くじらとねずみ


 海岸線にそって歩いていた旅人は、ねずみとくじらを連れた男に出会った。旅人はなぜそんなものをつれているのか、どうしてその動物たちはあなたについていくのかと訪ねた。
 男は人でいう所の三歩後ろをついてくる従順な二種の獣を振り返ってから、こんな風に語り始めた。
「ある所に魔法使いの少女がいて、彼女にはねずみとくじらのお供がついていた」
 旅人は我慢できずに男の話を遮った。男はどうやったって少女にはなれないし、ローブを被っていなければ魔法の杖も持っていないただの男が、どうやって魔法使いになれるんだ、と。
 男は気を悪くして、人の話は最後まで聞くように旅人を窘めた。そしてもったいぶって咳払いをするともう一度、話を始めたのだった。
『ある所に魔法使いの少女がいて、彼女にはねずみとくじらのお供がついていた。彼女は、何も持ってはいないけれど心が綺麗な人に、助けの手を差し伸べて回っている善の魔法使いだった。彼女は、何もない荒野を突っ切っている最中だった。
 何もない荒野というのは、なにしろ何にもない。町も店も、宿屋も民家も港もない。喉の乾きを潤す井戸もなければちょっと体を休める木陰さえない。そんな荒野にはきっと困った人がいるに決まっているのだ。だが、なかなか人に出会わない。
 なにもない荒野にわざわざ出向く旅人はいない。その点に置いて、彼女は少し愚かであったといわざるを得ない。だが、魔法使いに一般常識が欠如していたからとって、なんの問題もないのだろう。現に彼女は、そのあと目的の物、つまり助けを求めている人に出会うことになるのだから。
 魔法使いの少女は歩くうちに、とうとう海に出た。荒野はそこで行き止まりだったので、少女は海岸線を行くことにした。
 彼女の魔法ときたら強力で、遠くにいる生き物を瞬きする間に目の前に連れて来れるのだ。しかし、くじらというのは海の中にいなけりゃ生臭い小山みたいなもので、てんで役に立たない。ねずみというのはすばしっこくて手先が器用だが、海に入れば木片みたいに流されていってしまう。海と陸との境目の海岸線をいくのは、とても賢いやり方だった。
 そして彼女は浜辺に倒れている男に出会った。それはおそらく遠くからみたら、打ち上げられた海藻にしか見えなかっただろう。
 男に気がついたのは、くじらだった。彼はちょうど反対側の海からこちらの海に呼び出されたばっかりで、興味津々にあたりを眺めていたところだった』
「そこでようやくあんたがでてくるってわけだな、その浜辺に打ち上げられた海の藻くずみたいなのとして」
 旅人は口を挟んだ。海の藻くずといわれた男は一層気を悪くしたが、話はちょうどいいところに差し掛かっていた。そこでやめにするのは気持ちが悪い。
 だからさっきよりも大きな声で咳払いをしてから、続きを話し始めた。
『まだ表情にあどけなさを残した少女は、慎重に男の顔を覗き込んだ。彼女はまだそれが、浜辺に打ち上げられた海藻か、そうでなければ深海から流されてきた正体不明の生き物だと思っていたに違いない。
 男が目を覚まし、声を発して少女を見上げたとき彼女は大層、驚いた様子だった。彼女は男の瞳の中に、優しさを感じ取った。顔は誠実そうだったしなにより心根が綺麗だった。だが、何もない荒野を越えてきた彼女はなにも持っていなかった。彼女がもっている役立ちそうな物といったら一匹と一頭、その二種類の動物だけだったのだ。だから彼女は非常に残念そうな顔をしながらそれを男に与えた。おもちゃを取られた子供みたいで、実に年相応に見えた。そして少女は丁寧に、男を遠くの海まで送りとどけることを申し出てくれた。なにしろ彼が流れ着いた浜というのは何もない荒野以外にはなにもない、実につまらないところだったのだから。
 男は船から落ちて遭難した身だった。だから海を渡るにしても二度と船になど乗らないと、固く心に誓っていたので、その申し出はとてもありがたかった。これだけで、少女がどれほど素敵で賢い女の子だったか、分かってもらえるだろう。
 瞬きをした時、男はまったく知らない浜辺にたっていた。なにもないように見えたが、遠くに港と灯台が見える。海なんて二度と見たくないと思ってた男は閉口したが、くじらをつれているのだから仕方がない。
 実は、男は商人だった。船からおちて遭難し、まったく知らない土地に来てしまったのでは、商売はパァだ。これから先どんな生活を始めるのかわからないが、ねずみとくじらはあまり新しい人生の役に立ちそうにない。折角もらったのに、もうしわけないことだ。そう思いながら男は浜を歩き出した』
 なるほどそれで合点がいった、と旅人はいった。あんたはそれで町に向かっている最中なんだろうとしたり顔で詰め寄ると、男は得意げに笑ってみせた。
「もちろん違うとも。ここからじゃどこをみたって、港の灯台もみえないだろう。やっぱり話を聞いてないんだな」
 旅人はぐるっとあたりを見回してから、男と顔を見合わせて頷いた。
「それはもっともだ。それでなくても俺はここいらのことは全部しってる。なにしろ歩いてきた道だし、これから歩いていく道だからな」
「続きが聞きたくなっただろう」
「ああ、その通りだ」
 思った通りの答えを引き出せて、男は得意満面だった。長い話になるからと、砂浜にどっかと腰を降ろすと彼はその後の顛末を話し始めた。
『男が灯台と港に向かってあるき始めると、すぐにくじらが妙なことをいったのさ。手前の入江に大きな帆船がとまっている、と。普通の人間には聞えないかもしれないが、お供の主人となった男には、くじらの声もねずみの声も聞えていた。もちろん、今も聞えている。男の言葉も、お供たちには理解できているようだった。
 ねずみもくじらの言葉を聞いて、まわりに人がたくさんいるなんて言いだした。男は信用しなかったね。だってそうだろう? 目の前にちゃんとした港があるのになんで船を入江に着ける必要がある。船は港に集まるもので、砂浜なんかにはこないものだ。
 やはり獣は獣だ。人と比べれば頭がわるいかそうでなければなにか重大な勘違いをしているに違いない。
 しかし、それは正しかったのだ。入江に隠れていたのは海賊船だった。男が入江に近づくと、岩陰からわらわらと海賊が飛び出してきた。ねずみはどこかへさっさと隠れてしまった後だった。小さすぎていてもいなくても気付かないのだ。くじらでさえ、海の中に沈んで音沙汰がない。男は悪態をついた。なんて恩知らずで薄情で、役に立たないお供だろう、と心の中で叫んだ。その時、男は確かに魔法使いの少女を恨んでいた。
 男はあっというまに捕まった。丸腰だったし、お供にあきれかえっていたので抵抗する気も起こらなかった。海賊は、男を町から送り込まれたスパイだと考えたようだった。全くバカな海賊だ。なんで、町からのスパイが町と反対方向から来ると思ったのだろう。
 とにかく男は捕まって、海賊船に担ぎ込まれた。海賊たちは、男をマストに縛り付けた。船長らしき髭もじゃの男が、明日の朝見せしめの為に海に沈めてやると言い放った。町の人間じゃないと男は主張したが、海賊たちには命乞いにしか聞えなかったようだ。
 男は、これまでに二度幸運に恵まれていた。一度目は遭難し長けれど生き延びた時、二度目は流れ着いた先で魔法使いに出会った時だ。きっと男は一生分の運を、そこで使い果たしてしまったに違いない。幸運は、死期を少し先に延ばしただけだった。
 絶望の中で、男が涙を流したとき胸ポケットがもぞもぞ動いた。くすぐったくて、大笑いをすると、海賊たちは恐怖で頭がおかしくなったと思ったらしい。肩の上に登ってきたのはねずみだった。どこかにいったと思ったねずみは、胸ポケットに隠れていたのだ。
 そこから彼らの活躍は目を見張る物だった。全く素晴らしい働きをしたんだ、この一匹と一頭は!
 ねずみは男を縛っていたロープをあっといういう間に噛み切った。男は体が自由になるやいなや、海賊に襟首を捕まえられるよりも早く海に飛び込んだ。くじらが呼んでいたのだ。海へ飛び込んだ男をくじらが拾って、一目散に海賊船から逃げたのさ。そして、男は今生きて君の目の前にいるじゃないか!これを奇跡と呼ばずになんと呼ぶ! まったく素晴らしいよ、このお供は。男はくじらとねずみに感謝して、ずっと解雇せずに一緒にいてやることを誓ったって訳だ』
 男の話はそれでおしまいだった。
 くじらとねずみは人の言葉を喋れないから、男が長話をする間、黙って聞いていた。だが、彼らが人の言葉を持っていたらきっと反論したはずだ。自分たちは人間のお伴なんて、飽き飽きしてる。人の役になんか立ちたくない、これ以上海岸線の長旅に付き合わされるのはごめんだと。
 そして、男の話にもう少し本当のことを付け加えただろう。実のところ男は、魔法使いの少女のことをこれっぽっちもわかっていないのだ。それは、一匹と一頭しか知らない話である。
 ある所に魔法使いの少女がいて、彼女にはくじらとねずみのお供がついていた。彼女の魔法というのは、瞬きする間に手元にものを運んで来れるし遠くにやれる。どんな大きな生き物でも、どんな遠くにあるものでもだ。だが、たった一つ彼女が運べないものがある。それは彼女自身の体だった。
 彼女はそれが我慢ならなかったので、ある日思いきって自分を隣町まで飛ばしてみた。ところが魔法は大失敗。彼女は見たこともない、何もない荒野の真ん中に飛ばされてしまったのだった。
 ここがどこだか分からない上に、彼女は自分の体を運ぶことはできない。もう一度魔法を試したら今度は氷山のてっぺんまで飛ばされてしまうかもしれない。彼女は、身震いをしてとぼとぼと足下のわるい荒野を歩き出したのだった。腹いせに、彼女はお供に当たり散らした。
「せめて馬だったらよかったのに。ねずみもくじらも、全然役に立たないわ!!」
 もっとも、魔法が成功したときだって彼女はいつもお供に怒鳴り散らすのだ。二人のお供は彼女が親から受け継いだ使い魔だった。彼女の親も魔法使いだったので、使い魔はたくさん連れていた。娘はそれほど偉大な魔法使いにならないという確信を持っていた彼らが、分け与えたえてくれたのは数ある中でも余り物の役に立たない使い魔だった。
 だから彼女はその使い魔が大嫌いで、いつか自分の力で見栄えのする物を捕まえてやりたいと常々思っていたのだ。くじらとねずみはいわば彼女が劣等生である印で、荒野なんかに飛んできてしまったのは、その何よりの証拠だった。
 そもそもくじらとねずみという生き物自体が、気に入らないのだ。不清潔なねずみは、狭い所を好んでごそごそ動き回る。新しい魔法や薬品の実験動物くらいにしかならない、哀れな連中だ。
 くじらは磯臭くて体がぬるぬるしていて気持ち悪い。図体が大きいくせに、陸に上がったら身動き一つとれないでくの坊だ。海でしか役に立たないくせに、体が浜に乗り上げてしまうから岸に少女を迎えに来ることもできないのだ。ここがもし海の向こうだったらくじらにのって海を渡らなくてはならないのだが、どちらにしろ少女は水浸しになってしまう。それが我慢ならなかった。
 遠くはなれていても、少女の声は一匹と一頭によーく聞える。だから、少女は歩きながらずっと罵り言葉を吐いていた。善良な二種の動物が汚い言葉に辟易し、しまいにはなにも感じなくなって右から左に聞き流せるまでになったとき、ようやく海まで辿りついた。ようやくくじらの出番だ。
 いくらくじらに乗るのが嫌でも、彼女は一人では海を越えられないのだ。呼び出されたくじらは、浜辺に人と思われる生き物が横たわっているのをみた。彼女はそういう汚い物が大嫌いだから、事前に彼女にそれを警告した。彼女は、浜に横たわった海藻まみれのその生き物をみてあれがなにかとくじらにきいた。
 浜に近づけないくじらにはそんなこと分かりっこない。怒声を聞きたくないねずみが、気を聞かせてしらべにいき、それが人間であることを突き止めた。こんなものは放っておくのが吉である、とも付け加えたが、聞き入れてもらえないことも分かっていた。
 使い魔の忠告を聞き入れない魔法使いは大抵無能だが、彼女はその無能な魔法使いの一人だ。正しいとわかっていても、意地になっていうことを聞かないに違いない。
「この人間は、ここがどこだかしっているかもしれないわ。ここがどこだかわかれば、帰るのも楽になるし。ねぇ、いい考えだと思わない?」
 くじらとねずみはそれがいい考えだとは全く思わなかった。男の様子は明らかに遭難者だ。ここがどこかなんて知っているわけがない。二人は、それを口に出さないくらいには賢明だった。
 少女は威張って男の顔を覗き込んだ。もちろんその汚い体に触れてしまわないように慎重に、だ。顔を覗き込んだ時、男はちょうど目を開けた。あまりにも汚くてとても不愉快な気分になったが、大げさなくらいに驚いた顔を作ることで、嫌悪感が顔にでないようにした。
 あまり男に対して嫌な印象を持たれると嘘をつかれるかもしれないと思っていたのだ。少女は無能だったけれど疑り深かった。
「ここは、一体どこなんだ?」
 ひからびた声で男は喋った。酷く喉が渇いているらしい。不愉快だったので、少女は男の喉を直してやった。そのことにたいしてお礼を言われることを期待していたのに、タイミングが悪かったせいか、男は魔法をかけられたことにすら気付いていないようだった。
「なんにもない荒野の端っこの、なんにもない浜辺ね」
 間抜けそうな顔をしている、と少女は男の顔を見て思った。自分がどこにいるかも分かっていないなんてなんて間抜けなんだろう。これでは家に帰る助けにはなりそうにない。それなら、声をかけた意味も全くない。普段なら悪態の一つもつくところだが、まだこの男が何かの役にたつのではないかと期待をしていた。
「それで、あなたはどうしてここにいるの?」
 どうやってここに来たのかがわかれば、どうやって帰るかも分かる。どこに暮らしているにしたって人間らしい家の一つくらいこしらえているだろう。そこで一杯のお茶でも出させてやるつもりでいたのだ。
 ここにいたっても、まだ彼が遭難者ということに気付いていなかったのだ。
 男は話し始めた。自分の身の上から話始めたので、そこは適宜割愛させて、ようやく船が嵐にあい海に投げ出されたのだというところまで聞き出した。つまり男は遭難者で帰る道どころか自分がどこから来たのかもよくわかっていないことに、彼女は漸く気がついたのだ。魔法の力による物ではあるが、自分のいくべき場所と帰る方法が分からないという意味で、少女は男と同じ遭難者であった。
 だが、彼女には自分と同じ境遇の男に対する同情心は持ち合わせていない。酷く腹を立てて、南極の真ん中か或いは海の真ん中に沈めてやろうかと考えて、実際そうする寸前だった。
 聡明なくじらが、そんな男は放っておいて海を渡ることを提案した。
 少女はくじらが大嫌いだった。ねずみに比べて賢いのはいいが、口うるさいのが気に入らない。まるで親戚のおばさんのようだ。口を出してくるくせに、何かをしてくれる訳ではない。なんの役にも立たないのだから、当然だ。それなのに、黙っていることはできないのだ。この口うるさい獣を、なんとか黙らせる方法はないだろうか。
 ひとつ、ある。
 魔法使いは自分の勝手な都合で、使い魔を殺してはいけないし、勝手に解雇することもできない。魔法使いは自分の使い魔を自由にできるが、くじらとねずみは親から譲られた物で、親の魔術によって少女にしっかりとくくりつけてあった。彼女が何を考えるかくらい、親である彼らにはお見通しだったからだ。
 そういうわけで、彼女は使い魔から離れられないのだが、幸いなことに人に譲ることはできた。くじらとねずみをほしがる人間はいないし、両親が少女にくくりつけているものであることはみんな分かっていたから小さい子供にいたるまで、今まで誰もそれを貰ってくれなかった。だが、このバカな男はどうだろう。なにも考えていない男なら、役に立たないくじらとねずみをもらっても喜ぶかもしれない。
 それは名案に思えた。
 しかし、いらないものを押しつけられたとしったら、この男は断るかもしれない。心の底で見下していても、その程度の知恵は認めていた。どうしたら、すんなりと男に引き取らせることができるだろう。
 そのとき少女は、男が自分を期待の目でみていることに気がついた。魔法が使えない人間というのは、時折魔法使いにこういう無責任な期待をする。そして少女は魔法使いだと一目で分かる服装をしていたのだ。
(なら、それを利用してやろう)
 少女はなるべく感じがよく見えるように微笑んだ。くじらとねずみからみると、全く本性を隠せていないのだが、若い女性の微笑みに慣れていない男は気付かないようだった。
「私はあなたのような人を探していたのです」
 歌うような声色で、少女はいった。
 男は少女の言葉をきいて、自分の身を省みた。そして、海藻まみれでボロぞうきんのような自分の風体をみて、顔をしかめた。少女は男の服の汚れを取ってやった。破れた服は元には戻せないが、汚れを取り去るくらいはできるのだ。しかし勢い余って男の服の色まで取り去ってしまった。男は魔法に驚いてそんなことは気にならなかったようだが、少女は自分が未熟ものだと気付かれるのではないかと、内心ヒヤヒヤしていた。
「あなたのように、困っている旅人を助けるのが私の使命。それでこうしてお供を連れて旅をしていたのです」
 男は怪訝そうな顔をして、何もない砂浜となにもない荒野を見渡した。
「こんなところで?」
 男の疑問はもっともだ。少女だって好きでこんな所に来た訳じゃない。旅人だってこんななにもない道は通らないのだ。だから盗賊さえいない、そんなつまらない場所だ。頭が悪い顔をしている癖に余計なことを聞いてくる。
 余計なことをいう所は、二匹の使い魔にそっくりだ。ますます、使い魔はこの男にお似合いに思えてきた。
「そう。こんな場所にはあなたのように、困り果てた旅人がいるものでしょう?」
 慣れない言葉遣いは、魔法学校の先生のモノマネが大いに役に立った。どんな嫌な思い出でも、案外役に立つものだ。
「そういわれてみれば、そんな気がしてきます」
 少女と比べれば随分年上の男は、魔法使いの少女に敬意を払っているようだった。うっかり色まで抜いてしまったけれど、服を綺麗にした魔法を気に入ったらしい。人に敬われるのはとてもいい気分がするものだ。
 少女はここから先の言葉をとても慎重に選び、そして上手く演技をする必要があった。
「しかし、何もない荒野を渡ってきたせいで、私はあなたに与えられる物がなにもないのです」
「それは残念です」
 きっとバカだと思われたに違いない。男の顔からは落胆と呆れの感情がありありと読み取れた。プライドは傷つけられたが、カッとなっては元も子もない。怒りをぐっとこらえて、ちょっと間抜けな魔法使いの少女のふりを続けることにした。
「でもそれでは、私は使命を果たせないのです。使命を果たさなければ私は愛する両親の元へ返ることができません」
 同情をひこうと思って適当にでっち上げた嘘を、男は信じたようだった。本当は自分のことを侮っている両親の元などには返りたいと思っていない。魔法を使える人間が殆どいない、誰もが魔法をうらやむような町で暮らすのが、彼女の夢だ。
「だから、私のお供をしているくじらとねずみを差し上げます。生まれたときから私を支えてきてくれた優秀なお供です。きっとあなたの旅の役にたつことでしょう」
 男の片眉が跳ね上がった。こんな奇妙な道連れはいらないと思ったに違いない。
「受け取っていただけますね?」
「それでは、あなたは困らないんですか」
 とても複雑な表情をしていた。古い迷信では、魔女を怒らせるとカエルに変身させられてしまう。この男は、そんな迷信を信じているのだろうか。
「困りますが、人助けのためならば仕方がありません。貰っていただけないのですか?」
「いやいやぁ、とんでもない! そのお志だけでもありがたいのに、よりによって一番大切なお供をくださるなんて。喜んでいただきます」
 少女は男の気が変わって、ノーというよりも早く使い魔を受け渡す手続きを始めた。それは複雑で時間がかかる物だったが、ずっと厄介払いをしたいと思っていた少女は何度も頭の中で繰り返し練習していたので間違えることはなかった。
 案の定、魔法の手続きをしている間中、男は引きつった顔で身動き一つしなかった。魔法にかけられているのが怖いのだ。
 男は一言でも嫌だとか、いらないとか言ったらこの手続きは無効になってしまう。受け取ることに同意させる言葉も、考えていたよりも簡単に引き出せた。あとは少女が嫌だとか、譲りたくないとかいう言葉を口にしなければいいだけのこと。
 そんなこと思うわけがない。
 しかし使い魔を譲ってしまったら、少女が自分の魔力を誇示するものが少なくなってしまうということだ。その時ようやく、少女はためらいを覚えた。多分、これが少女が道を踏み外さずにすむ、最後の分岐点だったのだ。しかし彼女は、思いきって男に使い魔を渡してしまった。
 渡してしまったらもう男に用はない。少女は親切な顔をして、男にどこか遠くに送りとどけることを申し出た。海の向こうまで飛ばして差し上げましょう、というと男の顔は輝いた。船なんて二度とのりたくないと思っていたからだったのだが、そんなこと彼女が知る訳がない。
 一刻も早く、目障りな使い魔たちを遠くにやらなければ、小言が始まるかもしれない。折角厄介払いしたのだから、そんなものは一瞬だって聞いていたくない。
 本当は、使い魔でなくなってしまったくじらとねずみの声など、少女には聞えないのだが、それには気付いていなかった。
 少女は男が頷くや否や、海を遠く隔てた海岸まで一人と一匹と一頭を飛ばしてしまった。
 これで小汚いねずみにつきまとわれることも、生臭いくじらに文句を言われることもない。
「せいせいした! くじらもねずみもだいっきらいよ! なんの役にも立たないんだから」
 そこで彼女は自分がとんでもない失態をしたことに気がついた。せめて海を渡ってから彼に使い魔を与えればよかったのだ。
 彼女にはもう海を渡る手だてがない。強い日差しの中をあるいて船を探さなければならないなんて。もう一歩も動きたくないのだ。その上、八つ当たりをするための使い魔もいない。彼女が思ったことは全て、ただの妄想か独り言になってしまう。
 呼び戻してはどうだろうか。彼女のプライドが許さない。きっとくじらとねずみに小言を言われるに決まっているし、男が一度もらったものをやすやすと手放すかもわからない。
 だから彼女は思いきってもう一度、魔法を使うことにした。どこに飛ぶにしてもきっとここよりはましなはず。男を飛ばしたのと反対の方角に、意識を集中させた。向こう岸には町があるかもしれない、そこまで頑張って飛ぼう。彼女は魔法を発動させた。
 残念ながら、魔法は成功しなかったようだ。彼女の体は反対側の海岸どころか、その大陸からすっかりと消えてしまった。彼女がどこに飛んでいってしまったのかは定かではないが、二度と家には帰ってこなかった。これはくじらとねずみもしらない、魔法使いの少女の顛末である。

 さて話を終えた旅人は、砂を払って立ち上がった。
 これからどこにいくつもりで、そのお供はどうするつもりなんだ、と旅人尋ねた。男は首を傾げた。くじらがいるから海からはなれられないし、かといって海の上で生活することもできない。
 旅人も首を傾げた。これは大変不自由そうだ。魔法使いならともかく、男にも旅人にも生き物を遠くから一瞬で目の前に連れてくるなんてできるわけがない。それにくじらは海でしか使えないし、ねずみは海では役にたたないのだ。ねずみとくじらなんてお供につけても、海賊船に捕らえられた時くらいしか役に立たなさそうではないか。それなのに見たことか、男はこれでもう二度と海岸線から離れられない身になってしまったんだぞ。
 それでも、くじらとねずみのお供は随分と便利そうだ。それに見栄えもする。旅人は、男からその厄介な使い魔を引き取ってやることにした。今は恋しいだろうが、直ぐにこんな連中厄介なお荷物だと思い出すに違いない。そうなったら、男も旅人に感謝するだろう。
 だが、男はどうやってお供を譲ればいいのかわからないに違いない。なにしろそれも魔法の領分なのだから。だが、旅人はもっと分かりやすくて単純な方法を知っていた。
 旅人は懐からナイフをとりだすと、あっというまに男の首をきってしまった。男は声もあげずにばったりと倒れて動かなくなった。
 だが、持ち主を殺しても、使い魔は奪い取ることはできない。契約が途切れて自由の身となったくじらは、大海原へ身を躍らせた。
 旅人は、巨躯が海面を叩いたときの飛沫でびしょぬれになってしまった。何もかもがべたつく海水に浸ってしまい、気分は最悪だった。そうこうしているうちに、ねずみはさっさと姿を消していたので、結局強欲な旅人の元には、何も残らないのだった。

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