【百人一首 厳選40題】

忍れど色に出でけりわが恋は

「だから、やめとけっていっただろ?」
 風が枝葉を揺らした。降り注ぐ水滴から顔を庇って、薬袋みないはムキになって進み続ける背中に声をかける。
 周囲は自然の音で騒がしいが、聞えていないはずはない。一人で突っ走っていくくせに一人は嫌で、でもそれを悟られるのも嫌で、後ろをついている人間なんて全く気にしていないというフリをしながら、耳をそばだててちゃんと付いてきているか気配を探っているのだ。
「風邪引くって」
 雨脚は強まる一方だ。降り始めは木が天然の傘の役割を果たしてくれていたが、雨が勢いを増すに連れて意味が全く無くなって、今では雨粒を集めて更に大きくして頭上から降り注がせている。
「どうせ通り雨なんだから、素直に雨宿りしてればよかっただろ?」
「来ちゃったんだからしょうがないだろ! そんなに嫌なら戻って雨宿りしてろよ」
 泣きそうになっているのに気がついて、それ以上苛めるのはやめにした。
 確かに一理ある。他のメンバーが雨が降りそうだから休むといってコーヒーショップから動こうとしなかった中、のこのこと付いてきたのは薬袋の自由意志によるものだ。雨が降りそうだからという建前の裏に、正直面倒くさいという本音が見え隠れして、井崎が憤慨しているのにも気付いていた。
 一度店を出てしまった手前、雨が降ってきてからも引き返すと言いだせずずっと意地を張り続けた結果が、これだ。
 それをどうこうするつもりはなかった。井崎が腹を立てるのももっともだが、コーヒーショップに残った面々の気持ちも充分にわかる。むしろ井崎はここまで付き合ってくれた薬袋を始めとする友人たちに感謝するべきだ。
 結局、一人で何かするのは心細かっただけだろう。
 本当は、今日はバードウォッチングをする予定だった。発案者は井崎だ。こんな雨が降りそうな日に設定をした時点で、いかに不慣れで素人であるかが大体窺えるが、動機自体がそもそもろくなものではなかった。
(突然自然に興味がわいたとか言っちゃって、バレバレなんだよな)
 突然、自然に興味がわいた。で、突然服装の趣味が変わって、突然エコとか気になるようになって、突然バードウォッチングにいいスポットなんて知るようになって。
 井崎の恋のお相手の人となりが見えてくるというものだ。
「じゃ、お言葉に甘えて俺帰っちゃってもいい?」
 返事がない。帰ってほしくないなら、帰ってほしくない。帰ってほしいなら帰ってほしい。自分の思った通りのことを口に出した方がいい。大体、なにも考えずに突き進んできたけれど、帰り道はちゃんとわかっているんだろうか。
 薬袋はちゃんと覚えている。雨をかぶりたくないから走って通り抜けた横断歩道も、まっすぐ進むのが嫌になって気まぐれに曲がった道も、どうせ覚えていないんだろう。だから、わざわざ付いてきてやったのだ。
 親切なんかではない。探しにいくのが面倒くさいから、あらかじめ付いていってやっただけだ。
 携帯が震えた。携帯が防水タイプでなかったらとっくに使えなくなっていたんじゃないかと思われる。
「他の連中もう帰るってさ」
 さすがにこれには反応した。ずっと頭の上に広がっていた木の枝が途切れた。雨はダイレクトに顔面に吹き付ける。喋るごとに口に雨が入る。
 しかし、こんな物じゃ喉の乾きはいえない。
「な、帰ろうぜ。俺疲れたし、一人で帰るのもあれだろ」
 ようやく井崎は足を止めた。
「別に一人でも平気だ」
「いや、お前じゃなくて俺がな。一人でのこのこ帰れっての?」
 井崎は振り向いた。頭から足先までびしょぬれだ。そのままこちらに向かって歩いてくる。どうやらようやく帰る気になったらしい。
 まだ雨はやむ気配を見せない。これですぐに雨がやまれたら、ようやく鎮火した熱いハートにまた火がついてしまうかもしれない。
(刈谷も余計なことしてくれたよな)
 せめて彼女の趣味がカラオケとかだったら、周囲の人間も気軽に付き合ってやることができたのに。今の井崎の思い人が刈谷だ。バードウォッチングは刈谷の趣味。
 なんとか共通の話題を見つけようとして井崎も、好きだと主張してはみたものの、この男バードウォッチングなどに興味がある訳がない。知っている鳥なんて、ニワトリとダチョウとハトとカラスとスズメと……。その程度の知識だ。
「ま、行ってきたけど雨だったっていうのも話題になっていいだろ」
「わ、話題って、なんだよ」
 急に歩みを早めて、距離をつめてきた。相変わらずの暴風雨。吹き付ける雨が激しくて目もまともに開けられない。井崎の目も半分ほど閉じたままだった。隣に並ぶのを見計らって薬袋は歩き出す。もう雨をよけようという来すら無くなる。
 空をみても重い灰色の雲しか見えない。
 井崎は、あれほどわかりやすいのに、隠しているつもりなのだ。もしわかっていなかったら、誰も雨の日のバードウォッチングなど付き合わない。本人は隠し通しているつもりでもバレバレの恋の行方を見守る為に集まった、薬袋以下数名だ。
 それも、この異常気象の巻き起こす雨の中を傘なしで果敢に歩んで行くほどではない。
「なにしてんだろうなー、俺」
 井崎には聞えないように呟く。井崎に聞かれたら、また意地を張って拗ねて面倒くさいことをやらかすに決まっているからだ。
 往復一時間ほどかかった道のり。駅に帰ってくるとしきりに遅延情報が流れていた。どれほど前に到着する予定だったかは知らないが、たまたまホームに滑り込んできた電車に乗り込んで座席を確保する。流石にバードウォッチングができるほどの郊外とあって、都心にもどる電車には殆ど人が乗っていなかった。
 井崎は仲間が付いてきてくれず、挙げ句置いていかれた事が胸につかえているらしい。
 当然の反応だ。もっと井崎は周囲の人間に感謝するべきだと思う。
 毎回面倒くさい女に惚れて、周囲を振り回すこともそうだが、毎回隠し通そうとするから、周囲は気付かないフリをしてやっているのだ。
 大抵は本人に気付かれて、お互いに関係がぎくしゃくしだして告白する前に振られる。だが、刈谷はどうだろう。ハキハキとしてしっかり者だが、人間なんかにはあまり興味がない印象がある。早い話恋愛関係に疎そうだ。面倒くさい男と鈍い女で案外うまく行くかもしれない。
「薬袋、どうしたぼーっとして」
「別に、普通だろ」
「いや、なんかいつもと違う感じがしたっていうか、悩み事でもしてる感じだった」
「病気かもな」
 え、俺のせい? といった井崎を無視して、窓の外を眺める。相変わらずの雨。雨粒が次々吹き付けるので外の景色なんてみれたもんじゃない。
 服の水が座席にしみ込んでいく。迷惑だろうと思いながら立つ気もない。
(うまく、いくか。こいつらがうまくいったら……)
 想像ができない。だが、強いて二人を横に並べてみればお似合いのような気がしてくる。少なくとも、人の恋路を応援するフリをして野次馬に集まる友人たちと戯れているよりは、よっぽど健全だ。
 面倒ばかり掛けるくせに、離れていくときは一瞬。なんのためらいもなく、おおよそつながりがあるということすら意識してはいないのだろう。そういう悪気がない無邪気な人間だ。
 薬袋は、井崎とは違う。意地っ張りで不器用な井崎と違って、青春真っ盛りの青臭い恋はしないし、色々器用にこなす。好きな人に好きだと言いだせず、共通の話題を探って猪突猛進して失敗なんてことは絶対にないし、告白をする前に恋心を気付かれて、顔を真っ赤にして挙動不審に陥ることもない。
 恋のしがらみに捕われて思い煩う姿など、想像もできない。
 それなのに。
 ああ、隠しているつもりだったのに。
「そうか、顔にでてたか」
 ため息一つ。
 悩ましいくらい、俺はこのバカが好きなんだなぁ。

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