた。
 都市部で暮らす連中よりもずっと病に晒されている筈の労働者階級に命の水が行き渡ることはない。それでも己の体が持って生まれた力だけを携えて、普通に暮らしている。
 埃臭い荒野を渡り時に野宿し、飢えをしのぐ手段を探し汚れた水をなんとか飲めるようにし、人間の血を頭からかぶったり臓物に手を突っ込んだりしながら生きている傭兵家業は、もっとシンプルだ。そうした人生では病に細かい名前などない。
 生きているか死んでいるか、動けるか動けないかが重要になる。
「なんで足元、透けてんだろうな」
 今日初めて列車に乗った新人は列車の揺れに怯えながら、慎重に鉄板に足を乗せた。
「コンテナ用貨物車両だからな」
 ガタガタと激しく揺れる車両の上で、足の下を高速で流れていく線路を見下ろした。手すりにつかまり慎重にネイトの隣まで移動してくると、男は笑って手を差し出した。
「フィリップ・ギュイだ。よろしくな相棒。あんたこの仕事長いんだろ?」
 新人といって後輩扱いできるほど初々しくはない。それは教えずとも仕事は一通りできる相手だということを示していた。腰のナイフはこの仕事では出番がないが、肩に担いだ小銃は信頼できる。
「新入りは最初のツアーで半分が死ぬ。自己紹介は生き残ってからにしてくれ」
 ひらりと顔の横で手を振って、握手を拒む。
「随分なご挨拶だな。あんたみたいな奴は、弾に好かれるぜ」
 ギュイは不愉快そうに眉を跳ね上げ、ネイトを睨んだ。
「撃たれて死ぬんじゃない、落ちるんだよ」
 そこの隙間からな、と足元に口を開ける地獄の門を指す。
 雨が降った日などは滑るから、最悪だ。塞ごうという努力をして木板などで塞いでいた時期もあったが、固定をしていないので長時間の列車の振動に晒されるとしばしば欠落するのだ。足場があると思い込んでいる分、踏み抜いて落ちる事故が増えたのでいつしか撤廃された。
 ただの貨物車両からコンテナを一つ抜いているだけだ。人が立てる場所を固定をしてしまうとコンテナ車両として使い回し難くなる。それでも人命を守る工夫などいくらでもできそうなものなのだが、それをしない。
 傭兵の命とは、その程度の手間を惜しむ重さなのだ。
 『エントの雫』に文字通り人の命が乗っていることを知っている人間はどれくらいいるだろう。荒野の果てから都市にひた走るこの荷は莫大な金を生む。
 道中は必ず荷を強奪しようという連中が湧いてきて、列車に追いすがる。中の水が溢れては意味がないから、爆破だの脱線だのという強硬手段には及ばないが、飛び移って後方の車両を切り離そうとする。
 そういう連中を一つ一つ銃で撃ち落としていくのが、ネイトたち傭兵の仕事だ。
 列車から滑り落ちて死ぬ間抜けな傭兵の命と、撃ち合いで散っていく命。そういうものがこびり付いていることを、この水を使って生きながらえている連中は知らないか、知っていても利益を削って対策するほどの重要なものとは考えていないのだ。
 あるいは街を出て社会を飛び出したものたちは、彼らにとって命ではなく人ではないのかもしれない。
「墓の下で眠りたいなら、くれぐれも気をつけてくれよ。ミンチを拾い集めてくれる親族や恋人がいるなら話は別だけどな」
 ギュイは想像したのか、青い顔をしてネイトが陣取っているのと反対サイドの持ち場についた。
 何両も連なり長いので、護衛車両も何箇所かに設置される。二人一組でチームを作り、八時間交代のシフト制だ。この車両に乗っているハーフサイズのコンテナが、傭兵たちの休憩スペースを兼ねている。
 運転手はいない。自動運転だ。
「うたた寝するときは必ずコンテナの中でしろ。ただしシフト中は絶対に持ち場を離れるな」
「ベルトで繋いどきゃいいんじゃないか」
 自分の体を手すりに固定して、所定の位置につく。
 こいつは長生きはできないだろうな、と思いながらネイトは視線を流れていく景色の方に戻した。
『なんであそこまでして連中は、この列車を襲うんだろうな』
 聞こえるはずのない問いかけが、背中にぶつかる。それを言ったのは、そこにいる軽薄に笑う金髪の男ではなかった。
 東国の顔立ちをした男。
 どうせ死んでしまうのに、なぜ彼らは無鉄砲に列車に飛びついてくるのだろう。
 相棒は、仕事中によくそんな話をした。
 襲撃と撃退はルーティンワークになりつつある。成功率が低いだけというならまだしも、強奪が成功したという例を一度も聞いたことがない。失敗したなら別のやり方を考えればいい。あるいはもっと安全に稼げる方法を見つけるかすればいいんだ。
 先人が犠牲になっていくのを見て、彼らは何も感じないのだろうか。
 彼らは本当に略奪者なのかって、考えたことはないか。 連
中は車両を切り離したあと、一体どうするつもりだ。奪ったところで、運ぶ手段はあるのか、金に変える手段はあるのか。
 やめておけよ、とネイトは言った。
 それは多分、俺たちが気づいてはいけないことだ。
「お前は、色んなことを考えすぎる」
 眼前に浮かんだ黒髪の白昼夢を、銃声が切り裂いた。
 ネイトは飛び起きた。断続的に続く列車の揺れが心地よく、新人共々うたた寝してしまっていたらしい。後方の見張り車両の連中が、まず気がついて発砲した。想像以上の接近を許してしまったことに舌打ちをして、銃を構える。
「来たぞ!」
 カーブで速度を緩めた列車に並走して来るものたちがある。崖上から飛び降り、あるいはジープで追い上げてくる。
 視認すると同時に、運転手を打つ。フロントガラスが蜘蛛の巣のようにひび割れた。吹き出した血と脳漿が、白く割れたガラスに赤い模様を作ったのだけが見えた。
 ハンドルがぶれ岩に乗りあげて横転する光景が、一瞬で後方に流れていった。
「コンテナの上、来てないか」
 これはルーティンワークだ。来ていないはずはない。
「確認する」
 立ち上がろうとしたギュイの体が、ベルトに引っ張られてつんのめった。頭のすぐ上を強盗たちが発砲した銃弾がかすめ、コンテナで跳ねた。
 上半身が車両の向こう側に乗り出す。なんとか手すりを掴んだが、折り悪く列車はカーブに差し掛かり、遠心力がかかっている。
 ぐらと上体が傾いたところで、間一髪ズボンをひっつかんで引き戻す。ベルトをナイフで切断し、動きやすいようにしてやった。
「なんで誰も自分の体を結びつけていないかわかったか」
「助かった」
 助けたわけではない。
「車輪に巻き込まれた死体はグロいんだよ。停車しねぇから取り除くのもめんどくさい」
 言いながら手すりに飛び乗り、コンテナの上を確認する。はやり、数人飛び移っている。
 もうすぐ列車は直線コースに入り、速度をあげていく。追っ手の飛び移れない速度になればあとは車両に取り付いた連中を掃討するだけだ。
 悲鳴のような声で制止するギュイに弾をよこせと言い捨てて、車両に取り付いている連中を撃ち落とす。初めの発砲で向こうもこちらに気が付いた。構える武器は銃火器を相手取るにはあまりにも拙い。こちらの車両に取りつかれる前に全員を撃ち落とし、ネイトは不安定な手すりから降りた。
「なんとか生き延びたな、新人」
「お見それしましたよ、先輩」
 俺は絶対にやりたくない、とギュイはため息をついた。
 最初の襲撃を乗り切れば、交代の時間まで危険な場所はない。
 休憩用コンテナの中身は装備と食料が大半で、個人スペースはないに等しい。肩が触れ合うような距離で、大の男二人が横になる。
 休める時に即座に眠れるようにしているが、隣の男が妙に体を強張らせ、少しでも距離を取るように壁際に寄ったのが気になって、目が冴えてしまった。
 やがて音を立てないように慎重にベルトを外し、ズボンを脱ぐ音が聞こえてきた。
 ネイトは目を開けないまま、ため息をついた。枕の向こう積み上げられた荷物の陰に手を突っ込んでボックスティッシュを引っ張り出す。
「新人、ティッシュはここだ。クセェから外に捨てろよ」
 声をかけられ、悪戯を見咎められた悪童のようにびくりと肩を震わせた。ズボンを下ろしたままで肩越しにちらりと目をやり、差し出されたティッシュを受け取る。
「外? いいのかよ。捨てたティッシュはどうなるんだ」
「しらねぇよ。非分解性化学物質でも含まれてなけりゃ土に還るだろ」
 この線路の周りには死体や大破したジープやたくさんの薬莢や、その他諸々が転がっているのだ。精子が染みたティッシュが数枚、落ちていたことが一体なんになるというんだ。サボテンでも孕むというなら話は別だが。
「早く終わらせて寝ろよ。この仕事、体力勝負なんだから」
「あんたの前ですることになるじゃないか」
「バディに隠し事はできない」
 諦めるんだな、と言い捨てて寝袋に包まり直す。
「外でしてくる」
 ボックスティッシュを掴む。
 外には見張りをしている連中がいるんだが、気づかせてやったほうがいいだろうか。
「落ちるなよ。あと撃たれるな」
「それにしてもむちゃくちゃなやり方だったな。一体何がしたいんだ、あいつら」
 ぶつぶつと文句を言いながら、コンテナを出ていった。
『彼らは奪いたいんじゃない、取り返したいんだ』
 相棒の幻覚が返事をする。
「リュウ」
 ついこの間までそこで寝ていた、黒髪と黄色い肌の東洋人の男。
 ちょうど一週間前だ。奴は列車に引きずられて、クレヨンみたいに線路に赤いラインを引いた。ひっぱりあげた時、新品のクレヨンは半分くらいに減り、白い背骨をぶらぶらとさせていた。
 死体は持って帰らない。引き取り手なんてどうせいないし、置く場所がないからだ。終点が近ければいいが、数日かかる列車ツアーを死体と一緒に過ごすのは最悪だ。しかも休憩車両の冷暖房は効きが悪い。
 だから大抵、他のゴミと一緒に投げ捨てる。相棒に関してさらに最悪だったのは、捨てた場所が悪くて死体が線路の上に残ってしまい、帰りの道で轢き潰したのがわかったことだ。
 他の諸々のゴミや死体も多く落ちているが、その時感じた揺れはリュウの死体だったと相棒の勘でわかった。
 昔から、どうでもいいことに興味を持つ男だった。
「エントの雫が何か知っているか」
「アルコールを抜いたイェーガーマイスターか何かだろ。植物由来の安心安全な成分」
 植物を由来とする途方もない猛毒をいくつか知っているネイトにとって、自然物由来が安全で化学合成品が危険とする理屈は理解しがたい。しかし自分たちの生活から排した自然物への信仰を捨てきれない金持ちどもの理屈では、そういうことになっている。
「違う。植物じゃない。そんなものに命はかけないさ」
「へぇ、あれがなんだか知っているのか」
「神だ」
 胡乱な響きに、思わず相棒を疑いの目で見つめた。
「この仕事しているやつは、全員無心論者だと思ってた」
「己の中に確固たる正義と信念の拠り所がなければ、人なんて殺せないぜ」
 そういうものか。
「街の人間は、神を殺して生きている。だから取り返しに来る。あれは彼らなりの信仰。殉教者たちなんだよ」
 腹の底まで理解したと思っていた相棒が、突然全く知らない他人に変わる恐怖を知った。熱を持った口調で語られる言葉は得体の知れない手触りをしていた。
「許されることじゃない」
 その言葉そのものが、彼がいうところ信仰のように思われた。肯定も否定もできず、聞こえなかったふりをした。
「なあ、聞こえているか」
 それは、生きている相棒と死んでいる相棒、どちらの声だっただろう。急所に触れる気配がした。
 そこから先は全くの反射であり、習性だった。
 相手の手を捻り上げ素早く確認した装備の中にナイフを見つけて奪うと首筋に押し当てる。それが相棒だったので、顔を確認した直後に開放してやった。
 両手を上にあげて無抵抗を示す。
「お前、早漏か」
 時計を確認する。まだ十分も経っていない。
「外のやつが、抜きたいならあんたに頼めと」
「あの野郎、顔面線路で擦り下ろしてやる」
「で、部屋に戻ったらあんたがうなされてた」
 だから襟を緩めてやったんだ、と言い訳がましく口にする。
「うなされてない。結局、抜いていないのかよ」
 服のボタンをとめ直す。
「この車両、プライベートってもんが欠片もない。なぁ、あんた相棒と寝てたって本当か」
 答える義理はない。だが男の目の底に光る欲望の色はそろそろ無視できなくなってきている。
「初日からそれじゃ先が思いやられる。欲が強いのは結構だけどな、溜め込んで仕事に支障をださない範囲で頼むぜ」
「仕事に支障をきたさないために、あんたの協力が必要そうだ」
「悪いが初対面のやつと寝るほど、安くない。死ぬ前の最後の思い出にもなりたくないんでね。帰りの道も生きてたら考えてやる」
「その前に爆発しそうだ」
 盛りがついた犬のようにそのまま分別なく襲いかかってきそうだ。嫌な予感を感じて後ずさった。ぐいとのしかかってくる体は重い。首にナイフを当てたままでいてやればよかった。
 床に背中をついたネイトは、不自然な振動に気が付いた。
「まて、何か聞こえる」
 地鳴りが聞こえた。
「誤魔化すなよ」
 誤魔化していない。確かに聞こえる。聞き慣れた列車の音と、異音を聞き違えたりはしない。
「誤魔化してない。お前、ちょっとどけ」
 押しのけようとした時、衝撃が襲った。
 列車全体が軋むような激しい揺れだった。
 もみくちゃにされて頭をぶつけ、ネイトは気を失った。
「生きてるか?」
 揺り動かされた。
 顔を上げると頭がズキと痛み、手を当てるとべったりと血がついた。時計を確認する。気を失っていた時間は五分にも満たない。
「何が起こった」
 ギュイが戸惑ったように、コンテナの中を見回す。
「とにかく外だ。弾薬と水の下敷きになって死ぬのはごめんだ」
 見つけられる装備を引っ張り出して外に出る。揺れで振り落とされたらしく、外には誰もいない。
 列車の後方、代わり映えのしない景色が続く荒野に見慣れぬランドマークが出現している。線路の真ん中、車両にまたがるように、巨大な樹木が生えていた。
 エントの雫を浴びてキラキラと輝くその大木は、列車に根を張り蔓を天に向かって伸ばし、前のめりに倒れて車両を押さえつけた。激しく車両が振動し、手すりにしがみつき姿勢を低くする。
 種が載っていたのかと、意味の通らない想像をした。すりつぶした青汁の中に種が残っていて急速に発芽して育った。
 バカみたいな想像だが、目の前の現実をそのまま飲み込むよりよほど現実的な解だった。
 大樹が動いている。列車に取り付き体をうねらせ、鹿のような枝葉を伸ばす。こちらを向いている方が大きく広がり、口を広げて慟哭する獣のようにも見えた。うごめく幹が絡み合い、軋みながら動く。細かく枝を伸ばし車両に取り付き、その重さを支える車体が激しく軋み、線路に舞い散る火花をまとって襲いくる。
 蛇のようにうねりながら、先頭車両に移動してこようとしているように見えた。
 後方にいた護衛の連中がねじ切って投げ捨てられる。血しぶきが風に乗って後方に流れていく。
「本当にいやがった」
「なんだ、これ。なんなんだよこの化け物は、なァ!」
 生きた植物。思考する森。歩く樹木。蛇のようにうねり、角のように立派な枝葉を広げ、大きく口に似た器官を広げる。
「竜」
 ネイトは口の中で呟いた。
 東洋ではそれに伝説の生き物の姿を与え、神がごとく信奉してる。
 驚嘆している時間はなかった。植物のくせにその移動速度は速い。緩慢に見えるが大きさが桁違いで伸ばした一歩が大きすぎる。
「持ってかれるぞ。後続車両、切り離せ!」
 無線の中で、先頭に近い場所にいた連中の叫ぶ声が聞こえる。冗談じゃない。こんなところで切り離されたら、あの大樹の化け物と荒野の真ん中に置き去りだ。
「化け物を引き剥がす」
「誰がいくんだよ」
 ギュイが呆けた顔でつぶやく。
「俺がいく」
 手榴弾を掴む。手すりに足をかけ、一両後ろのコンテナに飛びつく。
「おい」
 ギュイが叫ぶ。
 悠長に車両の切り離しを行なっている時間はない。そんなことをしていたら前方にいる連中がこちらを見捨てるだろう。巻きついている化け物ごと吹っ飛ばす。
 こちらに向かって伸ばしている蔦を弾き飛ばすために、発砲する。
 目の前に黒髪の男の幻覚がちらつく。
 うるさい、消えろと叫んでも、いなくならない。
『これは、彼らの命なんだよ。俺たちがすりつぶしているもの、奪っているものは、彼らの最も尊いものなんだ』
 リュウが銃口の前に立つ。
 あの時も、こうして車両に飛び移る男たちをかばうように目の前に立ちふさがった。
 どけ、とネイトは叫ぶ。そんなものどうだっていい。
「だからどうした。命の大切さ語りたいなら、富裕層のハイティーン相手に倫理の時間の特別講義でもしてくるんだな。このコンテナの中で溜まってんのも命なら、俺たちがパンケーキに集る蟻扱いして撃ち殺してんのも命。それで金を稼いでる俺たちだって、命に変わりはないだろうが」
 なんで、あの殉教者やこの植物の化け物の命だけが守られる必要がある。ネイトは撃った。そうしなければならなかったからだ。
 今と同じ。それがどんなに尊かろうと自分の命には、及ばない。
 手榴弾を大口を開けているように見える植物の塊、竜の口の中へと投げる。持てる限りの全てを投げきると、身を翻して戻る。
 逃げる時間はほとんどなかった。
 爆風と閃光。車両が大きく跳ね、体が浮いた。吹き飛び、コンテナ車両の上を滑り、連結部に落ちる。
 手を伸ばすが無骨な金属塊には掴む場所がない。指先が表面を削って爪が剥がれた。
 ああ、落ちる。ひき潰されて死んだ、リュウの姿を思い出す。
 なんで許されない。俺やお前の命はこんなに簡単に終わるのに、なんであの樹だけ、大切にされなければならない。
 体がぐいと持ち上げられ、肩がコンテナの側面にぶつかった。
 ギュイが必死の形相でコンテナにしがみつき、ネイトを腕で持ち上げていた。
「あんたには、ミンチを拾ってくれる家族はいるのかよ」
 言いながら渾身の力で持ち上げる。二人は肩で息をしながら、列車の上に転がった。
 大樹もろとも置き去りにされた車両が後方に遠ざかっていく。
「なんだったんだ。あの化け物」
「エントだろ」
 エントの雫。植物由来の万能の治療薬は、あの不可思議な存在をすりつぶして作られた霊薬。あれを神のごとく信じる連中にとって、それはきっと禁忌だろう。
「あんたが言ってたリュウってのは」
 余計なことを聞きつけている。ネイトは顔をしかめた。死んだ相棒の幻覚。もう二度と言葉を交わせない相手と、ネイトはずっともう一度、言葉を交わしたかった。
 あんたの国では、あの生き物をリュウっていうんだろ?
 あんたの国で、それは神だったのか。
 人の命と等価だったか。
 尊かったか。
 かけがえがなかったか。
 けして犠牲にしてはならないものだったか。
 失われてはならないものだったか。
 命を投げ捨てても守りたいものだったか。
 俺の竜は、お前だったんだ。
「すり潰された神の名前だ」
 ネイトの答えに、ギュイは首を傾げた。例えどんなに焦がれても、それは今はもうないものだ。
「気にするな。どっちにしろ、もう死んでるんだからな」
 ネイトは生きている相棒の胸ぐらを掴むと、キスをした。

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