喫茶NEWTONのプリン


 私は週に三度、喫茶店の店員となる。
 めまぐるしい休日と比べ、平日は時間がゆっくりと流れる。図書館にも似た穏やかな空気が流れる店内で、練習という名目で入れた紅茶をお客様に見えないところで飲む。作り置きのサイドメニューを調理する店長の手つきを眺め、飽きたら常連客しかいない店内に目を移す。
 常連といっても毎週来る人は稀で、ほとんどの人は月に1、2回顔をみせる程度だ。それでも毎月必ず来ていれば、なんとなく顔は覚えてくるものだ。木曜日の昼下がり、名前を知らない顔なじみたちが店に集まっている。
 喫煙席の男性はいつもタバコを3本吸っていく、スーツの女性はいつも難しい顔をして書き物をしている。窓際の二人は、今日は来ていないようだ。
 そう思っていたら、ちりんとドアベルがなり金髪の若者が入ってきた。まっすぐに窓際の席に行き、カバンを隣の席において腰掛ける。
 いらっしゃいませと声をかけメニューと水を差し出す。
「アイスティーで」
 メニューを開き、少し迷ったあといつもと同じものを注文した。
 水曜日の窓際は、彼と彼女の席だ。大抵は彼の方が先に来て、通りからよく見えるその席で彼女がくるのを待つ。やんちゃな顔立ちをしている割に読書家で、待ち時間は字が細かくて挿絵の少ない本を読んで過ごしていた。
 何ページか読み進めたところで、ふと時計を確認し窓の外に視線を送る。申し合わせたように、横断歩道の向こうに少女の姿が見えた。彼が手を振ると、気がついて手を振り返した。
 ちりんとドアベルがなった。駆け込むように店に入ってきた彼女は、彼の正面の席に腰掛ける。栗色の髪がふわりと肩に広がった。
「そんなに急がなくていいだろ?」
 青年は、手でパタパタと顔を仰ぐ彼女に代わってメニューを受け取ると、紫眼を細めて笑った。
「そういうわけにもいかないよ、シャイラスったら本に集中し始めちゃうと長いんだもん」
 汗が引くと、早速手渡されたメニューとにらめっこを始めた。青年は仕方なくテーブルに広げた本をカバンにしまい、彼女と一緒にメニューを覗き込んだ。何を飲もうか、なにか食べようか、晩御飯があるから甘いものは我慢しようか、それが彼女の悩みの種だ。それらのつぶやきに対して彼がつけるコメントは、彼女を笑わせたり不機嫌にしたりしていた。
 お客様でない間の二人を知らないけれど、多分学生で学校帰りに待ち合わせているんじゃないかと推測していた。
 カウンターの向こうから店長が手を伸ばして、私の肩をたたく。
「あんまりじろじろ見るなよぉ」
 つい、まじまじと観察してしまった。若い二人を見ながら、わかいなぁと思う。店長はそんな私もまだまだ青いのだと言いたげな顔をしていた。含み笑いとお盆を受け取り、注文を受けてメニューを運ぶだけの仕事に戻る。 
 やがて長針が一周する頃、窓際の二人は店を後にした。
「ありがとうございました。またのご来店をお待ちして居ります」
 並んで帰る背中に、いつもの言葉を添えた。


 日曜日。
 ピークを過ぎてようやく落ち着いた頃、水曜日の二人がやってきた。
 週に二回も来店するも休日にくるのも珍しい。
 いらっしゃいませと普段通りにメニューと水を差し出す。
 お客様でない間の彼らのことは知らないが、今日は一目でデートとわかる服装をしていた。真新しい靴とバッグ、手提げ袋から覗く映画のパンフレット。つま先まで気を配ったよそいきの服は、いつもと同じ店には相応しくないように思う。
 彼女は不満げな顔で頬杖をついていた。青年は不機嫌の理由に気付かずに、注文を決めない彼女にメニューを差し出す。
「どうした? ここのアイスココア好きだろ」
「好きだけど、たまには他の店行こうよ」
 彼を見つめる抗議の視線。店員として利用していただけるのはありがたいが、彼女の気持ちもよく分かる。
「知らない店だと、アクルは注文決めるまでが長いだろ」
「そんなことないもん」
 なんの悪気も悪意もないのだから彼女もきつくは言えないらしく、メニューの影に膨らませた頬を隠した。 
 彼は水曜日と同じアイスティーを頼む、彼女の方も長い間迷っていたが結局前回と同じアイスココアを選んだ。
 私は彼に答えを教えてやりたい衝動に駆られた。このままでは二人の特別な一日がいつもと同じ日常の中に埋もれてしまう。きっと彼女にはそれが切ないのだ。
 しかし私はしがない店員。出すぎた行為はNGである。
 オーダーを伝えると、店長はニヤリと笑った。一体なんだというのだろう。店長は時折、意味ありげに微笑んでいる。その意味を読み取れたことはない。ついお客様をまじまじと観察してしまう私の癖を、笑ったのかもしれない。
 首をかしげる私を尻目に、店長は自分の仕事に取り掛かる。
 ドリンク二杯にやけに時間がかかると思えば、用意していたのは裏メニューのプリンだった。
 なんだ、店長だって見てるんじゃないか。いつもカウンターの向こうにいるのに、よく店の中の出来事がわかるものだ。
 アイスティーとアイスココアに並んでやってきたプリンをみて少女は目を丸くした。
「サービスです」
 いつもと同じ店だけど、いつもとは違うものを。流れていく日常に、ささいな彩りを。
「あ、あの! ありがとうございます」
「なんだ甘いもの食べたかったのか」
 青年はどこまでものんきだ。
「違うよぉ」
 少女が頬を赤くした。
 気をとりなおしてプリンを頬張る。
 サイドメニューに単品のプリンはない。パフェを作る時に使っている小さめのプリンを使っている。生クリームを乗せて、洋酒で香りづけをした煮詰めたリンゴが添えてある。店長の気分によって、生クリームがアイスになったりリンゴが他のフルーツになったりする。
 彼女は付け合わせのリンゴを食べて、なにか思いついたように顔を上げた。
「じゃあさ、今度作ってよ甘いの。アップルパイがいいな」
 青年は困ったように後頭部をかいた。
「そんなの、アクルの方が得意だろ」
「ダメだよ、シャイラスが作らなきゃ」
「そういうの苦手なんだよなー」
「苦手だからやるの、ペナルティなんだからね」
「俺なんかしたか? 言っとくけどこんなに美味しくできないからな」
「そういうことならしょうがないから、手伝ってあげてもいいよ」
 少女は張り切って、おかし作りの予定を立て始めた。日程の相談から初めて、どんな見た目が好きか、リンゴはどのくらいの甘さで煮るのか、隠し味は必要か、少女の質問には終わりがない。
 そのほとんどは彼女の好みによって決定されていたけれど、その様子はとても楽しそうでそれをみる青年も満足そうだった。
 二人は長針が2周する間アップルパイについて相談し、日が傾いた街へ帰っていった。
「ありがとうございました」
 店を後にする二人の背中に、またのご来店をといつもの言葉を添えようとしてやめた。
 次は、別の店に行くといい。

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