神守と巫女の雨


 雨が降って思い出すのは遠い昔のこと、まだ私が巫女になったばかりのことだった。
 神のとの婚姻をしめすその儀式は盛大に行われ、滅多に屠らない家畜の肉や、異国から持ってきた食べ物が豪勢に振る舞われた。初めて肌に纏う豪奢な衣裳は私には不釣り合いで、少し緊張してそれを羽織っていた。丁寧で繊細な手仕事を感じる刺繍には感動した。これから自分もこれらの文様を覚え、来るべき巫女や神々のために、布の上に物語を紡いでいくのだと思うと高揚と不安を感じた。
 でも、全てをひっくるめて私はとても誇らしく思っていた。
 舞い上がっていた私が親友の変化に気がついたのは、巫女としての生活にも慣れた頃。季節が一巡りした後だった。
 村で暮らしていた友達から、最近ラソンの様子がおかしいから様子を見に行ってくれないかと頼まれた。神と人との間を取り持つだけでなく、村人が健やかにあるように神に代わって見守るのも巫女の仕事。というのは建前。
 ラソンが生まれたのはイクイがこの世に生を受けてから三回田植えの季節が巡ったあとの、冬の終わりのことだったという。食料が乏しくなる時期に乳飲み子を抱えてしまったことを、周囲の人間は大層心配したそうだ。その辺りのことをまだ幼かったイクイは知らない。
 ただ大勢の人に心配されて迷惑をかけて育ったせいか、ラソンは年の割にとても思慮深くて落ちついた少年だった。
 イクイの家とは、大変な時期に食料を分け合った仲で、子供の時から何かにつけて一緒にいた。無茶をしようとするといつもラソンが止めに入り、イクイが失敗すると真っ先にラソンに怒られた。しかし、イクイが巫女になれると信じ、誰よりも応援してくれたのが彼だった。
 ラソンが巫女としての自分を必要としているのなら、力になってあげたい。
 そんな大切な友人の変化に気付かなかったのは、彼の姿をずっと見ていなかったからだ。何でも最近は森に籠りがちらしい。平地の方では農耕のみで生活する村もちらほらとみかけるようになってきているけれど、イクイの村は半狩猟半農耕で生活している。ラソンが森に籠って狩猟に専念したと言ってさほど不満は上がらないはず。
 それよりも怖いのは、彼が村から離れていってしまうこと。集団をはなれた者が歩む未来は明るくない。
 ラソンは冬場村の男達が狩りにいく時に使う岩屋で、寝泊まりしているらしい。そして獲物を届けに時折戻ってくるのだそうだ。既に巫女となっているイクイが森に向かうことを村の人間は心配した。護衛をつけようといわれたが、昔から男衆について森を歩いていたイクイにとっては隣村にいくような簡単な道のりだった。
 大きな一枚岩に開いた横穴は、いつからあるのだろう。長い年月を経て、堅い岩の上には植物が根をはり僅かな土を頼りに木が茂るようになった。物心つく頃には、既にその岩屋は森の一部だった。
 煙の匂いがした。岩屋の入り口では、ラソンが火をおこしている所だった。生き物の気配を察して身構え、人であることを認めるとすぐに弓を降ろした。
「イクイ」
 イクイが友と家族の元を離れて一人になり、巫女としての生活を始めていくつかの月が回った。その間に少し大きくなった気がしていた。今までの自分はどんなに背伸びしてもやはり子供で、ようやく世の中のことが少し分かるようになったのだ。
 それと同じように、いいえ、きっと、それ以上。ラソンも、幼かった。イクイよりも、ずっと子供だった。
 今、岩屋の前にたたずむのは、一人の青年だ。まるで、別人のような面差しをみてイクイは少し戸惑った。自分を呼んだ声が記憶の中にある、まだ声変わりもしていない少年のものであったことに安堵した。
「ラソンこんなところで、何してるの」
 ラソンは苦しげに眉を寄せて、手の中の弓を見た。それから、足下にあった薪を生まれたばかりの火に投げ込んで腰を下ろした。
「こっちの台詞だよ。こんな所に人も連れずにさ。巫女様が聞いて呆れるな」
 口を開けばすぐ小言をいうのも、あのときのままだ。
「巫女様が直々に来てあげたのよ。もっと歓迎してくれてもいいんじゃない?」
 見知らぬ男を目の前にしたような緊張が、言葉を交わすごとに少しずつ解けていくのを感じた。大人に近づいて封印したと思っていた子供っぽさが、まだ胸の奥で息づいている。頭に被っていた布を首もとまで降ろす。例に漏れず刺繍の美しい布は、嵩張ってごそごそとした感触をしていた。
 まだ成人の儀を終えていないラソンの服は、記憶の中のままだ。ただ狩りにでるための脛当てと胸当てをつけ、手甲をはめているのが奇妙な感じがした。
「こっちに座りなよ。どうせここまで来ちゃったら、怒られるのは僕なんだから」
「座ってても立ってても同じじゃない」
「近くにいた方が守りやすい」
 守る、なんてラソンには似合わない。大人びているけどチビで、慎重だけど臆病で、賢いけれど体力がない。そんな二人だったはずだ。つい頭をもたげた反抗心を、喉奥に飲み込んでラソンの言葉に従う。彼は岩屋の奥から使い古された敷物を持ってきて、たき火の横に敷く。元は何かの毛皮だったらしいのだけど、長い間人の腰の下に据えられているうちに、いい具合に鞣されてしまっている。それだけでは足りないと思ったのか、彼は自分のものらしい織物をその上に被せた。
「そんなにしてくれなくても、大丈夫なのに」
「汚れるよ」
「気にしないわ」
「服が」
「服が、ってどういう意味」
 返事をするかわりににやにやと笑って、たき火に薪を投げ込む。火の粉が舞い上がってイクイは思わず体を引いた。
「ごめん」
 低く唸るようにいって、たき火を挟んだ向かい側に腰を下ろす。幼い頃の面影は、目の前にちらついたかと思えば身を翻して離れていく。そういうとき目の前に立っているのは、ラソンという名前をした全く知らない人間だ。
 水を汲みに行くというラソンは、イクイをその場においていきたがったが、一人になった方が危ないと主張すると折れた。子供のときはあんなにも軽やかに駆け抜けた道が、思った以上に歩きにくい。子供と比べたら巫女は身に負っているものが多すぎた。前を歩くラソンは、そんなイクイには気付かない。彼の中の自分はきっと、あの頃のまますいすいと木々の隙間を抜けていくのだろう。
 朝方に川から這い上がってくる冷気を避けるため、水場は少し離れている。汲んだ水は全てラソンが運んだが、イクイは少し息が切れた。汲んできた水で米を煮て、残りの水を使っうさぎを捌きくのを、敷物に腰掛けて傍でみていた。
「それで、何しにこんなところまできたの。遊びにきた訳じゃないよね」
 うさぎの皮を器用にはぎとっていく手つきを眺めていた所に、それは不意打ちで突きつけられた。
「遊びにきたの」
「そんなわけないって、いいきれないのが嫌だなぁ。イクイ、焼く用意するからあと頼んでもいいかな」
「分かったわ」
「必要なものはそこ、葉っぱ被せてある。そう、それ」
 ラソンはたき火の中に入れて熱してあった石を、くぼみに移し始めた。その作業が終わる前に、大きな葉で捌いたばかりの肉と香草と芋を包む。岩塩も少し加えた。出来上がったものを手渡すと、石の上に乗せ上から土を被せた。米が煮える頃には、いい具合に蒸し上がっているだろう。それまでの間、二人は暇だった。
「ねえ、どうして村からはなれているの」
「やっぱり、それで来たんだね」
 苦しげに笑う。病に掛かって熱を出した時まわりに心配させまいと笑った、あのときの顔に似ている。病はよく食べよく休めば治った。でも今、彼を苛んでいる痛みはきっと寝ても消え去らない。
「はぐれものになりたい訳じゃないんでしょ」
「イクイは、神様の声が聞える?」
 叱りつけられているときのような縮こまった声だった。
「聞えるように努力してるわ。聞えたら、一人前。私も神と人の助けになれる」
「そっか」
 聞えるといったら、彼は喜んでくれるだろうか。嘘をついてでも使えることにしてしまおうか。ほの暗い気持ちが頭をもたげたが、それは神を裏切ることにもなる。偽ることなど到底出来そうになかった。
「ごめんね」
 役に立つようになって戻ってきたかったのに、それは叶いそうにない。神の声が聞えないのなら人の声を聞きなさいと、巫女の業を授けて下さる大婆さまはいった。例え巫女がまだ神の声を聞くまで己の身を高めていなかったとしても、人は巫女に神の声を期待する。ただひたすらに彼らの声を、耳を澄まして聞きなさい、と。
 ラソンは謝るイクイをみて困った顔をした。落ちていたかわいた小枝を拾って、先端に火をつけては吹き消し煙らせては、手慰みにしている。
「謝ることないよ。むしろ聞えなくてよかった」
「どうしてそんなこというの?」
「神の声を聞いたらイクイは、僕のこと嫌いになるよ」
「ならないわよ」
 大婆様なら今すぐに否定してあげる事ができただろう。
 ラソンの方が神の声が聞えているみたいな口ぶりだった。巫女になるのは女だが、男に限って、神の声が聞えないということはない。聞える人には聞えるし、聞えない人間には聞えない。信仰心の厚いラソンのことだから、神の声が聴こえていても驚きはしない。
 でもそれは私がラソンのを嫌う理由にはならない。
「どうして神の声を聞いたら嫌いになるの。関係ないわ、友だちだもの」
 ラソンはそうは思っていないようで、理由も告げずに黙り混んでしまった。彼は心のなかに、決定的な何かしまいこんでいる。
 誰にも言えない秘密は釣り針のようなもので、ひき抜こうとすればひどい痛みを伴う。秘密を抱えた彼の胸にはまだ血の滴る鮮やかな傷が残っている。だから怖くて、自分でも触れることができないのだ。
 イクイは辛抱強く彼がはなしだすのを待った。
「僕は許されざる人間だ」
 ぽつり、とラソンは呟いた。手慰みに使っていた枝を、火の中に投げ込む。否定したかったけれど、まだ彼が背負っていることを何も知らないイクイは、続きを話し出すのを待つしかなかった。
首を振る。固く結んだ手が震えていることに気づいて顔を見ると、死人のように色を失っていた。
「そんなのわからないじゃない」
 神意が分かる訳ではないのだから、と言外に含ませた。そうであってほしいという希望も含めて。どうか、彼の役に立てる自分を否定しないで。
「巫女の前でこんなこというのは、馬鹿らしいかも知れないけど、でも……。ああイクイ、君にはいえないよ、こんなこと。僕、矛盾してるんだ。大人のフリしてただけで、本当はすごく幼いんだ」
「実際、成人の儀も終えてないんだもの。子供ってだけで村から出る理由にはならないし、そんな理由であなたがはぐれものになるんなら、私許さないわ」
「でも、僕もう村にいられない。だめだよ」
 理由もいわずに首を降り続ける姿は、本当に幼い子供のようだった。途方にくれて、空を見上げる。雲行きが少し怪しくなっていた。雨が降ると帰り道が心配だ。
 再会したばかりのときは、知らないうちに大人になってしまったと思っていたのに、昔より子供っぽくなっているなんて。妙に気が抜けてしまって、イクイは少し笑った。そうだ、そもそも自分自身だって、ただ単に友達を助けたくてここまで来たのだ。巫女らしくなんて考えたってしょうがない。自分の言葉で話せばいい。
「ねえ、ラソン。私、昔からバカなことしようとしてその度にあなたに止められてきたでしょ。ちょっと立場違うんじゃない?」
「イクイがくるってわかってたら、こんなことしなかったよ」
 いつもの憎まれ口と捕らえてしまえば、それまで。しかしそれは、子供の頃にたくさんした言い争いのような軽い意味合いではなかった。
「巫女になったイクイになんか、会いたくなかった」
 息が出来なくなる。ここにいるのはラソンじゃない。ラソンの皮を被った、森の魔物なんだ。そう思い込めたらどんなによかったか。目の前にいるのがラソンであることは疑いようがなく、彼が冗談でそんなことを口にしない人間であることは、誰よりも一番イクイが知っていたのだ。
 今まで信じていたものが、音をたてて崩れていく。
 雨が近づいている。湿った重い空気が流れ込んできて、枝葉がざわざわと震えた。普段なら巫女も農民も狩人も雨の備えを始めるが、二人はどちらも動こうとしなかった。
「ラソンでさえ、そんな風に思っているなら、私は一体誰の為に巫女になったの」
「違うよ、イクイ。そういう意味じゃない」
「じゃあ、どういう意味なの、巫女になった私に会いたくなかったって」
「違うんだよ」
 ラソンが言葉を遮る。曇天を背にして、その姿は暗く沈み表情が読み取れない。ラソンは説明をしようとしていたのかもしれない。しかしイクイは昔からの悪い癖で、感情に火がついたら収まらない。そういう所も、村を支えていく巫女にはふさわしくないといわれたことを、傷みとともに思い出す。
 あの時庇ってくれたラソンの言葉は、もうなんの意味も持たない。
「私が巫女として生きてきた時間も、巫女となるために生きてきた時間も、全部無駄だったの?」 
「そんなこといわないでくれよ」
「いうわよ! あなたの役に立てないなら巫女になった意味がないわ。そう思ったもの」
「やめてイクイ、僕は、僕はイクイが好きなんだよ!」
 ラソンは、口にした後ではっと息を飲んだ。もし言葉に形があったら、彼はそれをすぐに捕まえてもう一度胸の中にしまっただろう。炎の赤い光に照らされていても分かるほどに、その顔が真っ赤になった。
 すぐに理解できなかった言葉がだんだん胸に浸透してくると、イクイも平常心ではいられなかった。
「え、え?」
「なんでもない」
 消えそうな声でラソンがいう。
「やめよう、やめようよこんな話。ほら、米も煮えたし、岩屋に入ろう。雨が降ってくる」
 土をのけて石蒸し焼きをとりだす。
「だめ、もうきいちゃったもの」
 石蒸し焼きは、旨く出来ていた。気が早くていつも少し早くとりだしてしまうイクイだったが、夢中になって話し込んでいる間に結構な時間が経っていたようだ。火傷をしないように、大きな葉を何枚か重ねた上にそれを置いて岩屋を示す。
 己の心が全く定まらないイクイはされるがままだった。なかったことにしないで欲しい。しかしこの話を突き詰めて、二人が幸せになれる予感はしなかった。
「聞いたってしょうがないよ。イクイは、神様と結婚してしまった」
 ラソンは、分かっている。イクイよりもずっと冷静に、自分と巫女という存在について眺めていたのだ。そうやって、自分の恋心を殺してしまうつもりだったんだ。
 巫女は神と婚姻を結んだ身。当然、生身の人間を愛することなど許されない。そんなことをすれば神を裏切ったことになり、首をはねられる。相手の男も同様だ。運がよく命を助かっても、二度と人の社会に戻ることなど出来ない。
 己の身を殺すか、己の心を滅ぼすかその二択しかない。
「ラソン、ごめんね。でも、私」
「だからやめようよ。イクイが巫女になって帰ってくる頃には、ちゃんと僕も一人前の大人なれるようにするから。応援してるよ、ずっと」
 泣きそうな顔で笑うと、イクイを岩屋に押し込む。どんな気持ちで、応援してくれていたのか聞いてみたいけれど、言葉が出てこなかった。
「もう日が傾いてきたし、雨も降りそうだ。無理して帰らない方がいいね」
 ラソンは空を見上げた。いつ雨が降り出しても不思議ではない。岩屋は雨が入り込まないように入り口から奥に向かって少し高くなっている。しかし、長い時間をかけて出来たひび割れのせいで、雨が降ると水が滴ってくることがあった。
 イクイは巫女に憧れていた。ラソンがずっと支えてくれていたのは、好きでいてくれたからだったんだろうか。
 私の夢が叶ったら、彼の恋は叶わないって分かってたのに?
 食事の用意をしながら、ラソンの横顔をみる。子供の頃からずっと見てきたこの顔の下には、一体いくつの秘密が隠されているのだろう。
 年上らしく振る舞えたことなんて一度もなくて、いつも彼が先回りして導いてくれていた。巫女になったら彼を導く立場になれるんだって、妙に誇らしく感じた。
「どうしよう、ラソン」
「大丈夫だよ。ここに泊まるのも初めてじゃないでしょ」
 ラソンはイクイにお椀を手渡して、二人の間に石蒸し焼きを置いた。怖いくらいに明るく振る舞うラソンの顔を、イクイはじっと見た。
「私も、ラソンのこと好き」
 ラソンは米を吹き出しせき込んだ。あいにく手渡す水が近くにない。背中をさすってやると、呼吸を落ち着けたラソンがその手をしっかりとつかんだ。
「なんでそう流されやすいんだよ!」
「でも、流れた水はもう二度と帰ってこないわ」
 とうとう雨がふりだして、二人は外をみた。空の果てまで続く雨雲は、雨がしばらく止みそうにないことを告げていた。
「ほら、神様が怒ってるんだよ」
「そんなの分からないわ。ラソンに神の声は聞えないでしょ?」
「イクイにも聞えないよ」
「それにあなたの言葉に流された訳じゃないもの」
 流されてたどり着いた先に、ラソンへの恋があった訳ではない。始めからずっと、自分の思いに気付かない愚かな自分がいただけだ。
 洞窟の中に滴ってくる水の音を聞いていると、当然のように岩屋に遊びにきていた子供の頃を思い出す。
「どちらにしろ、そんなの許されざることだ。その気持ちは今ここで、殺して」
 好き合っているはずなのに、それは遠回しな拒絶だった。
「あなたは巫女に選ばれたものすら口にしない神意を、軽々しく口にするのね」
 残酷なことをいった。
 その言葉に突き刺されたラソンは顔をそらした。
 物凄く、腹が立った。
 気持ちを殺す、それがどんなことか。イクイは巫女で、ラソンの友人で、そして村に生きる人間だ。そんな残酷なことを、軽々しく口に出来る人間になってしまっているというのなら、イクイは友人として巫女として、彼のことを許せない。
「神意をいっているわけじゃない」
「じゃあなぜ? 許すか許さないか、それを決めるのはあなたじゃないし、あなたが私に命令する権利なんてないはずよ。聞くなら、私が神に聞くわ。神が、本当に私とあなたの恋を許さずに、気持ちを殺せと言うならその時に殺すわ!」
「聞けないじゃないか! イクイに神の声は聞えないんでしょ? 僕は待てない。待っていたって、成人したら妻を迎える。巫女は妻に迎えられない」
 神は、私たちに三回の巡る季節を与えた。短すぎる、徒に苦しみをのばす猶予を。
 神が二人の恋を許してもそれが分かる時、ラソンは別の人間と結ばれている。妻を娶ることを拒めば、村の男になることを拒まれる。
「なら、それなら……、あなたが神守になればいいのよ!!」
 ラソンはイクイの目に宿った、生き生きとした光をみた。先ほどまでの思い悩んだ様子はどこへ行ったのだろう。
「は?」
「あなたが神守になればいいわ。そしたら、私が神の声を受け取れるようになるまで、あなたは結婚しなくていいじゃない」
 神守とは、巫女と巫女がいる場所を守る戦士のことだ。婚姻を認められていない訳ではないが、一人前の神守となるまでは女性と距離をおく。
 口に出せば、ますますそれが名案のように思えてきて、イクイの顔は輝いた。思わず、声も弾む。
「森に籠ってたことも、精神を研ぎすませていたっていえば何とかなるわ」
「そんなことの為に、神守になるなんてどうかしてるよ、冒涜だ」
「でも、命をかけるよりは平和な方法じゃない」
「認めてもらえなかった場合、更に罪が重くなるんじゃないかな」
「そうそう、そうやって私の無茶を止めてる方がいつものあなたらしい」
 イクイは子供みたいに笑った。
 ラソンは深くため息をついた。
「そうだよ。それで、イクイがいうことを聞いてくれたことなんて一度もないんだ」
「でもおかげさまで最悪は回避してたでしょ」
 進むことを、恐れはしない。
 降り注ぐ雨が、天の涙なのか慈雨なのか。それすらもまだ分からないのだから。

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